孤児院
血みどろで薄暗い部屋。
ボクはその真ん中にうずくまり、ほんの数分前まで家族だった男女を捕食していた。
父だった男の肉を、貪り食う。
母だった女の皮膚を、溶かして啜る。
千切れた四肢が無造作に転がっていた。
その中から腕を一本拾い上げて食べる。
グチャグチャと汚らしい音が響いた。
部屋中を隈なく赤く染めた血を指でなぞり、細切れになった肉片に齧り付く。
美味しい。
美味しいのだけど、……少し哀しい。
拾った腕を眺めた。
この腕はまだボクが彼の息子でいられた日々に、ボクを大切に抱きしめてくれた太い腕だ。
愛を与えてくれた腕だ。
それは母の優しい手のひらだって同じこと。
それらをこうして食べる羽目になってしまったことが、ボクには哀しく、どうしようもなく遣る瀬なかった。
◇
街道を抜け、都市に着いたボクは、ふたたび家族作りを始めた。
ユウナの家族でコツは掴んである。
さっそく幸せそうな家族を見繕って潜りこんだ。
今度こそうまくいくだろうと、ボクは意気揚々だった。
けれども結果は、惨憺たるものだった。
どうやっても、なぜか最後には擬態がバレてしまうのだ。
子に擬態しようとも、親に擬態しようとも、どちらも結果は同じだった。
すこし例を挙げてみよう。
例えばとある母子家庭の母親に成り代わったときは、理由もなく子が泣き止まなくなった。
だから殺すしかなかった。
老婆に擬態して大家族に潜り込んだときは、いつの間にか正体がバレていて一家総出で襲われた。
だから皆殺しにするしかなかった。
「……ふぅ。……なんで上手くいかないんだろ……」
自然とため息が溢れる。
ボクは食事の手を止めていた。
ただ誰かに愛されたいというだけなのに、誰もボクを愛してくれない。
それどころか擬態を見抜かれた途端に、それまで優しくしてくれた家族の誰もが決まって態度を翻し、化け物だなんだと泣きながら口汚なく罵ってくる。
こんなの理不尽というほかない。
正直もううんざりだ。
けれどもボクは、どんなに辟易していても愛されることを諦められない。
愛されたい。
それは最早ボクの宿願だ。
だからボクはうんうんと唸りながら、いつものように愛される方法を考える。
どうすれば愛を得られるのだろうかと思い悩む。
毎日考えた末に、やがてボクはあることに気付いた。
……もしかして、愛は奪えないのか?
ああ、なるほど。
すとんと腑に落ちる。
恐らく愛は奪えるものではないのだ。
きっとそうだ。
ボクが失敗続きだった理由はこれだ。
これまでボクは、誰とも知らぬ家族の一員に成りすまして、既に出来上がった愛を横から掠め取ることばかりに固執していた。
けれどもそれは悉く失敗に終わった。
つまり、そもそも愛とは誰かから奪えるような類いの感情ではないと結論せざるを得ない。
なるほどと手を叩く。
失敗の原因は理解した。
けれども納得は出来ない。
とにかくボクは愛されたくて堪らないのだ。
ならば、どうすれば良いか。
思い至った答えは、至極簡潔で真っ当な方法だった。
奪えないのであれば、育むしかない。
誰かの育てた愛を奪うのではなく、ボク自身が一から家族を作り、慈しみ、愛を育んでいく。
そうしてやっとボクは誰かに愛されるという願いが叶い、ボクを苛み続ける孤独から解放されるのだろう。
そうに違いない。
「……よし、そうと決まれば……」
食事を再開する。
もはや不要になったかつての家族の残骸を、余さず平らげていく。
そして適当な人間の姿に擬態したボクは、しばらく世話になった家を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
都市を転々としたボクは、聖エウレア教国第一の都である『聖都ベルン』に辿り着いていた。
ここは聖女のお膝元だ。
大聖堂や神殿がある。
聖都なんて銘打たれているだけあって、教国でもっとも活気があり、発展していて人口も多い。
人が多いのは良いことだ。
それはつまり、食糧に事欠かないということである。
ボクは以前犯した失態から学び、空腹に注意を払うようになっていた。
こういった華やかな都市には裏の側面が必ずある。
例えば犯罪組織がある。
それにスラム街なんかもあったりする。
ボクはお腹が空いたら、そういった場所で適当なホームレスや犯罪者を見繕い、捕食することができた。
これなら飢えと無関係でいられる。
とてもありがたかった。
聖都にたどり着いたボクは、さっそく孤児院の院長に成りすました。
目についた院に忍び込み、そこの院長をしていた優しげな初老の婦人を捕食して、立場を頂戴したのだ。
目的は言わずもがな。
孤児たちを、ボクに従順な家族へと育て上げることである。
