教育
酒場での情報収集を終えて孤児院に戻ると、庭先でフーゴがイジメにあっていた。
「いつもみたいに泣いてみろよ。ほら!」
ぼかりとフーゴの頭が小突かれる。
叩いた方の男子はダリオ。
院で一番の乱暴者だ。
年齢もここで最年長の十二歳である。
「泣けって言ってんだろ! フーゴのくせに生意気なんだよ!」
「泣く? よく分かりません」
フーゴは泣くどころか、何にも感じていない。
いっそ無機質とすら思えるような真顔である。
「なんだよ、お前! 薄気味悪いんだよ! とにかく反抗すんじゃねえ! いいから謝れよ!」
ダリオの言い分は無茶苦茶である。
これは子ども特有の理不尽な言い掛かりだろう。
けれどもフーゴは素直に応じる。
「ごめんなさい」
「はぁ⁉︎ なんでお前が謝んだよ! 俺をおちょくってんのか⁉︎」
これもただの難癖だ。
どうやらダリオは、いつもみたいにフーゴをいじめてストレスを発散したいらしい。
けれども、やはりフーゴは動じない。
ただ淡々と殴られている。
その態度がさらにいじめっ子の神経を逆撫でしていく。
苛立ったダリオは何度も手をあげた。
「ちっ、なんで泣かないんだよ! ああ、もうイラつくなぁ! いつもならすぐに泣いてたくせに、まるで人形みたいになりやがって。どうしちまったんだ、こいつ」
ダリオがガシガシと頭を掻いた。
ここに来て、ようやく他の孤児たちが仲裁に入る。
「も、もうやめなよダリオ。こんなの見つかったら、院長せんせいに怒られちゃうよぉ」
「そうだよ。みんなで仲良くしようよぉ」
「うるせーな! お前ら、フーゴの味方すんのかよ?」
「そ、そういう訳じゃないけどぉ」
これはどうにも止まりそうにないな。
成り行きを見守っていたボクは、そろそろダリオを叱ることにした。
早足で騒ぎの中心まで歩いていく。
「あなたたち! いったい何をしているのです!」
「げっ、院長先生。……んだよ、もう帰ってきやがったのかよ」
「ええ帰ってきましたとも。そしてダリオ。私は見ていましたよ? なぜフーゴに酷いことをするのです。彼のなにが不満なのですか。フーゴは模範的な家族ですよ」
ダリオが鼻で笑う。
「はんっ、家族ぅ? こんなやつと家族なもんかよ! だいたい俺たちは孤児だっつの。だれひとり血も繋がってないのに、家族ごっこなんかやってられるか!」
ボクはそのセリフにイラっとした。
ダリオはボクの家族の一員だ。
とはいえ、さすがに言って良いことと悪いことがある。
ボクはボクの家族を否定する輩を許さない。
家族を否定するとはつまり、ボクを苛む孤独を許容するのと同じことだ。
断じて許せるものではない。
「……ダリオ……」
思わず殺意をこめてダリオを睨みつけた。
こいつ、どうしてやろうか。
「ひっ!」
目が合うとダリオが悲鳴を漏らした。
ボクは思う。
ダリオは、明らかに『腐ったみかん』だ。
早々に取り除くべきである。
けれどもボクは、フーゴと同様この子のことも諦めない。
だってかつては腐っていたフーゴも、いまや模範的な家族になれたのである。
治療すればきっと、ダリオも模範的な家族の一員になれるのだ。
ならボクは諦めない。
考え込むボクにダリオが強がってくる。
「い、院長先生なんて、怖くねーし! それにいくら叱られたって、俺はフーゴみたいな弱虫と仲良くする気なんてないからな!」
「……弱虫?」
この子は何を勘違いしているのだろう。
フーゴは弱虫なんかじゃない。
だってボクの手によって治療されたフーゴは、以前とは違う。
腕っぷしも、そこらの傭兵なんかよりずっと強い。
だって彼はもう、ボク謹製の改造人間になっているのだから。
「ダリオ、よく聞きなさい。フーゴは弱虫なんかではありません。肉体も、精神も、あなたよりずっと強いのですよ?」
「はぁ⁉︎ こいつがぁ?」
ダリオはお腹を抱えて笑い出した。
「あははっ、受ける! 院長先生っていつからジョークが言えるようになったの?」
ボクはなにかおかしな話をしただろうか。
いや、話していない。
事実を言ったまでだ。
なのにダリオはボクを馬鹿にしたように笑い転げている。
正直、不愉快だった。
ダリオは最低だ。
これは精神治療を行う前に、少しお仕置きしたほうが良いかも知れない。
◇
ボクはフーゴに命じる。
「フーゴ」
「はい。院長せんせい」
「ダリオを黙らせなさい。……そうですね。あなたは散々叩かれていたことですし、少し叩き返してあげなさい」
フーゴが頷く。
「あ、でも手加減はしてあげること。あなたたちは兄弟みたいなものなのですから、決して殺してはいけません」
フーゴはまたこくりと頷き、ダリオの襟首を掴んだ。
そのまま片手で持ち上げる。
