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傭兵譚  作者: Lance
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撃退

 夕暮れ時、疲れ果てた戦士達の耳に退却のラッパの音が鳴った。それがプリシス側だということは意外だった。誇りと見栄とを勘違いしている国である。そのプリシスが先に退いたのだ。

 程なくしてこちらからもラッパの音色が木霊した。

 死屍累々。夕焼けに染められた敵味方の屍を超えて一同は陣列を整える。ここは原野のど真ん中。煮炊きできるほどの余裕も見せられず、這う這うの体で戻った味方の兵らは袋の生温い水を煽る様に飲み、干し肉を齧った。

 フレデリカは、このままで終わるとは思っていなかった。ボルスガルドの援軍さえ到着すれば戦力を覆すことができる。後少し、朝まで持ち堪えれば良いだけだ。敵はそれを許しはしないだろう。

「赤鬼傭兵団! 移動するぞ!」

 カイの声が上がった。

 もう薄闇が支配していた。夜襲でも仕掛けると言うのだろうか。敵陣を蹂躙すれば良いだけの話だが、フレデリカはルクレツィアとカサンドラが夜襲に加わった経験が無いことを察知した。だが、カサンドラにはサーディスがついている。ルクレツィアも不慣れとはいえ腕を上げている。戦士の勘だって冴え渡り始めるころだ。やはり夜襲か。

 背後に下がりながら、フレデリカは馬を進める。

「御師匠殿!」

 カサンドラが追いついてきた。

「大丈夫か?」

「開祖殿が一緒だから心配要らないのだ。それと」

「それと?」

「義姉上なのだ」

 そう言われて出て来たのは長身の騎士だった。ただし槍はロイトガルのを持っている。相手はバイザーを上げた。

「暗くて顔がよく見えないが、カサンドラの腹違いの姉、イギスと申す」

 女にしては低い声だった。フレデリカも人のことは言えないが、戦士となった女はみんな、声が低くなるのだろうか。と、考えた。いや、カティアは違うか。

「フレデリカと申す。カサンドラには色々気持ちを楽にさせて貰っている」

「皇帝がこの子の母にした仕打ちを私は許さない」

 イギスが言った。

「私もだ。イギス殿を赤鬼傭兵団に紹介しよう」

「紹介するのだー!」

 カサンドラは嬉しそうに言った。

 てっきり迂回するのかと思ったが、丘の方を目指し、赤鬼傭兵団は歩んでいる。向こう側から一団が入れ違いに下りて来た。

 近衛に守られたリョウカク、いや、王陛下だった。

「どういうこと?」

 ルクレツィアがフレデリカに尋ねて来た。フレデリカも思案する。早い話が身代わりだ。身代わりになるからには攻撃を受けるということだろう。合点がいった。

「敵が夜襲で本陣を狙ってくるかもしれないということだろうな」

「あのまま立ってるだけでもあたしらは斃せるのにどうして余計な事をするんだろう」

 賢くなったな。フレデリカは頭を悩ますルクレツィアを見て嬉しくなった。

 丘の頂上に来た頃には周囲は真っ暗だった。

 そこでカイが赤鬼から傭兵団を継いだことを明らかにした。切り込み隊長カイ。赤鬼と比肩する戦士として有望な若者を仲間達は受け入れ祝福した。

 カイがイギスを紹介した。篝火がこれでもかと焚かれ、イギスの端麗な美女の顔を見て、赤鬼の傭兵らの気持ちが昂っていた。

「駄目だ。駄目だ。イギスさんは俺の嫁なの!」

 ロッシ中隊長が慌てて声を上げてイギスの隣に並んだ。イギスの方が背が高かった。

「中隊長、ようやく春が来ましたね!」

「ヒューヒュー!」

 傭兵らは今度はロッシ中隊長を冷やかし祝した。

 一段落したところでカイが口を開いた。

「気付いていると思うが、俺達は王の身代わりだ。まぁ、俺じゃなくて赤鬼のじいさんが言ってたんだが、敵が本陣狙いで夜襲を仕掛けて来る可能性がある。俺達はそれを撃退する。攻撃方法は斜面を生かした逆落としだ。元クロノスのエドガーさんが斥候に出てくれている。その報告を待とう」

