秘密
後方都市の騒ぎの鎮圧も終え、ハイバリーの出鼻を大いに挫いたロイトガル王国は武名を改めて轟かせた。もはや、守っているだけの戦いしかできない国ではない。この結末は国盗りに正式に参入したことを示していた。
しかし、思うように今は身動きが取れなかった。ハイバリーを牽制し、他の地を攻め入るには余裕が無く、結局は守りの戦に転じている。今、それを解消できる一番の手は弱ったハイバリーを制圧することだった。しかし、今度はハイバリーがアナグマ状態になった。ローランドは故郷を攻めることに抵抗を感じたが、それで世界に平和が訪れるならと割り切った。
赤鬼傭兵団と聖雪騎士団は少数でハイバリーを挑発したが敵は動かなかった。そこで一旦、帰国命令が届いた。
旧都市連合の最前線へ戻ると、何の話し合いも無くそこで解散となった。赤鬼は酒でも喰らって自由に過ごせば良いと部下達に言った。
どこか静かなところで剣を研いでおきたい。ローランドが動こうとした時、赤鬼が声を掛けた。
「ローランド、悪いが、総督府へ書状を届けてくれないか?」
「分かった」
ローランドは快諾し総督府へ向かった。今、その座席にはリョウカクが座っているだろう。フレデリカにちょっかいを出してるようだが、そこが気に入らなかった。フレデリカの方は迷惑している。
市井の民の間を抜け、総督府への長い坂を上がって行った。
さながら城のような総督府の前で二人の門番が槍を交差させ行く手を阻んだ。
「赤鬼傭兵団の者だ。名はローランド。赤鬼団長の使いで総督に手紙を持ってきた」
ローランドが言うと、門番の一人が薄い冊子を開き、パラパラとめくっていた。
「あった。赤鬼傭兵団のローランド」
いちいち調べるのか。厳重だが、緊急の客の場合はどうするんだ? などとローランドが思っていると槍が避けた。
「通ってよろしい」
「ありがとう」
ローランドは礼を述べて総督府の開かれた扉の中へと入った。
可愛い給仕が動き、厳めしい兵士が扉と言う扉の前で番をしている。
ローランドは給仕に三階にリョウカクがいることを教えてもらった。
階段を上がり、廊下を歩き、再び階段を上がる。上がり終えたところで、女の声が聴こえた。
「私ではどうしても駄目なの?」
ローランドは階段に身を隠し、先を覗き見た。
聖雪騎士団長のミティスティと、リョウカクがいた。
「何故? どうして? 私はそんなに魅力が無い?」
ミティスティが声を上げてリョウカクを見上げる。
「姉上は美しい」
リョウカクが言った。
「だったら、私をあなたの伴侶にして。お母様も喜ぶわ」
「私の母ではありません」
リョウカクが冷たい口調で応じた。
ローランドは見てはいけない、聴いてはいけない場面に遭遇したことを悟った。だが、彼の探求心と好奇心がその場に足を踏み止めさせた。
「私達が結ばれればあなたの母よ!」
だが、リョウカクは黙し、姉を見詰め返していた。
「ブリック、あなたが私にここで服を脱げと言えば私はそうするわ」
「そんなことは言いません」
するとミティスティがリョウカクの唇に吸い付いた。
リョウカクは身動きしない。
離れるとミティスティは言った。
「ブリック、私を抱いて。私達は血は繋がっていないわ。私はあなたにだったら何をされても良い。ほら、胸を触らせて上げるから」
「義姉上」
リョウカクが口を開いた。
「ここまでにしましょう。他の者が見てます」
その言葉にミティスティが素早くこちらを睨んだ。
「誰だ!?」
鋭い声が木霊する。
ローランドは進み出た。
「赤鬼傭兵団のローランドです。団長から書類を渡すように言われて来ました」
するとミティスティが肩を怒らせて歩んで来た。端麗な口元を恥辱に曲げ、睨んで言った。
「今のこと他言無用ぞ。さもなければお前の首が落ちるものと思え」
ローランドが返事をする前に聖雪騎士団団長は階段を下りて行った。
「どうやら、色々と知られてしまったようだな」
いつもの物腰柔らかで不気味な優しさを湛えた声も無くリョウカクは言った。
「誰にも言いませんよ」
「言う価値も無いか?」
「ええ」
ローランドは頷いた。ただの痴話喧嘩だ。血のつながっていない姉と弟という少しだけ重い設定だが。
「書類を貰おう」
「これです」
歩んで行きローランドは渡した。瞬間、殺気を感じ、身を伏せた。頭上を剣が薙ぎ払われた。
リョウカクは長剣を振り抜いていたが、目は見開かれ、気の弱い者ならその睨みだけで恐れ入っただろう。
リョウカクは剣を鞘に収めた。
「さすがは赤鬼の部下だけあるな」
「そういうことです」
ローランドは身を起こし書類を渡した。
「確かに」
リョウカクは頷いた。
「では、私は部屋へ戻る。戻る途中で下の番兵に声を掛けてくれないか?」
「分かりました」
リョウカクが荘厳な扉を開き中へと入った。
さっきの一撃、俺を本気で殺そうとした。殺したければ殺すべきなのにそうしなかったのは、俺が赤鬼傭兵団として、リョウカクの手駒として役に立つと判断したからだろうか。
ローランドは階下で番兵に声を掛けたついでに尋ねた。
「なぁ、俺は傭兵でよく知らないのだが、ブリックってのは誰なんだ?」
すると番兵は呆れたように溜息を吐いた。
「ロイトガル王国の王陛下に決まっているだろう」
「ありがとう」
ローランドはとぼけた笑いを浮かべて番兵二人と入れ違いになって廊下を歩んだ。
しかし、驚いた。王様が名を偽って最前線にいるとは。しかも、先ほどの斬撃、かなり鍛えこまれている。
期待のできる国だな。痴情のもつれで自ら滅ばなければの話だが。ローランドは聖雪騎士団団長のミティスティがこちらを睨んでいるのを会釈しやり過ごして総督府を後にしたのだった。