いきなり万力みたいな力で首を締め付けられたダリオは、その膂力に驚き、そして苦しげに顔を歪めた。
「おまっ⁉︎ は、離せ! ぐぇ」
「……ダリオ。これは院長せんせいの言い付けなんだ。言い付けは守らなきゃ。だから痛くても我慢して」
そう言うなり、フーゴは持ち上げていたダリオを地面に叩きつけた。
「ぎゃ⁉︎」
少年の細い身体が大きくバウンドする。
強かに背中を打ったダリオは、肺からすべての息を吐き出した。
口をぱくぱくさせている。
どうやら衝撃のせいで、うまく呼吸が出来ないらしい。
フーゴが倒れたダリオに馬乗りになった。
そのまま顔を殴り始める。
「ぐぁ⁉︎ や、やめろ! フーゴてめぇ! こんな真似して、後でどうなるか……ぎゃ! ふ、ふざけ――」
フーゴは淡々と殴る。
機械のように一定のリズムでひたすら殴る。
その様はまるで作業そのものだ。
ダリオも反撃を試みるが、軽くあしらわれている。
フーゴが拳を振るう度、ガンガンと打撃音が響く。
「やめっ、うぎゃ⁉︎」
ダリオは反撃を諦めた。
これ以上殴られまいと、両腕で顔を覆って隠そうとする。
けれどもフーゴは力任せにガードを引っぺがし、また殴り続ける。
折れたダリオの歯が、幼い拳に突き刺さった。
けれどもフーゴは何も気にした素振りをみせず、また殴る。
「ぎゃ⁉︎」
メキッと歪な音がした。
ダリオの鼻が折れたのだ。
鼻腔から首筋へと大量の血が流れだし、ダリオを赤く染めていく。
「……許さへぇ……! ……フーホ、てめえ! 殺ひてやる……! 絶対ひ、殺ひてやりゅ!」
口の中が相当に切れているのだろう。
ダリオは不明瞭な発音で凄んだ。
けれどもフーゴはそんなもの一向に意に介さない。
ずっと機械みたいに無表情なまま、ただひたすらに彼の顔を殴り続けている。
ダリオの顔が見る間に腫れていく。
「……や、やめっ、……もう、やめへっ……」
ついにダリオが根をあげた。
しかしフーゴは手を休めない。
それは当然のことだ。
なぜなら家長であるボクが、まだやめろと命じていない。
ならフーゴは殴るのをやめない。
「……うう、もう、やめへくれ……やめへよぉ……」
ダリオが泣き出した。
少しは反省できただろうか。
ボクは泣きべそをかくダリオを眺めながら思う。
これは言わば愛の鞭だ。
そしてこの鞭は、ダリオただひとりに向けたものではない。
集まった孤児たちみんなに向けたものだ。
家族で仲良くしないとこうなりますよという、言わば見せしめだ。
だからこれは愛の鞭であると同時に、教育でもある。
ボクは周囲を見回した。
みんな、ちゃんと学んでくれているだろうか。
子どもたちは唖然としながら、目の前で行われている教育を見つめている。
最年少組は、抱き合い震えながら泣いていた。
◇
教育は続く。
黙々とただ殴られ続けたダリオは、顔をパンパンに腫らし、血みどろになっていた。
身体もぐったりしている。
まったく最初の頃の威勢はどこにいったのか。
馬乗りから解放されたダリオは、完全に頭を抱えて丸まっていた。
その横っ腹を、フーゴが蹴り上げる。
「ぎゃ! も、もう、ゆるひへ……!」
ダリオは涙と鼻水と血で顔をくしゃくしゃにしながら、命乞いを始める。
「た、たしゅけて……! も、もう、やめへ……!」
「やめないよ」
フーゴが端的に答えると、ダリオは起き上がり、逃げ出した。
「ひぃ! ……し、死ふっ、……殺さへりゅ……!」
けれども改造人間からは逃れられない。
フーゴは必死になって走るダリオに悠々と追いつき、彼の後頭部を掴んだ。
再びダリオを地面に転がすと、今度は掴んだ後頭部を押し付け、ガンガンと顔を大地に叩きつける。
「あぐぁ! あ、あぎゃ⁉︎」
何度も何度も叩きつける。
フーゴに慈悲は見られない。
周りで呆気に取られていた孤児たちが泣き出した。
「ひっく、……やめて……もうやめたげてよぉ……」
「いやぁ。こんなの嫌だぁ」
「うええ……! 院長せんせい、止めてあげてよぉ」
うん。
そろそろ頃合いだろうか。
みんなもやんちゃをすればどうなるか、しっかりと学んでくれたことだろう。
ボクは命じる。
「フーゴ。やめなさい」
「はい。院長せんせい」
フーゴがぴたりと動きを止めた。
ボクは彼のところまで歩み寄り、頭を撫でて、柔らかな髪を指で梳いてやる。
「偉いですよフーゴ。ちゃんと言うことが聞けましたね」
「はい。院長せんせい」
「ではダリオを院長室まで運んでくれますか?」
「わかりました」
「ふふふ。フーゴは本当に賢い子です」
ぐったりとして動かなくなったダリオを、フーゴが担ぎ上げた。
ボクは集まっていた孤児たちに声を掛ける。
「みなさん、ちゃんと見ていましたか? 喧嘩をすると、こう言う目に合います。わかりましたね?」
