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傭兵譚  作者: Lance
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記憶

 稲光が走り、雷鳴が轟く。その音は土砂降りの雨の中で唯一鮮明に聴こえる音だった。

 ローランドは兜から滴る雨粒を拭い、新手と剣を交えた。

 咆哮が聴こえないが、断末魔も同様だ。腕を寸断され、蹴り飛ばされ、泥水の中に倒れ込む敵の首にとどめをくれてやった。

 それにしても、今日の戦場は嫌だな。雨に濡れるのも嫌だし、胸躍る剣戟の音さえも聴こえない。鎧の下のシャツは汗と雨水で貼り付いて気持ちが悪かった。

 誰も彼もが戦場を支配する豪雨に恨み言をぼやいているだろう。ローランドの隣で長槍に貫かれた味方の傭兵が斃れた。槍を引き抜き、敵の血染めの甲冑は急速に洗い流されていた。

 雨にも良いところはあるんだね。乾いた血は落とすのが面倒だ。

 ローランドは誰にも聴こえない咆哮を上げて敵へ斬りかかった。

 鋭く突き出される槍の穂先を避けながら、半分旋回し、勢いをつけて剣を薙ぐと敵の甲冑にぶつかり、亀裂が入った。ローランドは再び流れるように半回転し、勢いをつけて剣を振り抜き薙ぎ払う。敵の兜首が飛んだ。

 地面に転がった凄まじい形相の顔が呪うようにこちらを見詰めている。

 甲冑にぶつかる降りしきる雨に、この顔。ふと、ローランドの脳裏をある情景が掠めて行った。

 


 2



 昼過ぎからか、雨がシトシト降り始めた。

 ローランドはそのまま旅を続けた。あの頃はまだ若い二十ぐらいだった。今ほどの落ち着きも無かった。それはあの日が証明してくれる。

 雨は次第に強くなり、風も出てきた。ローランドはどこか雨を凌げる場所は無いかと思っていた。このままでは風邪を引く。何せ、冬だ。冬の雨程冷たいものは無い。雪なら振り払うこともできるが、雨は衣服に染み込んで来る。

 そんなローランドが目を凝らすと、細い脇道があった。

 坑道でもあるのだろうか。だとすれば鉱山の穴倉で一休みできる。

 ローランドは意気を取り戻し、歩み始めた。

 少しするとそこには壁がこしらえてあった。日は隠れているが見えないことは無い。木の壁だ。板張りの簡素な壁だった。ローランドの背よりも高い。彼は人の気配を感じて喜んだ。誰かが住んでいるかもしれない。

 ローランドが壁伝いに回って行くと、そこには木製の粗末な木っ端のような門が開いていた。

 そこそこ広い土地に家屋が二つ。母屋と納屋だろう。

 木こりでも住んでいるのかな。

 母屋がどちらか分かるのは容易い。鎧戸が閉められているからだ。

 ローランドは母屋に歩み寄り、木の扉を叩いた。

 軽快な音が三度鳴る。だが、誰も現れる様子もない。外套は雨を吸い重くなっている。ローランドは根気良く、戸を叩いて呼んだ。

 すると、向こう側から返事があった。

「だ、誰だい?」

 男の声だった。

「旅の者です。すみませんが、一晩、納屋でも良いのでお借りできませんか? 雨宿りをさせていただきたいのです」

 返事はすぐには来なかった。中から話し合うような声が聴こえた。

「良いだろう、使え」

「ありがとうございます」

 ローランドは扉を離れた。家主が顔を見せないのは、用心のためだろう。ローランドは一息吐ける場所を見つけて安堵していた。

 納屋には壁に掛けられた一本のツルハシと、馬車の荷台のようなボロボロの物があった。幌は裂け、隙間風に揺れている。納屋に扉は無かった。藁もないが、わがままを言うものではない。牧畜で暮らしているわけではないだろう。明日、お礼に銀貨五枚ぐらい気持ちで渡そう。別れるときは笑顔が一番だ。

