虎狼、相食む
虎狼、相食む
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大陸中を巻き込んだ泥沼の大戦の終結から約半年。
各地は遅すぎた平穏の帰還に、喜ぶ力すら残らず復興に追われている。
大戦の終結に伴う所属部隊の解隊によって、ティルゲリウスは寄る辺を失くした。
軍上層部にいた叔父の計らいで軍籍は残り、彼の小間使いとして各地を回る毎日。
今回は、最前線となった激戦区ほどではないが戦災の爪痕残るある地方都市の駐屯地を訪れていた。
「査察? すまないが身分保証書か命令書を見せてくれ」
意外な事に駐屯地の衛兵はきちんと仕事をしており、規定のボディチェックも行われた。
そんなものは、ティルゲリウスには関係ないが。
叔父から渡された書類に目を通す衛兵の表情がみるみる変わっていく。
「ティルゲリウス・ラウテンバッハ特命少尉、査察に際し上記の人物の身分を保証する。ゲーアノート・ラウテンバッハ少将……し、失礼しましたっ! 幕僚本部次長閣下の縁者とは知らず……!」
「いや、いい。駐屯地司令へ取り次いでくれるか?」
「ハッ!」
敬礼して駐屯地内へ駆けていく衛兵を見ながら煙草をふかす。
――――――可能な限り急いでいるが、衛兵の交代要員は忘れない。良い兵士だ。
――――――あるいは、自分などより、よっぽど。
埒もないことを考えながら、案内の兵士が来るまでティルゲリウスは煙草を味わっていた。
※※※
「私がここの司令官、トラウゴット大佐です。査察とのことでしたが……?」
精悍な顔つき、鍛え込んだ身体、武人的な雰囲気。
正統派な軍人のようだ、政治には弱そうだが。
「この近辺で厄介な賊が出没するという報告を確認しに来ました」
「ああ、それですか……」
報告によると、賊は統率の取れた行動をしていて主導者を含めて正規の軍教育を受けている可能性があるという事。
逃亡兵や敗残部隊の野盗化……嘆かわしい事だが、珍しい話ではない。
大佐の話では山中の遺棄された廃基地を根城にしているらしく、主導者は《狼》と呼ばれているらしい。
とんでもない怪力と脚の速さ持つドワーフで、二度の討伐部隊を壊乱させた張本人だと。
その話を聞いた時、ティルゲリウスは自分の真の任務に気付き、夜を待って廃基地へと向かった。
※※※
「狼っ! 侵入者だ、一人だがとんでもねぇ強さで敵わねぇ!」
「ほう……? 儂らが手古摺るとは、そいつ何者じゃ?」
配下の報告に応じる賊の主導者、《狼》はゆらりと腰を上げる。
「分からねぇ。だが奴はあんた並みの怪力で、バリケードをぶち抜きながらこっちへ向かってる!」
配下の男にとって今まで《狼》こそ最強であったが、侵入者の男はそれに匹敵する怪物だ。
正直、常人は勝負のテーブルにもつけないとすら感じた。
「やむをえんのう……この拠点は捨てる。お前たちは先に逃げぃ、儂がそいつを足止めしておく」
「なっ、俺たちにあんたを見捨てろって言うのか! 俺達を拾ってくれたのはあんただ! あんたの為なら玉砕したってかまわない!」
配下の必死の言葉に、《狼》はホッホッホと朗らかに笑って言った。
「そう簡単に死ぬつもりは無いわい。生き残れば勝ちじゃ、何事もな。それに、お前たちはそいつ相手の戦いでは正直足手まといになる」
《狼》の厳しい言葉に、悔しさで顔を歪ませた配下の男は荒ぶる気持ちと口惜しさで壁を殴りつけ、拳から血を流しながら主導者の命に従った。
"必ず追って来いよ!" そう言う背中を見送り、一人になった部屋で《狼》は話しかける。
「すまんな、待ってもらっちまって」
その言葉と共に、部屋の壁をぶち抜いてティルゲリウスが中に入ってくる。
殴りぬいたと思しき拳には傷一つ無い。
