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傭兵譚  作者: Lance
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怨念

 やはり故郷に賑わいがあるのは良いことだ。ローランドは町行く人々を見ながらそう思った。家ではサリーとアドニスが待っている。早く買い物を済ませなければならない。サリーのシチューは絶品だ。

「うふふ、見つけた」

 不意に雑踏の中から殺意めいた一声をローランドは聴いたような気がした。

 呼子に売り子、談笑しながら歩く人々、すぐ側の青果店で、老婦人がカボチャを手に取りながら言った。

「見つけたわ。カボチャ、売り切れじゃなかったじゃないの」

 少々非難がましい老婦人に店主の中年の男は恐れ入っている様子だった。

 さっきのはどこかの店の客の声だろうか。だが、あんなに静かなのに殺気立つような声がこの通りに相応しいものとは思えない。空耳だ。戦場に居すぎて神経が過敏になっているだけだ。

 ローランドも青果店に並び、頭の中に入っているレシピを思い出しながら、玉ねぎとニンジン、ジャガイモを買った。その後、鶏肉は精肉店で買ったのだが、どうにもローランドは後をつけられているような気がしてならなかった。



 2



 サリーはお腹に二人目を宿している。

 炉で鎚を振るっているため、力があった。喧嘩すればローランドが負けるだろうし、ローランドはサリーと喧嘩はしたくないと思っていた。幼い頃からの付き合いだ。時に姉であり、時に妹であった。今は、何だか姉さん女房っぽいかな。

 家に帰ると、サリーが怪訝そうな顔をして言った。

「ねぇ、浮気、して無いわよね?」

 お帰りも言わずに詰め寄られ、ローランドは半分死を覚悟したが、何故、自分が死を覚悟しなければならないのか馬鹿馬鹿しく思えて応じた。

「してないよ。君はいつも奇麗だもの。アドニスのことも愛しているし」

「そう……よね」

 負ぶわれた一歳半のアドニスが母の後ろに一つで縛った赤い髪を弄んでいる。サリーの表情は冴えなかった。

 ローランドは、「どうしたんだ?」と、問わずに、「何があったんだ?」と、尋ねた。サリーがこんな深刻な顔をしたのはアドニスをお腹に宿した時ぐらいのものだ。

 サリーは答えた。

「それがね、女性が訪ねてきたのよ」

「君のお客さんじゃ無かったみたいだね」

「ええ。凄く奇麗な人だったわ。青い髪をしていて。あなたが在宅かと訊かれたから、今はちょっと出払ってると言うと、言伝も無しに丁寧に出て行ったのよ」

 サリーの表情はまだ何かを語りたそうだった。

「凄く奇麗な人だったけど。どこか怖い感じがしたわ。腰に短剣をぶら提げていたから傭兵かしらね」

 ローランドはヒヤリとした。傭兵なら戦場での個人的な恨みでもあるのだろうか。だが、戦場で斬った斬られたは恨みっこなしの常識だ。ましてや仕事上で、敵となった市民を手に掛けたことなどもない。略奪にも興味は無かったし、むしろ助けられるものは助けた。

 晩御飯が終わるとローランドは隣家の引退した衛兵アルバート老人を訪ね、しばらく家にいてもらえないかと頼んだ。酒が入る前でアルバートもローランドの頼みならと応じた。詳細を訊かれた、ローランドは正直に話した。誰かに恨みを買ったかもしれないと。

「それでお前さんはいぶりだすんだな」

 アルバートは勘の良い男だった。

「ああ。少し夜の城下を歩いて来る。その最中に現れてくれれば良いが」

「一人で大丈夫か?」

「ああ。俺なら平気だ。ただこんな薄気味悪いことは早々に片付けたい」

「分かった。サリーとアドニスは私に任せなさい。お前さんは強いがそれでも気を付けるんだぞ」

「ありがとう。頼むよ」

 ローランドは夜の町へと赴いた。

 夜食と酒を提供する店以外は、どこも人がおらず昼間の様子が嘘のようだった。ローランドは思った。恨みを買ったことにしているが、実際は思い過ごしなんじゃないか。何事も無かったら明日は一日家に居よう。俺に用があるならまた来るはずだ。

