穴
先の戦で危機的状況を打開した赤鬼傭兵団は、皆、上機嫌で快勝を祝っていた。
フレデリカも何人もの敵を、カイと共に斬り捨てた。カイの成長は素晴らしいぐらいだった。弓術では既に師を超え、剣術も同様だった。彼に免許皆伝を告げるとカイは更なる高みを目指すべく赤鬼団長に教えを乞うた。
最近のフレデリカは一人でいることが多かった。いや、酒場にいれば誰かしらはいるが、彼女は孤独を感じていた。そしてあの日から埋まらない穴の存在も意識していた。
穴は深く、酒でも埋めることができなかった。酒はあまり得意では無いが、快勝の夜、お祭り騒ぎに興じて一人で飲みに飲んでいた。朝、起きれば、カウンターに突っ伏していた。薄手の毛布をローランドがかけてくれたことをフレデリカは酒場の主から教えてもらった。
朝食を取りに赤鬼傭兵団達が訪れた。
フレデリカは急に彼らとの壁を感じた。いや、皆が悪いのではない。自分が何故か壁を作ってしまっているのだ。
「フレデリカ、おはようさん」
ロッシ中隊長が声を掛けてきた。
「おはようございます、中隊長」
フレデリカは無理やり微笑んだ。ロッシ中隊長は自分を待つ者達の元へ歩んで行った。
待つ者。そうだ、私を待つ者はもういない。サーディスはいない。
そうか、私はサーディスに会いたいんだな。もう、師としての役目は終えた、サーディス流は受け継がれたのだ。もう、良いだろう、サーディス?
上の空で食事を終えて、仲間から離れ、治安維持の見回りをする。町は平和だった。まるで一歩外に出れば戦が起きていることなど誰も知らないかのように、そんな空気が漂っている。
私はもう充分に平和に貢献した。サーディス、どうだろう?
虚空を見上げるが答えは返ってこない。夜じゃ無ければ駄目だと思った。戦士達の星々じゃなきゃ声は届かないとフレデリカは思った。
だが、あいにくその日の夜は曇り空だった。雲の上では星は瞬いているだろうに。フレデリカは宿舎へは戻らず、路地裏の階段に腰を下ろし、夜を明かした。
空虚だ。
翌日、哨戒任務に抜擢され、周辺を回った。
「フレデリカ、最近、元気ないみたいだけど?」
優しい声で言ったのはカティアだった。サーディスの姉。サーディスは私が殺したが、許してくれた。女神のような人だ。
「そんなことは」
フレデリカが言うとカティアが抱き締めた。
慈母神のようなぬくもりにフレデリカは思わず涙を流した。
「行って」
カティアが囁き、他の者達を追い払った。
「何があったの?」
「何も無い、カティアさん。ちょっと虚しくなっただけだ」
フレデリカは離れて、少しだけ上背のある彼女を見上げて、涙を振り払った。
「辛いことがあれば相談に乗るからね」
カティアの言葉は優しかった。だが、まさか、弟を殺しておいてサーディスに会いたいなどとはさすがにフレデリカも言えなかった。
「ありがとう、カティアさん。さぁ、行こう」
フレデリカは心配げなカティアを見て努めて明るい声でそう言った。
哨戒任務を終え、フレデリカはワインを一本購入し、定位置と化した路地裏の階段の上に座った。
ワインの瓶を呷った。
今夜は月が出て星が瞬いている。どれがサーディスかは分からない。フレデリカは夜空に向かって声を掛けた。
「サーディス、私はどうだ?」
返事は返ってこない。と、思った時、フレデリカは背後に気配を感じた。
「誰かいるのか?」
振り返らず問う。
「俺だよ」
ローランドがそこに立っていた。
「この前は毛布をありがとう」
フレデリカはローランドと久々に会話をした気がした。
「甘ったれるな、フレデリカ! お前はまだまだ戦え! 戦い抜いて本物の勝利を掴み取れ!」
ローランドが声を上げ、フレデリカは驚いた。するとローランドは月明かりの下で微笑んだ。
「あいつならこういう気がしたんだけど、少し違ったかな」
「少し違うわね。私にもどこがどう違うかは分からないけど、サーディスの言葉にはもう少し重みがあった」
