噂話
とある日の昼下がり。
ボクは孤児たちに、所用で出掛ける旨を告げてから孤児院を出た。
行き先は聖都の外れにある大衆酒場である。
まだ陽の高い時間帯だというのに、店内から外まで喧騒が漏れ伝わってくる。
ボクがここにやってきた目的は、情報収集だ。
少し知っておきたいことがあったのだ。
立て付けの悪いスイングドアを押すと、ぎぃと蝶番が軋んだ。
中に入る。
酒場は僧兵くずれや粗野な風体の酔客でいっぱいだ。
いつだったか捕食したむくつけき中年男性に擬態したボクは、賑わう店内を見回して、昼間っから飲んだくれているひとりの男に目をつけた。
その彼の席まで歩いてから声を掛ける。
「よう、あんた」
男が重たそうに顔をあげた。
「……んだぁ? 俺になんか用か?」
「ははっ、もう随分と出来上がってるみたいだな。ここ相席いいかい?」
「相席ぃ? 俺ぁ見知らぬ無骨な野郎と飲む趣味はねえよ。席なら他にも空いてんだろ。あっちいけ、あっち。しっ、しっ」
「そう連れないことを言うなって。実はよ、ちょっと聞きたいことがあるんだ。一杯奢るから、話を聞かせてくれ」
ボクは無理やり席に座ると、すぐにエールを二杯注文した。
届いたそのエールの片方を、相席した酔っ払いに差し出す。
「ほらよ。とにかくまぁ飲んでくれ」
「……ん? ああ、そんなに言うなら、貰ってやるけどよ」
渋々な言葉とは裏腹に、酔っ払いの男はいそいそとした態度で木製ジョッキを持ち上げた。
傾けてから、すぐに口をつける。
彼はごくごくと喉をならして、あっという間にエールを飲み干した。
「ぷはぁ! うめぇー!」
空になったジョッキを、叩きつけるみたいにテーブルに置く。
「ふぃー、ごちそうさん」
「おう。まだ飲んでくれていいぜ? 好きなように頼みな」
「へへっ、そうか? なんか悪りぃな。そんでお前、俺に聞きたいことがあるんだよな? 言ってみな」
◇
ボクはこほんと咳払いをし、話を改める。
「なぁアンタ、『ベルローザ・シンスベル』って名前の騎士を知ってるかい?」
「……ああん? それって聖堂騎士さまの名前だろ。知らねえ訳がねえ。序列十三位『博愛』のベルローザだ。そんな当たり前の話を聞いてくるたぁ、さてはお前さん、よそもんだな?」
「ああ、実はそうなんだ」
ボクが同意すると男は「だろうな」と頷いた。
「聖都の人間なら十三人の聖堂騎士の名前くらい、みんな知ってる。俺だってこの聖都ベルンに住んでんだ。ガキん頃はもちろん聖堂騎士ごっこもして遊んだし、そりゃあベルローザ様についても名前くらいは知ってるに決まってらぁな」
「そうかい。そりゃ良かったぜ。それでその『博愛』のベルローザってのはどんな人物なんだ?」
ボクが知りたかったのはこれだ。
院長室にあった帳簿資料から、うちの孤児院に多額の支援をしてくれているのが、そのベルローザなる女騎士だということは分かっている。
けれども知っているのはそれだけだ。
ところでボクは、この聖エウレア教国で孤児たちと家族として末長く暮らしていくつもりである。
けれども基本的に聖女や聖堂騎士といった存在に関わるつもりはない。
君子危うきに近寄らず、というやつである。
しかしベルローザだけは別だ。
なんといってもその聖堂騎士さまとは、孤児院の支援という形で既に関わってしまっている。
それに孤児たちが言うには、彼女はちょこちょこみんなの様子を見に院までやってくるらしい。
であれば、遠からずボクとも出会うことになる。
だからその前に、ボクはそのベルローザなる聖堂騎士について知っておきたかったのだ。
もし危険な人物なのであれば、事前に対策を講じておく必要がある。
「あー、ベルローザ様なぁ」
男は追加注文したエールを煽りながら話す。
彼が言うには、なんでも聖堂騎士はこの国の男たちにとって憧れの的で、宴席の場なんかでもよく話題になるらしい。
やれ、聖堂騎士で一番強いのは序列一位『彗星』のダスクールで決まりだだの、いやいや序列二位『逆巻』のアズライトも負けてないぞ、なんて具合に盛り上がる。
けれどもそんな話に、ベルローザの名前はあまり上がってこないらしい。
というのも、彼女は教国の大事な式典なんかにもほとんど姿を現さず、国民の間にあまり細かく認知されていないらしい。
だから人気がない。
ベルローザが聖堂騎士のなかで序列最下位だというのも、話題に上がらないことに関係あるのだろう。
「そうか。あんまり人気がないってのは分かったよ。他にベルローザについての話はないか?」
「ああ、そういえば……」
男がふと何かを思い出したようだ。
ボクは耳を傾ける。
「前にこんな話を聞いたことがあるぜ? なんでもベルローザ様はなぁ、誰も殺さないんだと」
「殺さない?」
「ああそうだ。敵も味方も、だぁれも殺さないらしい」
「敵も? そりゃまたなんでだ?」
「んなこと、俺が知るかよ」
教国と帝国は戦争中だ。
なのに教国の力の象徴たる聖堂騎士が、そんな生温いことで許されるのだろうか。
「ともかく聞いた話だと、倒した敵もその場で逃しちまうんだとさ。それで枢機院はカンカンらしいぜ? まぁあくまでただの噂で、ホントかどうかなんて分かりゃしないんだけどな」
「ふむ……」
ボクは考える。
もしかするとベルローザという聖堂騎士は、物凄いあまちゃんなのかも知れない。
博愛なんて二つ名を授かっていることや、うちみたいな孤児院に援助をくれていることからも、恐らくは心根の優しい人物であろうことは想像に難くない。
けど、騎士としてはどうなんだろう。
「なぁ、ベルローザってのも国を代表する騎士の端くれなんだろ? なら剣の腕はどうなんだ?」
「そりゃ聖堂騎士なんだし、弱くは――いや、待てよ? たしかそれも噂で聞いた覚えがあるな。ええと……」
男はしばらく考えてから、また思い出した。
「そうだ、そうだ。たしかベルローザ様は剣術の腕前はからっきしって話だぜ? ずっとシンスベル家の屋敷から出ずに、蝶よ花よと育てられてたんだとか。……あれ? でも変だな。聖堂騎士って名前だけじゃねえんだよ。ちゃんとした実力がないとなれない筈なんだが……」
彼の話をまとめるとこうだ。
ベルローザという人物は、おそらく大層お優しく敵も殺せないお嬢さまである。
騎士としての実力も不確かな未熟者。
それなら問題ないとボクは思った。
きっとベルローザは、政治的な都合で聖堂騎士に任ぜられただけのお飾りなのだ。
ならいずれ出会うことになるといっても、どうとでもあしらえる。
それほど警戒する必要はないのかもしれない。
「ともかくだ。ベルローザ様について、俺の知ってる話はこんなところだ」
「そうかい。いや為になった。助かったよ。色々教えてくれてあんがとさん」
「いいってこった。それよりこんなにたくさん話してやったんだ。感謝してるってんなら、帰る前にあと少しくらい、奢りやがれよ」
ボクは軽く肩をすくめて、椅子から腰を浮かせる。
最後に男の分のエールをもう一杯頼んでから、酒場をあとにした。