しばらく返事を待つも、誰も口を開かなかった。
まったく仕方のない子どもたちである。
でもまぁ良いだろう。
これは初回の教育なんだし、こんなものだと思う。
これからも教育の機会なんていくらでもあるだろうし、みんなには徐々に家族のルールを覚えて貰えばいい。
焦る必要はないのだ。
「それではみなさん、お部屋に戻りなさい」
ボクはダリオを担いだフーゴを伴って、院長室に足を向けた。
その背中を呼び止められる。
「あ、あの! い、院長先生……!」
年長組の女の子、エマだ。
だが腰が引けている。
「なんですか?」
「……ダ、ダリオを……どうするつもりなんですか?」
「ああ、心配しなくても大丈夫ですよ。ダリオは心の病気なのです。だから治療を施すのです」
まあ具体的にはロボトミー手術をするのだけどね。
それ以上、なにも言えなくなった女子を残して、ボクたちは院長室に戻った。
◇
翌日。
ボクの精神治療を受けたダリオは、フーゴと同じく模範的な家族になっていた。
常に真顔で無機質な表情。
そのことについて質問してくる孤児はいなかった。
そしてその日以降、孤児たちは誰も、ボクと目を合わせようとしなくなった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
…………。
ダリオに教育を施してから数ヶ月が過ぎた。
あれからも、細かな問題は何度も起こった
そしてその都度ボクは、問題を起こした孤児にロボトミー手術を施した
その甲斐あって、今では大半の孤児が模範的な家族になっている。
ところで、これから昼食の時間である。
ボクたちは食事の準備をしていた。
孤児たちは誰もが、ひと言の会話もかわさずに、淡々と食事を配膳していく。
そんな静寂の中、まだロボトミー手術の済んでいない孤児だけが、手にした食器をカチカチ鳴らしながら、ぶるぶると身体を震わせている。
いったい何を怖がっているのだろうか。
ともかく家族の団欒を乱すなら、いずれこの子にも治療が必要になるのかもしれない。
昼食の準備が終わり、みんなで席に着く。
ボクは家族に語りかける。
「……ふふ、静かですね。行儀がよくて偉いです。けれど、食事の前くらい、子どもらしく騒いでも良いのですよ? ほら、フーゴ、ダリオ、エマ。喜びなさい」
ボクは三人に命じた。
すぐにフーゴとダリオが応じる。
「うわぁ。今日のお昼ごはんは、パンが二つもある」
「すごい。おいフーゴ、お前、小さいんだから二つも要らないだろ。一つ寄越せよ」
フーゴとダリオは、抑揚のない控えめな喋り方で戯れ合っている。
以前の仲の悪さなんて何処へやらだ。
すっかり仲良くなったようで、大変喜ばしい。
「フーゴはダメか。じゃあエマのを寄越せよ」
真顔のダリオに話しかけられたエマが、びくんと震えた。
「ひっ⁉︎ あ、あたし⁉︎」
青褪めた顔で、頬を引き攣らせながら笑う。
ちなみに3人の中では、エマだけまだロボトミー手術を施していない。
「あ、あははっ! も、もうダメよ、ダリオ。じじじ、自分の分だけで、が、我慢しなさいよ……! うっ、うう……」
「ちぇ」
うん。
フーゴやダリオはもちろん、エマも良い子だ。
ボクは仲良く騒ぐ家族を前に、笑みをこぼした。
「さぁ、それじゃあ食前の祈りを捧げますよ。静まりなさい」
フーゴたちが、真顔に戻ってぴたりと口を閉じる。
何故かエマが泣き崩れた。
ボクはその様子を眺めてから、初代聖女への祈りの言葉を口にするのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
…………。
家族と過ごす日々。
また数ヶ月が経過していた。
なんやかんやで、すべての子どもたちのロボトミー手術を終えたボクの心は、穏やかだった。
もうこの孤児院に、諍いなんてものは存在しない。
平和そのものだ。
ボクはこの理想郷で、みんなと愛を育んでいくつもりだった。
しかし平穏が破られる。
ある日、突然の来客があったのだ。
「……もし。少しお邪魔してもよろしいかしら? 久しぶりに、子どもたちの声を聞きに来たのですけれど」
やってきたのは金髪の美女だ。
誰だろう。
「どなた様でしょう?」
出迎えるボクを見て、その美女はハラハラと涙をこぼした。
「……ああ……! 遂に……遂に、この時がやってきたのですね。わたくしを死出の旅路に導いて下さる御方様。本当に、本当に、お会いしとうございました。悠久の責め苦のなか、わたくしはただ貴方様への思慕を募らせながら、耐えて参りました」
言っていることが、よく分からない。
困惑するボクに、彼女が極上の笑みを浮かべる。
「さあ、愛しい貴方様。どうぞわたくしを、ベルローザを殺して下さいませ」