 夜も暮れていたが、煌々と照らす篝火の中、傭兵らは無言で騎乗していた。何事もなければ良い、そう思っているものはいない。何事か有って欲しい。プリシスの夜襲隊を撃退し、手柄にしたい。百戦錬磨の生き残りと新人らは思いを一つにしていた。

 エドガーが北側から馬を飛ばして現れた。

「奴ら、そろそろ来るぞ」

 傭兵らは陣列を整え、息を潜めた。馬の息と薪が爆ぜる音だけが木霊する。

 矢なりの陣になった。フレデリカは後列に居て左右にルクレツィアとカサンドラを置いた。

「良い? あたしだって、初めての夜襲なんだから、あんたも避けることだけに集中するのよ?」

 ルクレツィアがフレデリカを挟んでカサンドラに言った。

「ただ駆けさえすれば良い。二人ともそれだけで良いからな」

 フレデリカは二人の弟子を交互に見て頷くのを確認した。私が一番緊張しているのをこの二人は知っているのだろうか。お前達を死なせないために私は戦うのだ。

「かかれー!」

 カイの号令が木霊し、赤鬼傭兵団は気勢を上げて咆哮し斜面を次々駆け下った。

 フレデリカも続く。

「サーディス! その子を頼むぞ!」

 フレデリカは思わず叫んでいた。

 前方で激しい馬の嘶きと悲鳴が聴こえた。

「駆けよ! 駆けよ!」

 ロッシ中隊長の声がどこからか聴こえる。

 前方の傭兵が避けた。それは主亡きプリシスの馬だった。

「二人とも馬に気を付けろ!」

 フレデリカが言った時だった。

「仕留めきれん!」

 前の傭兵が剣を突き出し、影へ突き出す。

「任せて置け!」

 フレデリカはそう言うと夜に馴染んだ目で立ち尽くす孤立した敵の影を見て気合いの掛け声とともに剣を突き出した。

 刃は甲冑を割り、敵を深々と突き刺し、切り裂いた。斃せなかった。まだしばらくは生きているだろう。そう思った瞬間に、カサンドラの声が轟いた。そして嬉し気な声が続いた。

「やったのだ!」

 どうやらサーディスが動いたらしい。彼はきっとカサンドラの中で呆れているだろう。仕損じたな、フレデリカ。と。

 後列の出番は殆ど無かった。主を失った馬と衝突するのを避けるぐらいで、丘を下り終え、逃げ出す馬蹄の音を聴いたぐらいだった。赤鬼傭兵団は追撃を止めた。

「よっしゃ、みんな、御苦労さん!」

 闇の中からカイの声が聴こえ、出来は上々だったことを知らされた。

「成果の方は明日の朝にでも確認しよう。丘へ戻るぞ」

 カイが先頭で馬を歩ませて行く。赤鬼傭兵団は静かに後に続いた。

「団長、敵の馬、貰って良いですか?」

 誰かが尋ねる。

「良いぜ、喧嘩しないで仲良くな」

 カイはそう言った。

「御師匠殿」

 カサンドラが馬を寄せて来た。

「よくやったな」

「私の力じゃないのだ」

「サーディスはお前を導いただけだ。手柄を上げたのはお前に他ならない。それは同時に敵兵の命を奪ったという重みを感じなければならない」

「そうなのだ。簡単に人は死んでしまうのだ。それは私もなのだ」

 フレデリカはカサンドラを寄せて抱いた。

「よく頑張ったな」

「のだ」

 カサンドラは小さくしゃくり上げて、心に積もった緊張と恐怖を涙で洗い流したのだった。

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