敵の戦略
夜襲以後、敵勢は大人しかった。
ただ、偵察のプロのエドガーやその上司の歩兵大隊入りした元クロノスの団長バトーダ、ロイトガルの忍び達でも近付けぬ程、敵は警備を万全にした。
ブリック王は篝火が消された真っ暗な敵陣を見て、討ち入るべきか頭を悩ませていた。
将兵の命を預かり、また状況的に不利な身としては、慎重になるしかなかった。物静かな敵陣では何が話し合われているのだろうか。まさか、夜陰に紛れ撤退したとでも言うのだろうか。少数ずつ撤退し、籠城戦に持ち込む。
籠城戦は国力の差から考えれば今のプリシスには不利だった。だが、不利ではあるが同時に息の根を止めるまで五年は要するだろう。以前、プリシスの傭兵をしていた者からの情報だった。それだけの備蓄があるという。ロイトガルも囲めるほどだけの兵しかいない。その間に、どこかで蜂起する都市が出るかもしれない。ブリック王としては今は早急に国を慰撫しなくてはならないのだ。各地の太守らの人選も実は身分に特化した者で杜撰な選出だった。とりあえず、内部の不満さえ取り除ければという判断だ。ハイバリーのムッツイン伯爵などが心配だ。あの者は裏切った先で戻り、また裏切って戻って来た。正反対の位置で国王が釘付けになっている今こそ、謀反を起こすなら好機である。その間に王は何をしていたか、兵を募り、戦死者遺族への見舞いの文と金を送付していた。それで良かったのだろうか。
あの時はそれ以外、道が無かった。
最前線で陣列に交じり王は前方の闇を見詰め思案に暮れる。
「陛下」
元クロノスのバトーダが参じた。
「何だ?」
「やはり、敵勢の監視は厳しく近付けません。夜襲に失敗したがため弱気になったとも考えられますが、篝火一つ起こさない程、怯えるものでしょうか」
「聴こう」
「敵勢へ火矢を放ってその反応を待ち様子を探りましょう」
慌てふためいたところを突撃する。夜襲には夜襲と言う形になるかもしれない。
「良いだろう。騎士団、傭兵、使いたい者は全て使え、元クロノス傭兵団の団長の手並みを拝見しよう。私からその権限を与える」
「ありがたきお言葉。では、御免」
バトーダは去って行った。
バトーダの準備は早かった。あっという間に歩兵大隊、各騎士団を説得した。赤鬼傭兵団だけは丘を取られぬようにここにはいない。夜が明ければ王と入れ替わるつもりだ。
闇夜に生える炎の蕾は、指揮官の声と共に夜空に咲き、敵勢へ降り注いだ。
綺麗な光景だ。
だが、敵勢から慌てる声が上がった。
「赤鬼はいるか」
「ここに居る。が、王陛下はすぐに丘のカイと入れ替わった方がよろしい」
「何故だ?」
「この混乱は、素人のもの。夜陰に紛れ大騎士団は何処ぞへ去ったようだ」
「何処へ?」
「城へ戻ったと見るべきかあるいは」
「あるいは?」
「急行しているボルスガルドの援兵を叩きに出たか」
前方から声が上がった。
「攻めよ! 攻めよ! 臆病者は斬り捨てる!」
地鳴りが響き、果たして篝火の帯が照らしたのは、恐怖で顔面を引き攣らせた歩兵達だった。
赤鬼の勘が当たった。ボルスガルドの兵を当てにしているが、実際のところ、向こうも領土鎮静に忙しい時期だ。どのぐらい派遣されてくるのかは分からない。分からないが、クラウザーは義の人だ。そこに最強の義人テトラもいるのだ。領土を取り戻せたという恩義を倍ぐらいに返してくれよう。ずっとそう、無意識に信じていた。今頃になって不安になってきた。援兵はこちらを助けられるギリギリの人数を当てたかもしれない。その場合、大騎士団との戦闘で大敗するだろう。
「王陛下、御下がりください」
合戦が始まった。無限に蠢く敵の影が果てまで続いている。
「ボルスガルドへ救援を出す!」
王はそこで迷った。だが、誰を出せばいい? 雑兵と言えど、この数を覆すのは並では無い。迂闊に戦力を切り崩せない。誰か、信頼に値する者は……。赤鬼傭兵団、聖雪騎士団、聖銀騎士団、聖氷騎士団。駄目だ。皆、要だ。そこにある男の顔が浮かんだ。
「王陛下、御下がりください!」
近衛らが周囲を固めながら言う。後方の地鳴りは急変を察知した赤鬼傭兵団のものだろう。
「ローランドを! 聖星騎士団にボルスガルド救援に向かわせよ!」
ローランドも団長のウイも元聖氷騎士団としてボルスガルドの地理にはある程度は詳しい。だが、そんなことよりもローランドならばと、王は思ったのだった。
2
剣を交えようという寸前で使者が現れた。
「聖星騎士団はボルスガルドの救援に向かうよう、陛下からのご命令です」
「大騎士団はボルスガルドの援軍を潰しに行ったか」
馬上でローランドは思わず苦虫を噛み潰した顔になった。
「命令に従い、聖星騎士団は戦場を離れます! 松明を見失わないように駆けなさい!」
ウイが言い、カールが松明を掲げる。
「出撃!」
ウイが声を上げ、駆ける。カールとローランドが並走した。
「敵は重装のまま出掛けたでしょう。奴らより軽い我々なら必ず追いつけます」
「ただ、ボルスガルドがどの辺りまで来ているかで戦況は変わりますね」
ローランドの言葉にウイが続く。
「ええ、こちらを物量で押し止めている間にやろうと決めたのでしょう」
ローランドが言い、ウイが頷いた。
「敵とはいえ民が殺されるのは気が引けるだ」
「そうよね、カール。大騎士団を撃破してこの戦に終止符を打ちましょう! 私達の手で!」
ウイが言い、ローランドは頷いた。