胸の内
大通りで馬糞拾いの仕事をしている子供を時折見ながらローランドは誰が拵えたのか分からない木のベンチに腰掛け、剣の刃に砥石を走らせていた。馬糞拾いの子供は十歳ぐらいだろう。同じ頃、自分も馬糞拾いの仕事をしたことがあった。人がやりたくないことをするのがローランドは好きだった。嫌がらせなどではない、汚いものを処理して感謝されたり、そういうものだ。こう無頓着じゃ無ければ傭兵も務まらなかったかもしれない。噴き出る血に溢れる臓物。それらを見てある程度正気を保っていられたのもそのおかげだと思う。
ふと、ローランドは顔を上げた。
馬車が走って来る。馬糞拾いの少年は気付いていない。それどころか、そちらへ飛び出そうとしていた。
「危ない!」
ローランドが叫んだ瞬間、影が飛び出し、子供を抱き締めてこちらへ転がった。
最初、ローランドはそれがサーディスかと思った。だが、見間違いは一瞬で、それがリョウカク、ブリック王だと気付いた。
「小銭稼ぎも良いが夢中になり過ぎるな。命は一つしか無いんだ」
ブリック王、いや、リョウカクだろうか、が、言うと子供はお礼を言って再び仕事へ戻って行った。
「陛下? あるいはリョウカク殿?」
ローランドが問うとリョウカクはバイザーを上げた顔を冷厳にし、後者だと応じた。
ならばと、ローランドも気を楽にした。
「巡察ですか、太守殿」
「……そんなところだ」
リョウカクは歯切れ悪く応じた。
ローランドは席を譲ろうとしながら周囲を見るが、今日はミティスティもいなければ、殺気を隠すのが下手な正規兵の供もいない。
「総督府まで送りましょう」
「出てきたばかりだ。たまには私にも息抜きをさせてくれ」
リョウカクはそう言いベンチには座らなかった。
「傭兵、路地裏へ来い」
その言葉の真意を図りかね、ローランドに分かったのは人目につきたくないということぐらいだった。雇い主の命令とあらばとローランドは腰を起こした。
二人は並んで歩んで行った。通り過ぎるときに町の若い女性がリョウカクを見て頬を染めたのをローランドは見逃さなかった。
「太守殿はミティスティ殿の愛には応えられないのですか?」
路地裏に入り、物乞いの前を通り過ぎ、道の半ばまで差し掛かるとローランドは尋ねた。
不意にローランドは目を見開き剣を鞘走らせた。物凄い斬撃が衝突した。
リョウカクの目も見開かれていた。
「傭兵、少し剣の相手になって貰うぞ。お前程度なら殺してしまっても誰も悲しむまい」
「妻と子供がいるんですよ、こう見えて」
「お前の首を妻と子に送ればどういう顔をするだろうな」
その問いにローランドは笑った。
「いくらリョウカク殿と言えど、相手が悪い。うちの妻は天下無双ですよ」
「そうか」
リョウカクは軽く笑い、笑みを引っ込めると踏み込んで来た。
ローランドは受け止めた。剣と剣が激突する。リョウカクはどうやら本気で挑んで来ているようだ。ローランドもこの太守、いや、主君、いや、雇い主が騎馬を駆れば無双の働きをすることを知っている。だが、徒歩ならどうかは分からない。
リョウカクの目を凝視する。
「私はフレデリカ殿が好きだ」
リョウカクが踏み込み打ち込んで来る。なかなか速い。だが、腰が甘い。ローランドは指摘せず、反撃もせず悩める若者の捌け口となる事に決めた。
「だが、義姉が、ミティスティが私を好いていてくれることも嬉しい」
剣が次々、縦横無尽に襲い来る。鋼の音が高らかに鳴り響き、リョウカクの殺気を感じたのか、物乞いが逃げ出した。
「フレデリカのどこが好きなんです?」
「彼女は母上に似ている! 私は幼くして本物の母上を亡くした!」
「フレデリカはあなたの母にはなれない」
「分かっている!」
「あなたは母と結婚したいのか?」
