死にたがり
ベルローザの生家であるシンスベル家は、もとはロマノ聖帝国に端を発する由緒正しい騎士の一族だ。
その歴史は数百年の長きに遡る。
しかしかつて聖エウレア教国が興り、帝国から独立した折りに、当時の当主は初代聖女エウレアについて南の地へとやってきた。
以降は教国において、代々聖堂騎士を輩出する家門になった。
◇
シンスベル家には時折り聖眼を開眼させる才能を持った子どもが産まれてくる。
聖眼とは五つの超常現象を引き起こす、特殊な力を備えた眼のことだ。
身体能力を飛躍的に高める、壱の聖眼・色界眼。
魔力を増大し可視化させる、弐の聖眼・神通眼。
他者の内なる願いを聴く、参の聖眼・他心眼
過去、現在、未来の出来事を視る、肆の聖眼・天眼。
運命を司る最後の聖眼、伍の聖眼・宿命眼。
どれもが一級の能力である。
修行により壱から伍に向かって段階的かつ後天的に開眼していくこの能力は、通常であれば壱の聖眼・色界眼を会得するだけでも相当な才能と鍛錬が必要だった。
その難しさは参の聖眼までを開眼できたものが、名門シンスベル家、歴代当主の中でも数えるほどしかいなかったことからも推しはかれる。
伍の聖眼に至っては一族の始祖となった超常の老騎士が、死の間際のわずかな時間会得できただけである。
壱が会得できれば御の字。
弐まで開眼できれば天才。
そんな脅威の力だ。
だが聖堂騎士序列十三位『博愛』のベルローザは、生まれつき伍まで全部の聖眼を開眼していた。
しかしながら、そのすべての眼が暴走していた。
◇
ベルローザの聖眼は、彼女が産声をあげた瞬間に壱から伍までのすべての力が発露し、暴走し始めた。
何もせずとも壱の聖眼・色界眼により身体能力が強化され続ける。
弐の聖眼・神通眼により魔力が増大し続ける。
肉体にかかる負荷は熾烈なものだった。
当然ながら、生後間もない赤子に耐えられるようなものでは到底ない。
ベルローザは世に産み落とされてすぐ、高熱を発し、悶え、苦しみ抜いて、あっけなく死んでしまった。
しかし彼女が亡くなると同時に奇蹟が起きた。
他の聖眼と同じく狂いだした伍の聖眼は、彼女が逝くことを許さなかったのだ。
伍の聖眼・宿命眼は、運命を司る。
極めつけの力だ。
この眼は当人の意思とは無関係に宿命を定め、因果すらもねじ曲げる。
まさに神が如きこの眼の力により、ベルローザは死ぬことを許されなかった。
暴走した聖眼は、絶え間なく彼女を責め立てる。
ベルローザは何度も死んだ。
しかし、その度に因果が逆転する。
ベルローザは死ななかった。
望みもしないのに、何度も何度も繰り返される奇蹟。
彼女には死という誰にも等しく訪れるはずの安寧は、決して与えられなかった。
それは終わりなき責め苦だ。
制御不能に陥った聖眼の力は、彼女にこの世すべての嘆きや痛みを凝縮して味わわせながら、なおも暴走し続ける。
苦しみを与え続ける。
やがてベルローザは、己が死を渇望するようになっていった。
こうしてシンスベル家には、過剰なまでに肥大した力をただ持て余すだけの、壊れた怪物が誕生した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
産まれたての赤子は何度も死に続けながら成長する。
ベルローザは齢十二になっていた。
この頃にはもう彼女の精神は、すっかりと摩耗し切っていた。
誰が話し掛けても、ろくに返事をしない。
視線も合わせない。
ただ虚ろな瞳を虚空に彷徨わせ「……殺して……殺して……」とうわ言みたいに呟くだけだ。
まるで壊れた人形である。
だがベルローザは、壊れてなお休むことを許されなかった。
暴走した参の聖眼・他心眼が、彼女に周囲の人間たちの秘めたる願いを届けてくるのだ。
『……どうして誉あるシンスベル家に、こんな化け物が産まれたのか。死んで欲しい……』
『……奥さまは異形とでもまぐわったのではないか。さもなくばこんな怪物が産まれるわけがない。気持ちが悪い。死ねばいいのに……』
『……気味の悪い化け物。醜く生にしがみ付いていないで、はやく死んでしまえ……』
耳を塞ごうとも、否応なく聞こえてくる。
脳裏に直接響いてくる。
ベルローザは常に悪意に囲まれていた。
しかし屋敷の奥に幽閉された彼女には、少女が真っ当な大人に育つために必要な、当たり前の価値観すら持ち合わせる機会がない。
ベルローザは届いてくるすべての願いを、擦り切れた心でただその通りだと受け止め続けた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
死を願うばかりの苦痛に満ちた日々。
しかしベルローザには、たったひとつだけ、胸の内に残された微かな希望があった。
それはいつか彼女の身に訪れるかもしれない、死への旅路の可能性だ。
暴走した肆の聖眼・天眼が伝えてくる。
目を瞑ってもまぶたを通り越して伝わってくる。
それは過去、現在、未来を一緒くたにして、ドロドロにかき混ぜたような、朧げで不確かなビジョンだ。
ベルローザの脳裏には、いつも無規則で出鱈目に繋いだパズルピースのような風景が流れ込んでいる。
そのピースのひとつに、自らが何者かに殺害されている未来があった。
ベルローザは必死にピースを手繰り寄せる。
そこに描かれた風景は、四肢を千切られ、腹を抉られ、ぼろ雑巾のようになりながら血の海に溺れている自身の姿だ。
彼女は胸を熱くした。
倒れ伏したベルローザのすぐ傍――
そこに不定形で粘着質な身体を持つ、まるでヘドロみたいな姿の凶々しい魔物がいる。
廃人になったベルローザは、このビジョンを視たときだけは正気に戻る。
瞳に狂気を宿し、恋をする思春期の少女みたいに熱に浮かされた表情をうかべる。
この怪物が、いつか自分を殺しに来てくれるのだろうか。
もしそうなら、それこそが救いだ。
カサカサに乾いた唇から艶めいた吐息をこぼす。
「……ああ……殺して……。どなたかは存じ上げませんが、……はやく、わたくしを、殺してくださいな……」
彼女はただ、死の瞬間が訪れるのを待ち侘びていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
死にたがりのベルローザは、暴走し続ける聖眼を抱えたまま齢十八になっていた。
そしてこの年、シンスベル家の先代当主が亡くなった。
聖堂騎士でもあった先代は、長く続くロマノ聖帝国との戦乱の末に戦死してしまったのだ。
後継の男子がおらず、けれども没落を恐れたシンスベル家は焦った。
まともな精神状態とはとても思えない長女ベルローザを、一時的に家長に据える。
またベルローザは無理やり聖堂騎士へと推薦された。
これはシンスベル家にとって、次女が成人するまで残り一年を凌ぐための苦肉の策であったが、ベルローザにとっては僥倖だった。
聖堂騎士に推薦されたベルローザは、聖女ララマリーに拝謁する栄誉を賜る。
そして聖女とのこの出会いが彼女に、死とはまた別の救済を導くのだった――