「その力、やはりお主も儂と同じ"獣人兵士"か……」
大戦中、泥沼の戦局を打破するためにある秘密部隊が創設された。
《獣人部隊》
特殊な施術で人外の身体能力を手に入れた強化兵士"獣人兵士"で構成された特殊部隊。
その施術は無数の悲惨な人体実験から編み出され、適合できない者は命を落とした。
国際条約を20以上まとめて破る、非合法技術の塊である戦史の汚穢。
それ故に、大戦終結の立役者でありながらその記録は功績と共に抹消され、生存した隊員たちも終戦後に処理された。
血縁から、叔父に保護されたティルゲリウスを除いては。
「やはり、貴様も……」
「ああ、儂は派兵先でいきなり営倉にぶち込まれそうになって、上官をぶち殺して逃げた。まあ、ここに集まった奴は皆似た境遇じゃがな。強制徴発に抗命したり、クソッたれの督戦官に目を付けられたりして殺されそうになって逃げた元兵士じゃよ」
練度が高く統率がとれているはずだ。
彼らは、この主導者に率いられた一個の"群れ"だったのだから。
「どうじゃ、お主も加わらんか? 終戦の途端に手のひらを返した軍の上層部に義理立てする必要があるか?」
そう冗談めかして聞いてくる《狼》。
もし今が終戦直後だったなら、迷わず受けていただろう。
「……すまない、命を助けてくれた叔父は裏切れない」
「残念じゃな」
それまで不意打ちを警戒する程度だった薄い闘気が、鋭い殺気へと置き換わっていく。
部屋には張りつめた空気が満ち、徐々に臨界へと近づいていった。
「儂は《狼》、お主の識別名は何じゃ?」
「……《虎》」
「そうか…………では虎よ、死ねぃっ!」
※※※
《狼》は恐るべき相手だった。
素のままでも常人より強い腕力を持つ種族であり、それをはるかに上回る剛力。
歩幅の小さいドワーフにあるまじき敏捷さ。
それらが組み合わさった《狼》はもはや小さな竜巻のようだった。
ティルゲリウスが翻弄されながらも辛くも勝利をもぎ取れたのは、彼が《虎》と呼ばれる所以となった感覚を麻痺させる"咆哮"を持っていたからにすぎない。
一瞬の隙を突いて《狼》の腹を貫いた貫き手。
道連れの一撃を警戒し、蹴りで相手を吹き飛ばし腕を抜き去る。
腹部に大穴が空き、蹴り飛ばされた《狼》は地面を転がった。
己の血溜まりに横たわる《狼》は、焦点の合わない瞳で言う。
「儂は……死ぬのか……」
「……ああ」
ティルゲリウスも特殊部隊に籍を置いていた身だ、汚れ仕事など慣れ切っている。
だが、かつての同輩の命を絶つのは、些か以上に心が痛む。
だからかもしれない。
"最期に言い残すことはないか?"と聞いたのは。
どんどんと広がる血溜まりの中で、弱々しい声で彼は言った。
「儂の名は、ヴォルフレード中尉…………お主の名は……?」
答えるのを、ティルゲリウスは躊躇ってしまった。
同輩が無かった事にされる中で、血縁・利用価値があるからと言うだけの理由で自分だけがのうのうと生き延びていたことを知られるかと。
その無言をどうとらえたのか、死に瀕した男は呻くように笑いながら言う。
「そう、か……そう、だな…………我々に、名前な、ど無い……
儂は、《狼》…………虎よ……さら、ば、だ……」
そう言って彼がこと切れるのを、ティルゲリウスは呆然と見ていた。
千々に乱れ、今にも叫びだしてしまいそうな心を抑えながら。
恥ずかしい、申し訳ない。何故俺だけが。今の己の命は何一つ自分で勝ち取っていない。
それでも生きたい、死にたくない。叔父の便利な駒の一つに過ぎないとしても、厚顔無恥な卑怯者と呼ばれても。
満足気な表情で死んでいる敗者と、苦り切った表情で煩悶する勝者。
まるで逆に見えたとしても、その先に苦しみの道が続いていても。
生き残った者こそが勝者なのだ。