ミティスティ
「追撃止め!」
ミティスティが声を上げる。これ以上先は敵地の中の敵地だ。反撃を喰らう可能性があった。
だが、一騎だけ、その声に応じることなく駆けている。黒衣の王はまだ血を求めているらしい。
「止めねば!」
ミティスティが馬を駆けさせた。
ローランドも王の御守役を命じられたことが引っ掛かり、並走した。
「陛下! 陛下、お止めください! これ以上は危険です!」
聖雪騎士団長の必死な呼び声も届かない。ローランドの馬よりもミティスティの馬の方が速く、それよりも速いのがリョウカクもとい、ブリック王の馬だった。
「頑張ってくれ」
ローランドは自分の乗る馬に向かって語り掛けた。
すると、前方で異変が起きた。鬨の声が上がる。ローランドは焦った。
ミティスティが馬を懸命に走らせる。
彼女の背中越しに前方の様子が見えて来た。原野の真っただ中でブリック王が孤軍奮闘している。自らそうなったのだ、愚かという他にはあるまい。
ミティスティが追いつき、加勢する。
敵勢は百ぐらいか。
様子が徐々に明らかになっている。馬上のブリック王とミティスティを騎兵が襲っていた。
ブリック王の一撃が敵の騎兵の首を討った。ミティスティも懸命に剣を振るっている。
ブリック王は愚王だ。ローランドの出した答えだった。だが、先々代に恩ある赤鬼はこの王を見捨てはしないだろう。
「らああああっ!」
ローランドは咆哮を上げて突っ込んだ。馬と馬がぶつかり、衝撃で脳震盪になりかける。意識を踏みとどまらせ、同じ状態の敵兵の胸甲を精一杯の突きで貫いた。
ローランドは剣を振るい、刃を受け止め、叩き落し、敵兵の顔面を剣で切り裂いた。
悲鳴を上げる敵を見て、ローランドは振り返った。
「ブリ……いや、リョウカク殿!」
リョウカクは狂った笑い声を上げながら敵兵を圧倒していた。
「王、御引きください! この戦いの失態はこの私にあります!」
ミティスティが声を上げて隣を守るが、王は耳を貸さない。狂人になり敵兵と刃を合わせることを喜んでいる。
ミティスティが王の肩を掴んだ。
「ブリック、お願い、引いて! この戦の失態はこの私が原因です。責任を取ります!」
「ほう、義姉上、どう責任を取られる?」
狂気に歪んだ目でブリック王はミティスティを振り返った。
「この敵兵どもを殲滅させます。その間にあなたは去るのです。あなたはもうブリック王子では無い、ブリック王なのです! 幾多の国民の命をその背に背負っているのですよ! そのことを御自覚なさい!」
すると、ブリック王は振るっていた剣を止めた。
「私のために死んでくださるのですね、義姉上」
「そうです、愛するあなたのためなら、私は死ねます!」
「あなたの失態と言うなら平手打ちでもしたい気分だが、死ぬ覚悟というならそれはそれで良い」
「分かったなら、さぁ、急いで!」
ミティスティが敵兵を裂きながら声を上げる。
ブリック王子は血の滴る剣を提げて、反転して行った。
「女だ」
「女が残ったぞ」
下卑た声を上げて敵兵が囲もうとする。
ローランドは馬を歩ませ、ミティスティの隣に並んだ。
「どれ、手を貸そう」
「余計なお世話だ、傭兵!」
「そう言うな、あと、六十八騎残ってる。三人でそこまでやれたんだ。一人じゃ無理だが、二人ならできる。あんたは色々不幸だが、死なせたくはない。生きるのは苦しいかもしれないが、生きていればきっと良いことがある」
「……生きていれば良いことがある……か」
ミティスティはそう応じると顔を上げて剣を振り回した。
「よっしゃ、そらぁ! 掛かって来い!」
ローランドも剣を振り回した。二つの風の渦が音を上げている。
「たった二人で何ができるものか! それ、一人は騎士だ、討ち取れ!」
敵兵が馬を歩ませて来る。
ローランドは剛剣を振り下ろし、馬上の兵士を斜めに切り裂いた。全力と鋼の前に薄い鎧など何の役にも立たない。敵が軽騎兵で幸運だった。さもなければ、ローランドもミティスティを説得して逃げるところだった。
ミティスティも華麗な剣捌きで血の雨を降らせている。銀に輝く兜は血に侵食され半分以上、赤黒く成り果てていた。
ローランドもミティスティも一心不乱に馬上で剣を振るった。鉄がへこみ、割れ、剣を握った腕がもぎれ、目が飛び出、血が噴き上がる。
「ハイバリーの兵隊がこうも弱いとはな」
ローランドは生まれ故郷の軍人達の練度不足を嘆かずにはいられなかった。
残り十五騎。だが、ローランドは見た。一騎が後方からミティスティ目掛けて弓矢を射たのを。
ローランドは馬上から飛んだ。矢が肩に突き立つのを感じ、地面に落ちた。
ケガなんざ後回しだ。していたらだが。
「らああああっ!」
ローランドは咆哮上げて敵の騎兵へ迫った。
頭上から剣が襲うが跳ね返し、腕を斬り落とした。悲痛な声が上がる。
「傭兵、馬を!」
ミティスティがローランドの馬の手綱を引いて駆け付けて来た。
「ありがたい!」
ローランドは馬に乗った。
ミティスティが気遣うような目を見せた。
「頑丈な鎧だ。矢は中まで届いてないよ」
ローランドはそう笑いかけ、残った敵騎兵の間に躍り込んだ。
そして傷つけようとする凶刃を跳ね返し、ミティスティがその敵兵の首を討った。
二人は逃げ腰になり始めた残る敵兵の命を穿った。
三騎、背を向け逃れ始めた。
「逃がすか! 陛下との約束だ!」
ミティスティが追走する。
ローランドの馬はもはや動けなかった。ローランドは目の前にいる主亡き馬の一頭を選んで乗った。
だが、少しも進まないうちにミティスティが三頭の軍馬を引き連れて来た。乗り手はいない。
「お見事」
ローランドが言うと、ミティスティは口元を覆っていた布を下げて、悲しそうな顔をした。
「どうしたんだ?」
ローランドが問うとミティスティは言った。
「傭兵殿、あなたのおかげで私は生き残ることができた。だけど、本当に生きていれば良いことはあるだろうか?」
「あるさ。さぁ、戻ろう。百頭の軍馬を奪って戻るんだ。陛下もあなたを平手打ちなどすまい」
「されても良いのだ。叱ってくれるうちは、私に興味がある証拠だ。もしも、そうじゃ無くなったら」
ミティスティは顔を下げて言った。
「陛下のためにあなたは頑張っているんだな。俺の言葉では言い尽くせないほどに。もし、その時が来たらうちに来れば良い。みんな、あなたを歓迎するぜ」
「傭兵か。確かに私は戦いしか知らぬ女だからな」
ミティスティは頷いた。
「傭兵、名は?」
「ローランド」
「ローランドか。今回は本当に助かった」
「もう礼の言いっこは無しだ。戻ろうぜ、胸を張って。あんたは任務を果たした」
「うん」
ミティスティはしおらしく頷いた。
こうして二人は反撃に出た敵を全滅させて帰還したのであった。