「そうだな。……サーディスに会いたいのか?」
ローランドが問い、フレデリカは頷いた。
「もう、私の役目は終わった」
「終わってないよ。少なくとも赤鬼には君は必要だ。みんな、当てにしている」
ローランドが隣に座った。
「サーディスはお前を信じたからこそ、全てを託しお前に殺されたんだ。あいつだって、本当はもっともっと生きたかったはずだ。病さえなければ」
「ローランド、あなたは私にサーディスの分まで生きろと言うのだろう? もう、無理だ。私は限界だ」
フレデリカがそう言った時だった。
「何揃ってしけた面してやがる」
聞き覚えのある懐かしい声が正面から聴こえた。
黒衣の戦士は立ち止まった。
「サーディ!」
「待て!」
ローランドは飛び出そうとするフレデリカの手を掴んだ。
「お前誰だ!? サーディスに成りすまして、いくら何でも趣味が悪すぎるぞ!」
ローランドが声を上げると、サーディスは言った。
「フレデリカ、お前は良くやった」
サーディスが温かみのある声でそう言った。
「じゃあ、連れて行ってあなたのところへ! 私、空っぽなの! あなたがいれば全て埋まるわ!」
フレデリカは声を上げた。ワインの瓶が手から滑り落ちたことなどにも構っていられない。サーディスが居る。サーディスがいるのだ。
フレデリカはローランドの手を振り切り、サーディスに跳び付いた。サーディスの甲冑が鳴る。彼を抱き締めると、サーディスも抱き締め返してくれた。
「お前の人生が空虚なものか。頭を冷やしてもう一度、思い出せ、お前にとって大切な人達のためにお前は戦うんだ。そして、そこの腐れが言ったろう。俺の分まで生きろ、フレデリカ」
サーディスはフレデリカの両肩に手を置き、兜から露出した目で凝視した。
「できない」
「できなくはない。自分でそう決めつけちまったら、何もできなくなる。希望を持て、お前の弟子はまだまだお前を必要としている。仲間達もな。俺が戦列に加われないのは残念だが、フレデリカ、俺の穴を埋めるのはお前だ」
「私があなたの穴を埋める?」
「そうだ。剣を振るえ。弓を射ろ。槍を振り回せ、盾で殴りつけろ。お前は一人じゃない、戦場ではいつも俺が一緒だ。良いな、俺のところへ来ようなんて考える暇があったら戦って苦戦して勝って俺を共に楽しませろ」
「サーディス……」
フレデリカは相手の目から片時も目を放さず頷いた。
するとサーディスはフレデリカの背の向こうを見てニヤリと口元を歪ませた。
「おい、戦友! フレデリカと姉貴のこと頼むぜ!」
「任せろ、戦友!」
ローランドの嬉しそうな声が応じた。
すると、サーディスの身体が徐々に闇にとけ始めた。
「サーディス」
「生きろ、お嬢さん。良いな? 何があってもだ」
サーディスはフレデリカの頭を一撫ですると、消えて行った。後には闇の静寂が残るのみだった。
「こんなことがあるとはなぁ。人生って分からないもんだぜ、フレデリカ。うわっと」
「そうだな、ローランド」
ペケサンがローランドの脚を上り腰の皮袋へ入り込んで行った。
「頑張れそうか?」
ローランドが問う。
「頑張れる。私はサーディスと共に戦う」
フレデリカは身体が熱かった。誰よりも何よりも素晴らしい激励をフレデリカは貰った。赤鬼傭兵団にサーディスの居場所を作るのも私の役目だ。サーディスの席は誰にも見えないだろう。私だけが知っている席だ。
「じゃあ、今日こそ宿舎へ戻ろうぜ。明日はカティアに一言言っておけよ。彼女はお前の様子がおかしいことに不穏な気配を感じていたからな。安心させてやれ」
「ああ。ありがとう、ローランド」
「サーディスの導きを見られて良かった。俺の方こそ礼を言う。次からの戦は今まで以上に燃えようぜ」
「そうだな」
二人は歩き始めた。広大な夜空に広がる星々の中、どれがサーディスなのかは分からない。だが、分からなくてもいい。戦場ではいつも一緒だ。戦う時に側に彼を感じるだろう。
フレデリカの憂いはこうして晴れたのであった。