「っ!?」
一際力の入った一撃がローランドの剣を打った。
「分からんのだ、ローランド。フレデリカ殿が母で、ミティスティが嫁ならそれで良いのに」
ローランドは愛に飢えるまだなりかけの青年の顔を見た。苦痛に顔を歪ませている。
「フレデリカは諦めなさい。そしてミティスティ殿をもっと大切になさい」
ローランドが諭すと十近く年下の青年は顔を上げた。
「何を知っているんだローランド?」
純粋に尋ねている。
「フレデリカには好きな人がいます。既に故人ですが、彼女の愛は死ぬまで、いや、死んでからもその者に注がれるでしょう。彼の名はサーディス。あなたと同じ黒い外装が好きな男でした。あれこそ最強の、いや、最高の戦士でしょう。あれほどの戦士を私は知りません」
ローランドが言うとブリック王は剣を止めてこちらを凝視していた。続きを待っている。
「フレデリカはサーディスの意志を継ぐ者として、サーディスが残した奥義を伝え歩いています。と言っても、弟子は三人ぐらいしかおりませんが」
「サーディス流は強いのか?」
「強いです。ええ、強い。心まで陛下の持たれる剣の鋼の如く強くなれる」
ブリック王は口を真一文字に結んだ。剣を振り上げる。振り下ろされた剣に力は無かった。
「ローランド」
「何です?」
「今日お前と話せてよかった」
「そうですか」
「ミティスティはもう叩かない」
「そうなさいませ。陛下、ちょっとそこまで行きませんか?」
ローランドが剣を鞘に納めるとブリック王もそれに倣った。
大通りへ出ると、花屋の露天商がいた。売り子は可愛らしい女性だった。ブリック王と同い年ぐらいだろう。相手の方は王とは知らずに頬を赤く染めていた。
「お花はいかがです?」
女性が問う。
「花」
「ミティスティ殿に」
「……どれが良いだろうか?」
色とりどりの花を見て、王は戸惑っているようだった。
「どなたに贈られるのですか?」
店主の女性が尋ねる。まだ顔が紅い。こんなに可愛いのに王の方は顔色一つ変えやしなかった。それだけ今はミティスティを思っているのだろう。
「愛する人に」
ブリック王は躊躇うことなくそう言った。店主の女性が少し残念そうな顔をした。
「お選びましょうか?」
「ああ。だが、これだけは加えて置いてくれ」
それはひまわりだった。
途端に女性が面白そうに笑みを浮かべて適当に、いや、しっかりとした見事な花束を作った。
代金を支払い、そのままローランドは護衛として、王を、いや、太守リョウカクを総督府まで送り届けた。
「幸運を」
「……ああ。貴様と話せて良かった。礼を言う」
王にしては多弁だが、ローランドは嬉しくて笑んで頷いた。
その翌日、ルクレツィアが言った。
「聴いてよ、おじさん」
酒場で茶を飲んでいたローランドはそちらを見た。ルクレツィアは当惑気味だった。
「リョウカクの奴が、弟子入りしたいって来たのよ」
ローランドは先日のやり取りから青年が自分で実現可能な道を選んだのだと悟った。
「良いじゃないか。リョウカク殿は強い。君も強いし良いライバルになるぞ。ほら、姉弟子として弟弟子には優しくしてあげるんだぞ」
ルクレツィアは姉弟子という言葉と、ローランドが彼女の実力を認めたことに鼻を高くしたのか打って変わって笑って頷いた。
「あいつ、腰がいまいちなのよね。胴構えがなってないのよ」
「ははは、そうかい。だったら見本を見せて上げれば良い」
「そうね」
ややあってフレデリカが姿を見せた。
「どう、新弟子は?」
「素質は極めて高い。だが、兵の如く出すわけには行くまい」
「そこは自分で決めるだろうさ。子供の様で子供では無いんだ」
「そうだな」
ローランドが微笑むとフレデリカも軽く笑みを浮かべて満足そうに言ったのだった。