 ローランドは納屋の奥へ行くと、外套を脱いで、ちょうど壁に打ち付けられたフックがあったので絞って水を出してから掛けた。

 甲冑はどうしようか。

 愛する幼馴染の顔が出てきた。

 ローランドも安堵はしていたが、まだどこか疑念が残っていた。家主ともう一言ぐらい会話を交わしたい。そうすれば安心できるはずだ。

 ローランドは再び母屋へ赴いて扉を叩いたが反応は無かった。何度叩いても駄目だった。脅かすつもりは無かったがノブを捻った。しかし、回らなかった。

 少し早いがもう休んでるんだろう。木こりか狩人かは知らないが、彼らにとっては眠る時間なんだ。

 ローランドは納屋へ戻り、結局甲冑を着たまま板張りの床の上に寝転んだ。土埃が付いたが仕方が無い。風雨を凌げるだけありがたいと思わなければ。本当なら火も焚きたいが。

 ローランドは乾燥肉を齧ると袋の水を一口呷り、目を閉じた。

 俺の気に入った戦士は全て死んでゆく。俺は死神なんだ。

 渡り歩いてきた戦場と見た光景、訪れた運命を思い返し感傷に浸った。命乞いをする敵を見逃したために危うい場面もあった。戦いで優しさを見せるのは背を見せるのと同じだ。

 なかなか眠気は訪れなかった。

 豪雨と暴風のせいでローランドは命を落とすところであった。そう、殺気に気付いて彼は目を覚まし、逆手に短剣を持つ影が目の前に立っているのに気付いたのだった。

「何だ!?」

 ローランドは眠らなかった自分を褒めたかった。間抜けな声を上げつつもすぐに立ち上がることができたからだ。

「ちっ、気付きやがったか!」

 男の声が言った。

「これは一体何の真似だ?」

 ローランドは腰の柄に手を掛けて尋ねた。

「死ねぇっ!」

 男は短剣を振り下ろした。勘の赴くままローランドは剣を薙いだ。短剣を持った男の手が飛んで行き、納屋の影に消えた。

「ギエエエエッ!?」

 男は悲痛で恐ろしい声を上げた。

 ローランドは剣を向けた。つい斬ってしまったが、これで良かったのだろうか。もしかすれば俺は勘違いをやらかしたのでは無いだろうか。相手は善人で警戒するために剣を――。いや、良く聴け俺、こいつは死ねと言って襲い掛かって来た。

 男は立ち上がり納屋から駆け去って行った。

「アンジェリカ! アンジェリカー!」

 と、誰かの名前を叫びながら。

 そういえば、最初に扉越しに話した際も相手は複数人いるようだった。

 ここは逃げた方が良さそうだ。

 ローランドは湿りきった外套を羽織ると、納屋の外へ駆け出した。だが、その前に人影が立ち塞がった。

「あらあら、すみません、うちのお父さんが早合点してしまったみたいで」

 若い女の淑やかな声だった。笑みを含んでいるだろうとも思わせる。線の細い影はそういうと片手に剣を抜いた。

「でも、欲しいのはお父さんの腕じゃなくて、あなたの腕なのですよ。うふ、美味しそう」

 一瞬で間合いを詰められた。

 反射的に腕を動かし、剣と剣が打ち合った。

「うふふふ」

 相手はそう笑いつつ、剣で押してきた。

 ローランドはどうすべきか逡巡していた。女を斬りたくは無いが、まともそうに見えてこの女は狂っているぞ。きっと俺を殺すだろう。父親の腕を斬り落としてしまったのだから。

「話し合いは通じないか?」

「通じませんね」

 女は愉快そうに言った。その細腕でローランドを凌ぐ力を持っていた。しかも相手は片腕で剣を握っている。

 ローランドは足を繰り出した。女の腹に当たり、女はよろめいた。

 今だ!

 ローランドは駆けた。狂っていても女を殺したくはないという思いが優った。その脇を駆け抜けようとした瞬間右足を捕まれローランドは倒れた。

 そしてすぐさま転がる。今いた場所に刃が突き立った。

「殺すべきだった」

「うふふ、そうすべきでしたよね」

 女は剣を逆手に持ち、ローランドに振り下ろしてきた。

 ローランドは再度転がり、避けると立ち上がった。

 だが、突き出した剣が相手の剣にぶつかり、手からすっぽ抜け女の背後へ飛んで行った。

「しまった!」

 あの剣はサリーが打ってくれた物だ。失うわけにはいかない。ローランドはそういう思いで声を上げたのだが、相手は意味を取り違えたようで、ローランドが心の底から絶望した声と取ったらしい。

 不気味な忍び笑いを漏らしている。

「私には見えますが、あなたは御奇麗な顔立ちをしてますね」

 ローランドは言葉を聴き流しながら、この窮地をどう打開すべきか逡巡した。短剣は実は前回の戦で投擲し無くしてしまった。サリーのではないからと取りに戻らなかったことを後悔していた。

