出発
東国は悲鳴を上げていた。度重なる戦端と略奪に民は振り回され、命を繋ぐために心を悪に染めたりもした。仮初めの華やかさの包む王都でもその気運はついに隠しきれなくなった。武器の増産である。この遠征で世界平和に近づき、あらゆる民に安寧を齎す。王自らの布告の文を受けた成人男子達は浮足立っていた。まだ十八の若者が手柄に逸り、支給品の剣を振るって恋人に勝利を宣言していた。ローランドは戦場を知る大人として彼らの無事を願いつつ、自らが陣頭に立たねばと意を決していた。
武器の注文はサリーの店にもたくさん入った。無論、忙しくはなったが収入は次々増えた。評判を聞いた者らが自分の武器を打って欲しいと頼みに来たのだ。
利益が上がる一方、それを皮肉り冷ややかな目で見る者達もいた。隣の引退憲兵アルバート老夫妻が理解者であることだけが救いだった。
ローランドは鎧を身に着け、剣を腰に帯びた。
家の外でサリーが不安げに見上げてくる。サリーの仕事は終わった。次はローランドの番だった。しかし、今回は傭兵としてではなく徴兵された兵士としての立場だ。融通が利かない場面に出くわすだろうと今既に歯噛みする。
「大丈夫。俺は今回も生きて帰って来るよ。お前の鎧と剣を身に着けてるんだ、御利益はばっちりさ。そうだろう?」
「だけど、今回ばっかりはどうにも嫌な予感がして」
サリーが言うとローランドは優しく彼女を抱き締めた。
「心配いらない。必ず帰って来る」
一歳のアドニスを抱えたアルバート夫人が言った。
「サリー、決心が鈍るわよ。ローランドは優秀な傭兵ですもの。今回で騎士に抜擢されるかもしれないわよ」
「騎士になんてならなくて良い。ただ、帰って来て」
サリーが言いローランドは頷いた。
「それでは、妻と子供をよろしくお願いします」
ローランドはアルバート夫妻に頭を下げ、城の外を目指した。
2
聳え立ち、城下を覆い隠す厚い防壁の前には老いも若きも兵士達が右往左往していた。
ローランドはどこ吹く風、士官達の命令が行き交う中、自分の番が来るのを大人しく待っていた。
ローランドの腰と背にはそれぞれ両手剣が鞘に収まっていた。サリーが打ったクレイモアーだ。片方は新品、もう片方も新品で手入れは欠かさなかったが、何の因果か、ずっと売れ残ってしまったものだ。予備にと、ローランドは持ってきたが、もしかすれば渡す相手ができるかもしれないとも考えていた。金色の髪、赤い鎧。フレデリカという弟子を従えた女性を彼は想起していた。何故だか分からないが、剣を交えて彼女が気に入った。無論、戦士として。
サーディスに渡しても良いが、彼とは会えないような気がしていた。前回の別れ以降、腐れ縁は切れてしまったらしい。ローランドも故郷へ引き上げしばらく籠っていたので、その機会は更に失われていた。
死んでなければ良いが。
あいつに限って。
ローランドは自分を奮い立たせるように口の端を持ち上げた。
そして徴兵された兵士達の並ぶ番となり、彼はゆっくりと街道の石畳の上を歩んで行った。
3
徴兵された兵士達は浮足立っていた。戦場へ出たことのある職業軍人達の寡黙さとはえらく違っていた。
訓練のされていない徴兵された男達の大軍勢が横に三十人になり層になって続々歩んで行く。将の首を取るだの、十人ぐらいは斬ってやるとか、徴兵された男達は愉快気に話している。ローランドも若かりし頃を思い出す。人生の一つの分岐点で兵士の道を捨て、傭兵から成り上がる方を取った。その時の気分としては彼らと似たようなものだ。兵士連中をあっと言わせてやろう。手っ取り早く自分を磨くには傭兵が一番だと若気の至りで信じ込んでいた。信じるままになった。ローランドは戦場の音に声に萎縮し、まともな手柄を立てられず生き残った。それが初陣だ。迫り来る長槍の穂先を掴んで止めて、必死に逃げ惑っていた。今の余裕と貫禄を身に着けるまでにはそれなりに時間が掛かった。だが、サリーが祝いにくれた鎧と剣が勇気と正気を与えてくれた。ローランドは一人前の傭兵へと成長していた。
行軍は続く。浮足立っている徴兵された軍勢は、今度は戦場まではどれぐらいだろうかと議論し合っていた。
「アンタはいつだと思う?」
隣の壮年の男に声を掛けられた。兜が似合わない気の良さそうな男だった。
「四日後」
ローランドはそう答えた。
行軍は一日ずつ続いた。慣れぬ長距離移動で徴兵された男達が息を上げ始めたからだ。仕官らもその配下の職業軍人、つまりは元から兵士だった者達も、いざという時に備えて、自らと軍馬とを休めていた。
男達は街道に座り、天幕も張らずにそのまま眠った。もう、あと少しすれば眠れる夜は無くなるだろう。いや、永遠に眠りに就くかもしれない。
ローランドは四方八方から聴こえるいびきにも構わず浅く眠った。
夜が明けると、事前に渡されていた干し肉とビスケットを齧り、出発した。徴兵組は文句をぶつくさと垂れていた。
酒が飲みたい。かかあの飯が恋しいと。
三日目、寒村となった場所を幾つも過ぎ、夕暮れを迎えた。
その時、大将が公言した。
「この戦に勝てば酒を遣わす!」
その言葉に徴発組の男達は再び浮き足立ち、士気を上げた。
ローランドは全員ただではすまないような気になっていた。どうにも嫌な予感がする。徴発された兵士達には軍事的なことは語られなかった。ただ剣とも盾ともなれという意味だろう。数合わせの道具としか見ていない。
四日目の昼、原野に辿り着いた。前方には既に敵勢の影が横に幅広く壁のように揺らめいている。
仕官らの声が久しぶりに鋭く轟き指示を出した。
矢面に立つのは徴発された男達だった。彼らは今更になってこの後、自分達が生きていられるのか不安になったようで怖じ気付いていた。
「ああ、神様」
ローランドは十八歳ぐらいの優しそうな若者が険しい表情をし、長槍を構えて最前列へ歩んで行くのを見ると止めた。
「代わってくれ」
ローランドが微笑んで言うと若者は頭を深々と下げて後列へ戻って行った。
ローランドは歩んで行く。同僚となった市民、村民の男達の間を抜けて。最前列に出ると、風が顔に吹き付けた。
「良いね、戦のにおいだ」
彼はそう言い槍の柄を地面に突き立てる。そして将の号令を待つのだった。