フレデリカとローランド
フレデリカは、噴水を背に塀に腰掛けていた。
思案を巡らせる。あのテトラという武将に自分が未だ及ばないことを。そしてカイの腕前がついに師が一目置くまでに成長したこと。顔の傷はかさぶたになっていた。むずがゆく無意識のうちに指で触れ剥がしたくなる。
「フレデリカ殿!」
突然声を掛けられ、フレデリカは前を見た。そこには鎧に身を包んだリョウカクの姿があった。
「太守殿、供も連れず、一人で行動するなどいささか軽率が過ぎるのではございませんか?」
フレデリカは塩対応をした。また求婚の話になると面倒だ。先手を切って総督府へ帰らせよう。
「供なら控えております」
見れば、民に混ざり、殺気を隠せない平服の者達がこちらを見ていた。あれでは逆に目立ち過ぎだ。目の前にいる甲冑姿の美男子が重要人物かと勘づかれる危険性がある。
「総督府まで送りましょう」
「そのような意地悪を言わないでください。やっと、まつりごとについて一区切り打ち、こうして城下へ散策に出たのですから」
その言葉にフレデリカはしばらく付き合わされる覚悟を決めねばならなかった。リョウカクは美青年だ。鼻筋は整い、切れ長の目は知性に富んでいる。薄い唇をし、背丈はフレデリカを抜き、カイには及ばない。腰には長剣が佩かれていた。
「それで、フレデリカ殿」
「何でしょう」
「あなたの美しいお顔に傷を付けたのはどこの誰ですか?」
リョウカクの低い声にフレデリカは驚くどころか嫌悪を覚えた。こうも年増女に執着するとは気持ちが悪い。それが感想だった。もっと可愛げがあれば、姉代わりとして話ぐらいは嫌とも言わずに聴いたものを。
「これは弟子のカイです。修練の際にできた傷、私の油断が招いた結果です」
「カイ殿は謝られたか?」
「は?」
フレデリカは問いながら、リョウカクの目が憎悪に満ちているのを察した。雇い雇われ、そんな契約さえなければリョウカクを突っぱねていたところだ。それだけリョウカクが不気味で、気持ちが悪く思えた。
「謝りました」
「あなたは満足しましたか?」
しつこい。フレデリカは頷いた。
「稽古中の出来事です。事故です。私は快く弟子を許しました」
「そうですか」
リョウカクの目から殺気が失せた。
「お顔のかさぶたは剥がしてはいけませんよ。もっとも傷があってもあなたはお美しいですが」
フレデリカはこの場から立ち去りたい口実を考え始めた。だが、その時、リョウカクがスラリと剣を抜いた。
長剣は幅のある見事な出来栄えだった。フレデリカが触れて来た武器でその魅力に及ぶとすれば、以前、ローランドより送られた両手持ちの剣だろう。
そういえば、ローランドは無事に家族を連れてくることが出来たのだろうか。ローランドの家族のためにも今後は一生懸命励まなければなるまい。
「この剣は、ローランド殿から頂戴致しました」
その言葉に気持ちの悪い相手だと言うことは忘れ、フレデリカは声を上げた。
「ローランドが戻ったのですか?」
「ええ、嬉しそうですね。少し嫉妬します」
リョウカクはニコリと冷えた笑みを浮かべて言った。
「ローランドは妻帯者です。同志、同僚、友、それ以上でも以下でもありません」
フレデリカもまた冷ややかに返した。
「そうですね、彼のような強い男にあなたを取られる心配はなくてホッとします」
「しかし、その剣、見事な出来栄えですね」
フレデリカは意図して話題を反らした。リョウカクが少々不機嫌そうな顔をした。
「ローランド殿の奥方は鍛冶職人でして、その奥方の作の一つですよ。後顧の憂いが無くなり私もいよいよ前線へ立つ時が来ました。今度は赤鬼殿に遅れは取らずあなたの心を掴めるような働きをしてみせましょう。それでは、散策に戻ります。お話しできて嬉しかった、フレデリカ……殿」
リョウカクはそう言うと歩み始めた。市民に交じっていた警護の者達が慌ただしく合流し、市井の中へと消えて行った。
「逢引きか?」
不意に明るい声がし、見ればローランドが立っていた。
「戻ったのだな」
「ああ、途中何も無くて助かったよ。いや、あるにはあったが」
思い出した様にローランドが言った。
「賊に襲われたのか?」
「違う違う、そんな大層なことじゃないよ。ただ、赤鬼団長と互角の戦いをしていた若者とすれ違ってね。うちのかみさんが、気遣って武具を進呈したんだよ」
ローランドは笑ったが、フレデリカには笑えなかった。
「私もあなたの奥方が打った剣を扱っているが、これほど優れた名品は無いだろう。神話に出て来るドワーフの作と見紛える」
ローランドは大笑いした。
「うちのかみさんにドワーフだとか言ったら張り倒されるぞ。うちのかみさんは奇麗で強い」
「失言だった」
フレデリカは詫びた。
「顔の傷、どうした? 猫にでもやられたか?」
「いや、カイだ」
「あんたの弟子だったな。良い働きをしていた。剣も弓も一人前以上に扱える。師として嬉しいんじゃないか?」
「ああ、嬉しい」
フレデリカは少しだけ胸が締め付けられた。
「けど、悲しい?」
ローランドが図星をついた。
「そうだな。もう、師として教えることは何も無い。カイの武力は私以上だ。今までムキになって渋っていたが、赤鬼団長にカイの育成を頼んでみよう思う」
「どこまで上って行くか、若い連中が少ないこの傭兵団では一番の成長株だからな。みんな、期待しているよ」
「そうだな」
フレデリカは頷いた。カイがいよいよ私の手を離れる時が来たのだ。
「プラティアナに会ったか?」
「会ったよ。同じぐらいの子供を持つ同士、うちのかみさんと意気投合してたな。かみさんは戦う女性が大好きだ。ペケ村に戻ることがあったら顔を出してやってくれ。あんたのことを気に入ると思うぜ」
「分かった」
フレデリカが応じると、ローランドは虚空を見上げて尋ねてきた。
「気を悪くさせるつもりは無いんだ。ただ、サーディスのことを教えてくれ」
サーディス。目の前の男はサーディスの戦友だ。固い絆を思わせる。フレデリカは自分が知っていることを話した。
「鬼教官だった」
「はははは」
ローランドが朗らかに笑った。
「戦があれば前線で敵へ押され、私は我武者羅に斬って斬りまくって生き残った」
「奴らしいや」
「サーディスは不治の病を抱えていたんだ。私が彼と相対するまで教えてはくれなかったが」
「知らなかった」
「サーディスは死にたがっていた。戦場で。自分を殺せる戦士として私を育て上げたと言っていた」
フレデリカはサーディスの思い出に浸りながら話した。
「最期は戦場で。本当に奴らしい。ありがとう、もう良いよ。これ以上だとあんたを本気で泣かしてしまう」
そう言われ、フレデリカは自分の頬を冷たいものが流れ落ちるのを感じた。
「さて、泣かしたお詫びに剣の相手になろう。サーディスが残したものを俺に見せてくれ」
ローランドが微笑みながら言い、フレデリカは涙を拭って頷いた。
「手加減はしない。一度負けているからな」
フレデリカが言うとローランドは頷いた。二人はフレデリカが稽古で使っている路地裏へと消えて行ったのであった。