謎の女性
町外れの宿舎で傭兵団は休んでいた。
朝陽がカーテンを明るくさせ、ローランドは目を覚ました。今日は何があるだろうか。勧誘、治安維持、哨戒、それとも戦。
ふと身を起こしたローランドは自分の腹に乗っている影を見て軽く驚きの声を上げた。小さな影は丸めていた身体から頭を上げて、つぶらな愛らしい黒い瞳でこちらを見上げていた。
「ペケサン?」
しかし、ペケサンは何も答えず、ローランド腹から跳び下りた。
後ろの右脚に痛々しい傷跡が残っている。あの時、助けたペケサンだ。ついてきてしまったらしい。
「ま、ロイトガルじゃ守り神だもんな。縁起が良いって事にしておくか」
ローランドは甲冑に着替え、朝食を取るために居酒屋の「潜るペケサン亭」へ赴いた。
2
ペケサンは好奇の的となった。
「ペケサンなんて見たのは子供時代以来だぜ」
北の傭兵らはテーブルで可愛らしい手でクルミを持って齧っているペケサンを見てそれぞれの若かりし頃の思い出を語り合っていた。
ペケサンはどこにも逃げる様子もなく、ここに居座る気満々というより、ローランドから離れるそぶりを見せなかった。
ローランドもまたペケサンがいちいちついて来るため、様々な人が振り返り、その様子を見て来るのにうんざりし、道具屋で皮袋を買った。それを剣とは反対側の腰に提げる。
ペケサンは意図を理解したように、ローランドの足をよじ登り皮袋の中へ入った。
「飽きたらいついなくなっても良いからな。よろしくな相棒」
ローランドは皮袋の主にそう声を掛けた。
酒場に戻ると朝の和やかだった空気が戻ると一変していた。
「どうした?」
ローランドが問うとフレデリカが答えた。
「ハイバリーだ。五百騎ほどの軍勢が国境で挑発している」
「そんなの無視していれば良いとは思うけど」
「上からの指示だ。今回は聖雪騎士団が守備固めに残る。我々赤鬼で蹴散らさねばならん」
フレデリカが言った。名こそ出さなかったがリョウカクの命令だろう。傭兵なら不都合が無ければ雇われ主の言に従うべきだ。それに先の戦いで多くの正規兵を犠牲にした。
用意を整え、町の外に出ると先に用意されていた軍馬が待っていた。傭兵らはそれぞれ騎乗した。
「テトラはいると思うか?」
「この地を取り戻すのに野心を燃やしている。いる可能性が高いな」
フレデリカが隣で言った。
「うへぇ」
ローランドは思わず呻いた。自分ではテトラには勝てない。あと一歩で首を討たれる寸前だったこともある。
「者ども用意はできたか!?」
中隊長のロッシが全員に声を掛ける。
傭兵らはまばらにそれぞれの返事で応じた。
「もっと気合い入れろ」
中隊長のロッシは返って来た返事の数々にそう言い返した。
「では、行くぞ、赤鬼傭兵団! 出陣だ!」
赤鬼団長の轟雷のような声が轟いた。全員の背筋が伸びる。
「まったく、お前らは俺の時と態度が違いすぎるぞ」
ロッシ中隊長が呆れたように呻いた。
馬が次々駆けて行く。ローランドは何気なく腰の皮袋に触れた。そこには生き物の感触があった。
「その中身は?」
隣をカティアが駆け、彼女が尋ねてきた。
「ああ、可愛い相棒さ」
ローランドが言うとペケサンが顔を出した。
カティアが軽く笑った。
馬を飛ばして一日、原野に展開するハイバリーの軍勢と向き合った。
「赤鬼傭兵団、突撃!」
赤鬼の声が原野に響き渡り、ローランドらは馬を疾駆させた。片手にはランスでは無いが手槍を持ち、ランスをそうするように前に突き出している。土煙を上げて疾駆している敵方は全体が陽光で煌めく武器を突き出している。おそらくランスだった。
両軍は肉薄し、互いの顔が見えるや、咆哮を上げて激突した。
ランスを避けたローランドの槍は敵の甲冑を破り貫いていた。槍が引き抜けず諦め、突撃状態のまま素早くクレイモアーを抜いて突き出す。ローランドは吼えて、迫る敵に勢いに乗った一撃をくれた。だが、三騎目で馬同士がぶつかりローランドは敵の兵共々投げ出された。
そこでローランドは敵の武装は立派だが、正規兵とは違うことに気付いた。鎧に統一感が無い。
「傭兵か!?」
「その通りだ、赤鬼傭兵団! 我ら月影傭兵団が相手だ!」
言いざま剣が振るわれる。ローランドは剣で受け止めた。大した手応えだった。
「だが!」
テトラほどではない。
ローランドは素早く踏み込み敵の手から剣を叩き落とすとその身体を貫いた。
周囲は乱戦状態だった。カイが敵と打ち合ってるのを見た。
「傭兵、貴様の相手はこの俺だ!」
聞き覚えのある声にローランドは舌打ちした。敵将テトラが立っていた。
「よぉ。あんた、食うに困って傭兵団の頭領になったのかい?」
ローランドが問うとテトラは応じた。
「私はハイバリーの将だ! 喰らえ、正義の一撃!」
重たい槍が宙を切る。ローランドは避け、その槍の起こした風圧に冷汗が滲んで来るのを感じた。だが、怯える己を叱咤する。いつだって棺桶に入る覚悟して来ただろう。それにまだ棺桶に入るのかすら分からん!
気勢を上げてローランドが打ち込むとテトラは槍を返して受け止めた。金属の高らかな音が鳴った。肩まで衝撃が伝わって来る。口の中で歯が鳴り響いたように揺らめくの感じた。
テトラの槍から素早く逃れた瞬間だった。ローランドの前に影が飛び出した。
薄緑色のワンピースを着た砂色の髪の長い女性だった。戦に酷く場違いな姿をローランドはつい最近見たことを思い出した。ペケサン見学の際に現れた謎の女性だった。
「あんた、どこから!? 下がった方が良い!」
ローランドが言うとテトラも言った。
「女! 貴様の相手をしている暇はない! 槍の錆びにならぬ内にどこぞへ逃れるのだな! 退け!」
テトラが距離を詰めた瞬間だった。女性の姿はテトラの背後にあった。
「何っ!?」
テトラとローランドは同時に叫んだ。
テトラは慌てて槍を薙いだ。
女性の短剣が陽光を受けて輝く。
テトラの甲冑の腕の隙間に短剣が突き立った。
「ちいっ!? ここまでされれば女とは言え、民間人だろうが手加減せんぞ!」
テトラが言った時には女性は人間離れするほどに頭上高く跳び、テトラの兜に短剣をぶつけた。テトラの兜が割れ、黒髪があらわになった。
「何だと!?」
テトラが瞠目する。一筋の血が顔を伝って顎から滴り落ちる。ローランドも驚いたが、更に驚くべきことが起こった。目を放したつもりは無いが、女性の姿が消えていたのだ。まるで最初からいなかったように。
「テトラアアアアッ! 覚悟オオオッ!」
カイが馬を飛ばしてやって来た。
テトラも我に返ったように槍を繰り出した。大剣と剛槍が激突する。
「へぇ、おっさん、こいつの兜を割ったんだ。やるじゃねぇか」
カイが相手を睨みながら言った。
「いや、俺じゃないんだがな……」
ローランドは狐につままれた気分から晴れずにそう言った。ふと、腰の皮袋の中でペケサンが動くのを感じたのだった。