反旗
ブリック王は自らが謀反の対処に向かっている間に起きた戦の結果に驚いたようだ。
ローランドは例によって赤鬼から書類を渡すように言われて総督府へ出向いた先で、王と聖銀騎士団のギルバート、ミティスティが話している場面へ出くわした。
ギルバートは平伏し、謝罪していた。勝てたのは良いが、兵を多数失ってしまったことを引き合いに出し老人は己を責めていた。
「ギルバート、立て。今回の原因はテトラを生かしておいた私自身の甘さだ。ハイバリーの時に多くの者達が言うように殺しておくべきだったのだ。テトラに赤鬼傭兵団のカイを差し向ける。今までも奴なら互角だった。その間に戦を制するのだ」
ふと、階下から駆け上がって来る影があった。
聖銀騎士団の者だった。
彼はローランドを訝しげに見て飛び出した。
「騎士団長! ハイバリーが武装蜂起したと報せが入りました!」
「何だと!?」
ギルバートの驚きの声が反響する。
「陛下! すぐに鎮圧に向かいましょう!」
ミティスティが進言すると、ブリック王は応じた。
「ローランド、その方はどう思う?」
名を呼ばれ、気まずく思いながらローランドは物陰から廊下へ出た。
「またお主か」
ギルバートが驚いたように言った。
「書類を預かって来たんですよ。そしたらまた出るに出れない状況でして。それで、私の意見を言えば、今、大勢の兵を動かすのはベルファウストに隙を見せるに等しい行為です。ですが、ハイバリーの騒ぎは旧東方連合にも蜂起の火種を植え付けるかもしれません。早急に鎮圧すべきでしょう」
ローランドが言うとブリック王が尋ねた。
「兵を動かさずに反乱を鎮圧できるというのか?」
「いいえ、それは無理です。相応の兵は使うでしょう」
「話が読め無いけど、ローランド」
ミティスティがこちらに歩み寄りながら尋ねてきた。
「少数精鋭ならば可能かと」
ローランドが言うとギルバートが言った。
「だが、テトラの問題がある。悔しいがあの若造は古今無双の者だ。兵は差し向けるだけ斬られるだろう。ワシとミティスティ殿とクロノスのバトーダをまとめて相手にしても引けを取らなかった」
ローランドは軽く笑った。ギルバートがムッとした顔になる。
「そこは陛下御自身がおっしゃいました。我が赤鬼傭兵団のカイならば互角に渡り合えますし、戦が終わるまで押さえておけるでしょう」
「そのカイとか言う傭兵はそこまで強いのか」
ギルバートの問いに応じたのはブリック王の賛同の頷きだった。王は冷厳な眼差しを向けた。
「ローランド、お前の言う少数精鋭とは赤鬼のことだな?」
その問いにローランドは頷いた。
「正規兵一千、二つの騎士団、クロノス傭兵団、そこにカイがいるのならば守りは鉄壁でしょう。攻めるには兵は少なすぎますが」
ギルバートとミティスティが揃って喉を唸らせる。王は頷いた。
「赤鬼に賭けるしかあるまいな。カイは置いて行け、太守にはムッツイン伯爵を起用しよう。おい、お前、ムッツイン伯爵を早急に呼び出せ」
ブリック王が言うと伝令の兵士は頷いて矢のように駆けて行った。
こうして赤鬼傭兵団はハイバリーへと向かうことになった。
2
赤鬼の行軍は粛々と行われていた。
先導をロッシ中隊長とカティアが務める。
フレデリカは二列縦隊の中軍でルクレツィアと共にいた。
フレデリカには風景が目に入って来なかった。ただ成熟した兄の姿と声がひたすら脳裏を過ぎった。何度もバッフェルの者でも敵なら斬るといったが、いざ目の前にして決心が鈍ってしまったように思った。兄はサーディスを評価していた。だからこそ、スラム街に出向いてサーディスの特訓を受けることに表立って反対を唱える者はいなかった。父と母らはどこの馬の骨とも分からぬ下賤な者とサーディスを言ったが、兄のダインが戦場での働きを称賛し、立派な一人の戦士になりたいというフレデリカの願いを手助けしてくれた。
その後、何も言わずに家を飛び出したのは不義理だったかもしれない。兄のダインは指揮官として優秀だが、剣の腕も悪いわけでは無い。だが、まともに戦えば修羅に身を置いていた自分が勝つだろう。
フレデリカは想像していた。兄と剣を交え、圧倒し、剣を弾き、兄の肩に剣を乗せることに。その後、兄は果たして何と言うだろうか。誇りある家の者として「殺せ」というのだろうか。
「フレデリカ!」
「フレデリカってば!」
左手をグイと引っ張られ、反射的に右手を腰の柄に伸ばしてた。
ルクレツィアが不安げな顔をしていた。
「どうした、ルクレツィア?」
「休憩だってさ」
見れば他者達は馬から下り、干物などの携帯食料を口にしていた。
「クロノス傭兵団にはコックがいるらしいよ」
地面に並んで粗食を口にしているとルクレツィアが言った。
「コックか。戦場に身を置くと美味く温かい食事が恋しくなる」
「だよね。後で赤鬼に直談判してくるわ。うちでもコックを雇いなさいって」
ルクレツィアが溌溂としたように言うが、その顔が徐々に曇って行く。
「お兄さんのこと考えてるの?」
「……ああ。どうしても考えてしまう」
「考えるのも無理は無いけど、やらなきゃやられるわよ。あたし、フレデリカには死んでほしくない。他のみんなもだけど。サーディスならこういう時どう言ってくれた?」
フレデリカは弾かれたようにサーディスのことを思い浮かべる。
サーディスは笑っていた。
「これが戦、傭兵の宿命って奴さ。その優しさを捨てろ。お前が死んで悲しむ奴だっていることを忘れるな」
フレデリカは無意識のうちにそう口走っていた。
ルクレツィアが瞠目していた。
「すごい、あたしもサーディスに会いたかったな」
「彼ならいつも私達の側にいる。ルクレツィア、あなたもサーディスを感じられる時が来るわ。その時は厳しい時かもしれないけれど」
「うん」
フレデリカは思い返す。サーディスならば本当にそう言っただろうか。今のはあくまで自分の憶測が生んだサーディスだ。だが、それでも少しだけ迷いは晴れた。そしてルクレツィアがずっと心配し心を痛めていてくれたことを察した。
「ルクレツィア」
「うん?」
「ありがとう」
「うん」
妹分の彼女は満足そうに笑って見せた。フレデリカはその赤く長いクセ毛を撫でた。
「出立するぞ!」
前方からロッシ中隊長の声が聴こえ、フレデリカにルクレツィア、傭兵らは腰を上げたのだった。