 ローランドは城門まで真っ直ぐ大通りを歩いた。知り合いの番兵に声を掛けられ、散歩だと伝えた。

 やはり、静かとは言え、大通りでは姿を見せないか。

 ローランドは腰の両手持ちの剣に触れると、勇気を取り戻した様に路地裏へと入って行く。

 月明かりが届かぬ路地裏には夜のためか物乞いの姿も無かった。

 薄暗い中、ぼんやりと前方を見ていると、向こう側から誰かがこちらへ歩んで来た。

 こんな夜に危険だな。それはつまり多少は腕に覚えのある者ということなのではないだろうか。

「こんばんは」

 少し離れたところで相手が言った。

「ああ、こんばんは」

 相手は女性だった。娼婦かもしれない。

「こんな通りに来るもんじゃないよ」

 ローランドが言うと相手はこちらへ歩みながら応じた。

「うふふ、一晩どうです?」

 含み笑いを漏らしながら魅力的な奇麗な涼やかな声が言った。

 切れ長の目、整った顔立ち。髪の色は何色だろうか薄闇が邪魔をしている。

 不意にローランドは相手の腰に短剣がぶら下がっているのを見て、後方に飛び退いた。

 眼前を一筋の風が走る。

「き、君は?」

 ローランドは腰の剣の柄に手を掛けながら尋ねた。

「うふふ、お忘れかしら?」

「戦場で俺に恋人でも殺されたか?」

 ローランドが詰問すると、相手は自分の口元に左手をおいて笑いを押し殺していた。

 狂っている。

 ローランドの感想はそれだった。

 やがて女性は声を上げて笑った。

「うふ、キャハハハハッ!」

「図星か。だが、仇討ちなど止めておけ。死んだ君の恋人も戦士だったのだろう? 戦士なら戦場で死ねることこそ本懐だ」

 そう言いながらローランドは迷っていた。それは本当か、ローランド? 死に目にサリーに会えない死に方が本懐なのか?

「死んだのは父です。それにあなたは私とも面識があります。覚えていらっしゃらないとは残念です。私はこの十年ずっとあなたを追っていたのですから」

「俺は君を知らない」

 ローランドが言うと女性は服の裾をめくり上げた。

「俺を色香に惑わせようというのか?」

「そうでしたわ。こう暗くては傷が見えませんものね」

「傷?」

 女性は服の裾を戻した。

「お腹から背中まで貫かれた傷です。死んでしまうのかと思いました。でも、私は生きています。神の御慈悲があったのでしょうね。そして今宵も神の御慈悲があらんことを。死になさい、ローランドさん」

 相手が一瞬で間合いを詰めてきた。

 辛うじて抜き放った剣と相手の短剣が衝突し、火花が散った。競り合いながら相手の女性が華奢な見た目以上に力があることを痛感した。剣越しに相手は微笑んでいる。

「アンジェリカ」

「アンジェリカ?」

 ローランドが問う。

「私の名前です。お忘れですか?」

 ローランドは思い出せなかった。

 女性は、後方に飛びながら飛刀を放ってきた。

 ローランドは剣で三本跳ね返した。

「十年前、天候が大荒れの日、あなたは私と父の元へ雨宿りに来ました」

 ローランドの脳裏が目まぐるしく回転する。「アンジェリカアアアアッ!」と、咆哮する男の声が過ぎった瞬間、ローランドは全てを思い出した。

「アンジェリカ……さん、生きていたのか」

 ローランドはこの襲ってきた娘をツルハシで撃退したのだ。腹から背までツルハシは貫通していた。様子を見に戻ったローランドは彼女の息を確かめたわけではなかった。死んだだろうと決めつけていた。父親の方は自分で首を掻き切っていた。

「あの傷で生きていられたとは信じられない」

 ローランドが言うと相手は笑った。哄笑のように妖しく高らかに。静かな路地裏にその声が響き渡った。

「奥様とお子さんがいらっしゃるようですね。特に奥様は新たにお子を身ごもっている御様子。お腹を貫いてお腹の子供ごと殺害してやりたいですわ」

 ローランドは実は説得しようと思っていた。だが、この狂人から今のようなセリフを聞かされれば、もはや夫として父として答えは一つだった。

「君を今度こそ殺すよ、アンジェリカさん」

「ゾクゾクしてきましたわ。シャアアッ!」

 アンジェリカが地を蹴り襲い掛かって来た。

 早かった。ローランドは剣で受け止め、薙いだが、アンジェリカは頭上にいた。

「くそっ!」

 ローランドは慌てて剣を振り上げ、必殺の一撃を受け止めた。アンジェリカは優雅に地に降り立つと、左手で投擲してきた。

 ローランドは避け、相手に向かって突っ込んだ。

 どうにか自分のペースに持っていかなければ。戦場を支配しなければ!

