敗走
敵から奪った軍馬を引き連れて戻る途中、ローランドとミティスティに、リョウカク、つまりはブリック王が追いついた。
「両名とも無事で何よりだ」
リョウカクはそう言った。だが、目は険しい、特にミティスティを見る目は明らかに罪を咎めている。
「リョウカク殿、この度の失態、どのような責任も取る所存でございます」
ミティスティが馬から下りると、膝を付き、頭を垂れてそう言った。
「その言葉覚えておこう」
ローランドはもしも王がミティスティを酷い刑罰に掛けるつもりなら弁護するつもりでいた。
「これより、我が軍はハイバリーを取り囲む。攻城兵器は後程、合流するが、ひとまず先に降伏を呼びかける。応じなければ、攻め滅ぼすまでだ」
「御意」
ミティスティは馬に乗る。聖雪騎士団が集った。その後を王の正規兵二千が、背後を赤鬼傭兵団五百が詰める。攻城兵器を輸送する兵と合わせれば、四千近くにはなるだろうか。ハイバリーの厚い防壁を思い、ローランドは長期戦になる覚悟をしなければならないと思った。
軍勢を進めること五日、途中の村々を落とし、平和的に処理して真っ直ぐハイバリー城へと辿り着いた。
城門前には誰もいない。勿論、門は固く閉ざされたままだった。
「我が名は王の臣下、リョウカク! 戦の前に降伏するならこれまでの権利を認めよう!」
リョウカクがメガホンを使って呼びかけた。
すると城壁の上に無数の影が現れた。
「黙れ、田舎武士が! ハイバリーは貴様らに降伏などしない! それ、矢を放て!」
号令と共に矢が放たれた。
「愚かな」
リョウカクはそう言うと、隊列に引っ込んだ。こちらは攻城兵器が未だ届かずにいる。攻めようがなく、正面で堂々と威厳を保つほか無かった。
矢はすぐに止み、睨み合いが続いた。
一日経ち、昼頃、早馬が現れた。
「何かあったな」
中隊長の一人ロッシが言った。
「リョウカク様に申し上げます! 輸送隊が襲われております! 敵の数は不明!」
その言葉にリョウカクは微笑んだ。
「退却と見せかけてどこぞに潜んでいたとは、ハイバリーの癖にやりおるわ」
リョウカクは笑い声を上げると言った。
「赤鬼、行ってくれ」
もうそこには温和なリョウカクと言う人物の顔は無かった。冷徹な王、ブリックがいた。
「承知した。どれ、急ぐぞ!」
赤鬼が声を発し、騎馬の傭兵団がグルリと反転する。そして元来た道を駆けて行った。
ローランドはフレデリカと並走した。
「リョウカク殿の声、恐ろしかったな。あれが本当の彼の姿であろうか」
「王者なんてそんなもんさ」
「王者?」
「いや、何でもない忘れてくれ」
そのまま昼夜を徹して駆けると、道端に破壊された攻城兵器と輸送隊の亡骸が横たわっていた。
「遅かったか。団長、どうします?」
中隊長の一人ロッシが言った。全員が赤鬼に注目する。
「乗せられたやも知れんぞ」
赤鬼が言った。
すると早馬がハイバリー方面から馳せて来た。
「赤鬼団長殿、本陣が襲われております。何卒、御加勢下され」
すると赤鬼は豪快に笑い声を上げた。
「こうでなければつまらん! 御苦労だが、皆、戻るぞ!」
赤鬼が先頭に立ち馬を走らせる。
だが、強行軍の連続で馬は疲弊していた。水も食事もままならない状態だ。仕方あるまい。
赤鬼の号令で一同は徒歩の人となった。
ローランドはロイトガルもここまでかと正直思った。せめてミティスティだけは無事でいて欲しい。好いているわけでは無いが彼女は良い人だ。剣の腕前も死なすにはあまりにも惜しい。
夢中で駆ける赤鬼傭兵団は、甲冑を脱ぐ者はいなかった。脱落者も現れず、ひたすら駆ける。
すると、夕暮れ過ぎに騎兵隊がこちらへ向かって土煙を上げて来るのが見えた。
「敗走したか。聴け、我々は殿軍を務める! 報酬は弾むぞ!」
最後の声が無くとも、志ある傭兵らは声を上げたはずだ。
「赤鬼!」
リョウカクが先頭で現れたが、見るも悲惨な姿だった。鞘に剣は無く、漆黒の外装は傷だらけで、手にしている槍は半ばから折れていた。
「リョウカク殿、ここはお任せあれ」
赤鬼が言うとリョウカクは忙しく傭兵団の中を見た。その目がローランドとカイに挟まれたフレデリカに注がれた。彼女も気付いたようだが、何も返事はしなかった。リョウカクは歯を噛み締めて撤退して行った。
付き従う正規兵は三百人ほどまで減っていた。見事な大敗だ。
「聖雪騎士団、王のもとを離れるな!」
ミティスティがそう言うと反転した。
「ミティスティ殿! 気持ちは嬉しいが、あなたも行け! 何が王を待っているのか分からん!」
赤鬼が声を上げた時には地鳴りが響き、敵騎兵隊が姿を見せていた。
ミティスティの目がローランドを見た。ローランドは頷いた。
「すまぬ、忠勇厚き赤鬼傭兵団!」
ミティスティも王のもとへ駆け去って行った。
「さて、こちらは徒歩だ。まとまっていては良い様に弾き飛ばされよう。散開せい!」
赤鬼の号令で傭兵達は各々駆けた。
騎馬が勢いを失い、誰にあたろうか迷っている様子を見せた。
「ええい、各個撃破だ!」
敵の将の若々しい声が轟いた。騎兵らはそれぞればらけて傭兵達に向かって行った。
ローランドの前に黄金色の騎馬が現れた。決して派手過ぎでもないが、錦の外套を羽織、見事な槍を握っている。
「哀れな傭兵よ、まずは貴様を地獄に落とした後に、赤鬼の首を奪う!」
「知恵が回ったことだけは評価してやるぞ、若者」
ローランドは言い返し、剛剣と剛槍がぶつかりあった。
サリーが哀れんでこいつに武器なんて渡さなければ。正直、打ち合う中でそう悔やんだものだが、妻の優しさはこうして一人の流浪の将を今でも生かしている。そしてどちらが斃れるかが決められる。これも運命か。だからこそ、負けんぞ!
「らああああっ!」
ローランドは咆哮を上げて剣を振るった。