 格闘術で乗り越えるしかないか。

「どうです、私、アンジェリカと申しますの。あなた様が、私の夫になって下さるのなら命は助けて差し上げますわ」

 おっとりしているが、底冷えするような声がそう言った。

 何か、何か打開策は。ローランドはジリジリ後退し、壁に背がぶつかった。

 伸ばした手が何かに当たり、それが握れる棒のような物だと確信した。ふと、ここへ来た時に見た光景を思い出す。

「求婚はありがたいが、生憎、俺には他に好きな人がいてね」

 ローランドは背後で右手で棒を握り締めた。

「こんな状況でお断りなさるとは、その男らしさにますます好いてしまいましたわ。ああ、でも! 私の物にならないなら」

 一瞬の間を置き、女は剣を逆手に持ち替えた。

「ギヤアアアアッ!」

 まるで化け物のような幽鬼のような凄まじい声を上げて女は刃を振り下ろしてきた。だが、ローランドも同時に棒を振り上げた。

「ぐっ!?」

 ツルハシは女の腹部を突き破った。

「ぐぶっ」

 女は断末魔の声を短く上げた。倒れた。

 ローランドは冷汗を搔いていることに気付いた。ツルハシを引き抜き、恐る恐る女の横を通ると、大切な愛剣を取り戻した。

 背後を振り返ると、女が動いた。ゆっくりゆっくり立ち上がった。そして同じくゆっくり覚束ない足取りでこちらを振り返った。

「酷い方、私の腸が出てしまいましたわ。本当に本当に酷い方」

 女は三歩ほど迫ると倒れた。

 ローランドはツルハシを剣を持つ様に構えて硬直していた己に気付いた。女は今度こそ死んだか。頭を割るべきだろうか。

 ローランドはまるで忌まわしい物に思えて慌ててツルハシを放り捨て、外へ駆けた。

 雨はだいぶ弱くなっていたが、それでもまだ激しい。

 ローランドはひたすら駆けた。あの女がまるで背後にぴったり張り付いているかのようにも思え、情けないが我を忘れていた。

 門まで来ると声が轟いた。

「アンジェリカーアアアッ! ウオオオオッ! 何故! なぜーーー!」

 父親の声に違いない。ローランドは門を開け放ち、小道を駆け出した。鉄の靴底が幾つもの水溜まりの泥水を跳ね上げる。

 夜に馴染んだ目だけでローランドはどうにか小道を抜けて大きな通りに飛び出した。そして雨が降りしきる中、恐々と背後を振り返り、女も父親も追って来ていないことを確認しするとようやく心の底から安堵の息を吐いたのだった。

 だが、責任感が彼を蝕んでいた。追い剥ぎを生かしたままで良いのか。また、自分のように悲惨な目に会う者が出るのではないだろうか。

 ローランドは小道の側の茂みに身を隠し、朝まで起きていた。

 未明に雨は弱まり、今では太陽がゆっくり昇ってきている。

 小道は存在した。

 ローランドは軽く緊張を覚えて小道を歩んだ。秋の枯葉の残りが泥道の上にまばらに散っていた。

 少し歩くと、閉じられた木の門が見えた。

 ローランドは剣を抜いて、静かに踏み込んだ。

 納屋も母屋もあったが、陽の下で見ると粗末な作りだった。継ぎ接ぎだらけといった感じだ。

 ローランドは納屋へ忍び寄った。

 そして朝陽が二つの遺体を照らし出したことに安堵を覚えた。ツルハシも転がっている。昨日のことは夢では無かった。女を殺し、父親の方はどうやら絶望して喉を自ら掻き切ったようだ。凄まじい憎悪に満ちた顔をし、生乾きの血の溜まりの中に二人は沈んでいた。

 母屋を調べるべきかと思ったが、自分は泥棒をしに来たわけでは無いのだ。悪党二名の死を確認しに来ただけだ。そう言い聞かせていた。さもなければこの恐怖心に飲み込まれてしまうだろう。母屋には行きたくなかった。

 娘はうつ伏せになっており顔は確認できなかった。血に濡れた青い長い髪が無造作に広がっている。

 ふと、女の手が動いた。

 ローランドはまさかと思い、慌てて剣を前に構えた。

 だが、それは娘の死体を貪っていた一匹の肥えたネズミだった。それが腕の下から現れた。

 ローランドは溜息を吐き、晴天の下、追い剥ぎ親子の家を後にしたのだった。

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