 ローランドの突きを相手は横に避け、短剣を振るってきた。

 左腕に切っ先が突き立った。

「ぐっ!? くそおっ!」

 ローランドは剣を薙いで再び相手と間合いを保った。

「残念ながら傷は浅いようですわね。それともう一つ残念なことに、この剣には毒は塗られて無いのですよ。神様はあなたに味方をしているのかしら。気まぐれな神様ね」

「このおおおっ!」

 ローランドは再び駆けた。地を蹴り、大上段に構えた剣を振り下ろす。だが、相手はそこにはいない。ローランドは素早く刃を旋回させた。短剣が激突した。

「ローランド様、私に謝罪する気はありませんか?」

「最初はそう思ったが、君を生かしてはおけなくなった!」

 ローランドは剣で押し、薙ぎ払った。アンジェリカは頭上に飛び、飛刀を投げ付けて来た。

「効くか!」

 ローランドは弾き返す。アンジェリカが背後に回るや、ローランドもそちらを振り返る。

 アンジェリカが飛び出そうとする。ローランドは剣を力いっぱい横に払ったが、アンジェリカは動かなかった。そして重心が傾いたローランドの前にすぐさま飛び出してきた。

 ローランドはヒヤリとし慌てて剣から右手を放し拳を打ち出した。

 アンジェリカの顔面に拳は衝突した。鼻の折れる音がした。

「本当に酷いですわ。どうして私を雑に扱うのですの?」

「それは君が最初から脅威、敵だったからだ! あの時だって俺を殺そうとした!」

「それは誤解です」

「何だって?」

 ローランドは愕然とした。

「お腹が空いていて、あなたの腕を一本譲って欲しかっただけなのですよ」

「やはり、君は狂っている!」

 ローランドは剣を振りかぶり迫った。

 アンジェリカが短剣振るう。剣と剣がぶつかり合い、短剣が圧し折れ、ローランドの勢いに任せた一撃はアンジェリカの肩口から殆ど一刀両断にしていた。

「うふ、本当に酷い方。これでは、私、死んでしまいますわ」

 肩口からだらりと垂れ下がった腕と臓物の影を見ながらローランドは剣を薙ぎ払った。

 アンジェリカの首が地面に落ちた。落ちて転がって、血の帯を引きながらローランドの足元へ来る。首は正面を向いていた。

「愛してますわ」

「くたばれ!」

 ローランドは剣を首に突き立てた。石畳に縫い付けられ、首は目を見開いたまま喋らなくなった。

 音がした。見れば、アンジェリカの胴体が倒れていた。

 ローランドはようやく息を吐いたのだった。

 その後、ローランドはすぐさまアルバートに事情を説明し、ローランド自身の信望もあったため、賊による襲撃事件としてこの件は片付けられた。ローランドは今後は旅路で困った時にはむやみやたらに見知らぬ人に頼るのは止めようと心に決めた。彼には妻と子供がいる。彼とは遠く離れながらも彼の命そのものだ。

 こうしてローランドは平和を掴み取ったが、呪いなのか、時折夢の中でアンジェリカが現れることがあった。転がった首が笑い声を上げ、ずり落ちた右肩を揺らしながら迫る首無しの胴体。夢の中のローランドは剣を持っておらず、ただ逃げるだけ。だが、偽装された夢の中の町はどこまでも続き、アンジェリカの首は転がり、胴体は地を踏みしめて、どこまでも追ってくるのであった。

 だが、ある日、夢の中で、黒い影が舞い降り、アンジェリカの首を踏み潰し、剣で胴体を微塵に切り裂いたのだった。

「らしくねぇから、来てやったぜ。かみさんと、子供を大切にな」

 どこかで聞き覚えのある声がそう言い、夢から覚める。そして今後は二度と悪夢を見ることはなくなったのだった。

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