ボクだけに向けられる愛を育んでいくことである。
果たしてボクはうまくやれるだろうか――
◇
院長になりすましてから数日が経過した。
今のところ、取り立てて大きな問題は起きていない。
ところで、これから当院は昼食の時間である。
ボクは食堂に集まった孤児たちを眺めた。
子どもたちは、はしゃいでいる。
「俺、腹減ったよー」
「俺も……って、うわっ⁉︎ 見てみろよ! 今日のスープには肉が入ってるぞ!」
「マジ⁉︎ やりぃ! 」
育ち盛りでお腹を空かせた彼らは、食事を前にして目を輝かせていた。
その大半は、十歳にも満たない子どもばかりだ。
彼らはみな朗らかで、健やかに育っている。
これは初老のあの院長が親代わりとなり、孤児たちに惜しみない愛情を注いできた証左に他ならない。
これからはボクが彼女になって、院長としての役目を引き継ごう。
新しい孤児だって、見つけて育てよう。
そうやってボクらは家族になっていくのだ。
この孤児院は恵まれていた。
というのも当院は、幸運にもとある筋から多額の援助を得られていたのだ。
経済的に余裕があった。
だから孤児たちは毎日の食事をちゃんと摂れているし、発育もよい。
援助をくれているのは『博愛』なんて二つ名を名乗る、女の聖堂騎士さまだ。
月ごとにまとまったお金を渡してくれる。
きっと心根の優しい女性なのだろう。
もしその騎士さまが真に博愛精神を持っており、ボクのことも愛してくれるのなら、ぜひ一度お目に掛かってみたい。
愛に飢えたボクは、ついそんなことを考えてしまう。
「院長せんせー! お祈りまだぁ?」
「おれ、腹減ったよぉ!」
孤児たちが食事を急かしてきた。
院長に化けたボクは、思考を中断して、苦笑しながら彼らの要望に応える。
「はい、はい。それじゃあ食事にしましょう」
わっ、と歓声があがる。
「いえーい! 待ってました!」
「あたし、お腹ぺこぺこぉ」
「ふふふ、少し待たせてしまいましたね。それじゃあ食事の前に、聖女様にお祈りを捧げますよ。さぁ、みんな。手を組んで」
「はぁい」
ボクは孤児たちと一緒に手を組み、祈りの言葉を捧げる。
初代聖女に感謝を伝えるのだ。
これは信心深い教国国民の慣習である。
「聖女エウレア。おん恵みによって共にいただくこの食事を祝したまえ」
ボクがそう言うと、子どもたちが続く。
祈りを終えると、孤児たちは我先に手を伸ばした。
硬い黒パンを千切って頬張り、具が少なくて食いでがしなさそうな肉のスープを、ごくごくと飲み干していく。
どの子もとても健啖だ。
みなが食事に夢中になっている。
けれどもその中に一人だけ、食事を摂らずにボクをチラチラ見ている男の子がいた。
不安げな表情を隠しきれていない。
「なんだよフーゴ! 全然食ってないじゃん! 食わないなら俺がもらうぞ!」
他の元気な孤児にちょっかいを出されている彼の名はフーゴ。
九歳の男の子だ。
ボクはその子の席まで歩いて行き、小さな肩を叩いた。
優しく微笑みながら話し掛ける。
「フーゴ、どうしたのですか? ちゃんと食べないと大きくなれませんよ」
肩を叩いた途端、フーゴはオロオロし始めた。
キョロキョロと左右に目を行き来させ、小刻みに身体を震わせている。
ボクは思った。
もしかして、これは怯えられている?
「あ、あの……院長せんせい、ぼ、僕……」
ああ、そうか。
この子はきっと勘の鋭い子なのだろう。
恐らくボクの正体に気付きかけている。
子どもの中にはいるのだ。
どれだけボクが完璧に擬態をしても、ほんの些細な違和感をとっかかりにして正体を見抜いてくる者が……。
ここにくるまで何度も家庭崩壊を繰り返してきたボクは、そのことを既に知っていた。
厄介な存在である。
ボクは思わず真顔になり、フーゴを見つめた。
目があうと、彼は震えながら小さく悲鳴を漏らす。
「――ひっ⁉︎ ご、ごめんなさい! 院長せんせい、ごめんなさい!」
「……なにを謝っているのです? とにかく、はやく食べなさい」
冷めた声で命じる。
すると男子はこくこくと何度も頷いてから、慌てて食事を始めた。
パンを喉に詰まらせて、げほげほと咳き込む。
「ほら、そんなに急いで飲み込もうとするからですよ。ちゃんと、ゆっくり噛んでから飲み込みなさい」
フーゴは咳き込んで涙目になりながら、必死に頷いている。
ボクは彼の背中を優しく撫でながら、耳元に口を寄せて囁いた。
「……ああ、それと。フーゴ、食事が終わったら、あなたは院長室にくること。ひとりで来るのですよ? ……いいですね?」
フーゴは握っていた黒パンをぽとりと落とす。
それを眺めてから、ボクは席に戻った。




