サーディスの導き
槍の穂先が眼前でピタリと動きを止める。ローランドの突きの方が早かったのだ。突いて突かれて、矢面に立たされた徴兵された兵士達の悲鳴や動揺の声が木霊する。
「抜刀!」
将が声を上げる。戦場は止まらない。
慌てて兵士達は剣を抜いた。
すると空を染める矢の雨が襲って来た。
「盾を! 盾をくれー!」
悲痛な声が木霊し、次々男達は射られて倒れて行く。
ローランドは溜息を吐いた。そして静かな怒りを後方に控える軍人どもに向ける。彼らは盾で完全に防いでいた。民兵は使い捨てということだろう。民は貴重な財産だというのに、それが分からない国だったとは思わなかった。しかし、サリーがいる。この国のために戦うのみだ。
「た、助けてくれ」
ローランドの隣で中年の男が矢に首を射られて伏せ、顔を上げる。
「仇は取るよ」
ローランドはそう言うと将の突撃の号令を受けて敵陣目掛けて駆け出した。駆けながら腰の両手剣を抜く。サリーのクレイモアーは折り重なった二人の敵兵の鎧を貫通し、仕留めた。乱暴に剣を抜く。血しぶきが上がる。
ローランドは完全に一人の世界に入っていた。刃を受け、弾き、斬り、穿つ。彼は咆哮を上げていた。鮮血が彼の鎧を顔を染め上げた。戦線を振り返る余裕を彼は国と軍人らへの怒りで見失っていた。
俺は戦の経験者だ。何としてもみんなを少しでも無事に生かして勝利したい。そして勝ったら家族と一緒にこんな国を出て行く。アルバート夫妻も誘おう。
剣を力の限り旋回させ、次々首を刎ねる。
「ラアアアッ!」
一刀両断にし、鉄兜ごと脳髄を拉げさせる。
前方を見るとあれだけいた歩兵は下がり、騎兵が肉薄してきていた。
背後を振り返る。徴兵された兵士達は全壊し、職業軍人らが撤退を開始していた。
もう、諦めるのか!?
ローランドは再び騎兵を振り返る。
隙の無い陣形。そのうち一騎がローランドにまともに衝突した。
ローランドは宙高く舞い上がり、倒れた。
2
「起きろよ」
声がそう言いローランドは目を覚ました。
周囲は暗かった。
勘の鋭いローランドは気付いた。戦場に一人、取り残されたのだ。
右肩が上がらない。脱臼している。ローランドは左手で地面を探り感触でサリーの剣を広い当てた。鞘に収める。サリーの鎧の胸部が大きくへこんでいた。騎兵にぶち当たった時だろう。
「それで、サーディス、お前さんは俺が起きるまで待っててくれたのか?」
サーディスは松明を手に、振り返った。兜の下で口元が歪んだ。
「負けたのか?」
「ああ」
「くそっ! 城下の方角はどっちだ? お前分かるか?」
「案内してやる」
サーディスが言った。
「頼む」
ローランドは言った。こう暗くては原野のどこに何があるのかさえ分からないが、腐れ縁の戦友は把握しているらしい。
サーディスは先に歩き始めた。
ローランドは後に続いた。四日の道程を覚悟しなければならない。城下を略奪するとは思えないが、家族のことが心配でたまらなかった。
ゆらゆら揺れる松明の炎の後をローランドは歩んで行く。
一晩歩き通しだがローランドはへこたれない。そうして夜が白々と開けた時だった。
原野はまだ続いていた。
サーディスがこちらを振り返った。
疲労困憊のローランドはその隣に一頭の馬がいるのを見た。
「ここから先はこいつが知っている。行けよ、戦友」
「二人で乗れば良い」
「そうはいかないんだよ。良いから行け。他人の厚意を無駄にする奴は一生後悔するぞ」
陽光がサーディスを照らしているのだが、その姿はどこか儚げに見えた。朝焼けのせいだろうか。彼の兜の下から露出する双眼は鋭かった。有無を言わせないそういう迫力に満ちていた。
「すまないな、サーディス」
ローランドは苦労しながら馬に跨った。
「サーディス」
ローランドは戦友を見た。
「道はそいつが知っている。ただ身を任せて置けばいい」
「ありがとう。じゃあな、サーディス」
「ああ、じゃあな、戦友」
サーディスが見上げて微笑んだ。
ローランドが腹を蹴る前に馬が駆け出した。本当に道を知っているようだ。昂っていた神経が急速に鎮まって行く。
「サーディス!」
ローランドは振り返ったが、そこにサーディスの姿は無かった。ただ原野が広がるのみだった。馬はグングン加速する。サーディスが見えなくなったのも仕方が無いのかもしれない。
ローランドは不意にまどろみに襲われた。落ちるなどへまはやるつもりはない。ローランドは馬の首にもたれ掛かり背で静かに眠りに落ちた。
3
目を覚ましたローランドはベッドの上に寝かされていた。
剣は二本とも側の壁に立て掛けられ、籠手やすね当てなどの装具も床に並べられていた。
ここはどこだ?
行軍途中に通り過ぎた村のどれかか?
ローランドが起きると彼は右肩に激痛を覚え、脱臼していたことを思い出した。サーディスが馬を、俺に。
「よぉ、御目覚めか」
そこには武装した若い戦士がイスに座っていた。年の頃、二十ぐらいだろうか。
「アンタに会うのは二度目だが、こんな形になるとはお互い思わなかったよな」
若い戦士が言った。
「二度目? 君とどこかで会ったか?」
「うちの師匠を追い詰めた剣捌きは目に焼き付いてる。カイだ」
相手が手を差し出した。
「すまん、右肩が」
「どれ。少し痛むぞ」
カイが右肩に手を掛けると外れた肩を元に戻した。ローランドは激痛に歯を食い縛っていた。戦場で自分のケガを縫合した時にでさえ涙は流さなかったのに、この若者のやり方は本当に荒っぽいということか。
「ここはハイバリーのどこだ?」
ローランドは故郷の国の名を出した。
だが、若者は眉をひそめた。
「違う。ここはロイトガル王国の南東最前線の近くの村だ。住んでるけど名前は俺も知らねぇ。赤鬼団長にでも訊いてみるか」
「待て待て! ロイトガルだと!?」
ハイバリー王国からすれば北西部に位置する国だ。冬は寒い。だが、そんなことはどうでも良かった。
「ハイバリーじゃないのか!?」
ローランドはベッドから飛び出し、カイの逞しい肩に手を掛けて詰問した。
青い髪の若者は真っ直ぐ見詰め返して頷いた。
「どういうことだ、サーディス、話が違うじゃないか」
今頃、サリーが家族が、どんな思いをしているか。ハイバリーの防壁は厚いが、兵糧はどれぐらいあるのかは分からない。攻城戦になっているはずだ。
「サーディス? あんた、サーディスって言ったか?」
「言ったさ! アイツ、適当なこと言いやがって!」
「ちょっと待ってろ、師匠を呼んで来る」
「師匠?」
問いに応じる間もなくカイは飛び出して行った。
「何のつもりだ、サーディス。俺を困らせたいのか?」
ローランドは薄ら笑いを浮かべる黒兜の顔を思い浮かべていた。
「入るぞ」
威厳のある女の声がし、扉が開く。そこに立っていた人物の姿を見てローランドは驚いた。
忘れるはずがない。互角の戦いを演じた相手だ。金色の長い髪、血のような赤い鎧。そういえば、あの時の彼女は弟子を連れていた。
「覚えているか?」
フレデリカが尋ねてきた。
「ああ。忘れるわけがない。サーディスはあんたに会わせるために俺を導いたのか?」
するとフレデリカの目が見開かれた。
「サーディス?」
「ああ。黒い兜をかぶった黒尽くしの傭兵さ。てっきりあいつは俺を」
ローランドは口をつぐんだ。
フレデリカが神妙な顔をして凝視していたからだ。
「サーディスは既に故人だ」
「は?」
「サーディスは死んでるってことだよ」
ローランドの間の抜けた問いのような返事に応じたのはカイだった。
「待て、だって俺はあいつの戦友で」
「そうか」
フレデリカの声が遮った。思わず彼女を見る。
「サーディスの幻影をあなたも見たのだな」
「げ、幻影?」
「サーディスは死んだ。それは間違いない事実だ。何故なら、私が殺したからだ」
フレデリカが言った。
「サーディスの幻影は私達とあなたを会わせたかったようだな」
フレデリカの言葉にローランドは茫然とし、辛うじて尋ねた。
「サーディスを殺したんだな?」
フレデリカが頷く。
ローランドは溜息を吐いた。何が何だか信じられない。だが、サーディスは死んでいる。俺を導いたサーディスは幻影だという。信じられるか?
「戦場で死んだのか?」
「ああ。彼は戦場で死にたかったからな。私も殺したくは無かったが、そう仕向けられた、サーディス自身に」
フレデリカの唇がキュッと結ばれた。
サーディスにたばかられたか。この女も。
「自己紹介はしたかもしれないが、ローランドだ」
「改めて、私はフレデリカ。サーディスの意思を継ぐ者だ」
握手を交わし、ローランドは尋ねた。
「サーディスの意思を継ぐ者? あんた、サーディスの弟子だったのか?」
「いかにも。サーディスが私に教えてくれた全てをこのカイと彼の妻、プラティアナに伝授した。後は二人が新たなサーディスの継承者となってくれるだろう」
フレデリカが言うと、ローランドは不意に優しい気持ちになった。
サーディスは自分の志を継ぐ者と自分を引き合わせたかったのだろう。
「ロイトガル王国は好戦的な国では無かったな」
「その辺りは、追々話そう。下で食事をしながら」
フレデリカに促されローランドはカイと並んで廊下へ出た。
不意にサーディスがニヤリと微笑んでこちらを見ているのに気付いた。
死んじゃったんだろう、お前。なぁ、サーディス、俺にどんな運命を見せたいんだ?
そう心で尋ねたが既に相手は消えていた。
ここには何かある。それが俺の故郷を救える事に繋がるのなら俺は何だってする。ローランドは拳を鳴らしたのだった。