過去
サーディスの奥義は色々な種類の得物に渡った。彼に師事し、フレデリカは剣を、槍を、戟を弓を挌闘を投擲を学び続けている。
「お嬢さん、一息入れようぜ」
サーディスがそう声を掛けた。既に昼は過ぎている。ここは屋敷とは離れたスラム街だった。二人は馬で通っているが、フレデリカの家への招きにサーディスは応じず、彼は宿に滞在していた。
「体力と筋力はついたな。若い証だ」
サーディスが褒めた。
「技術と度胸は戦場で磨く必要がありそうだ」
「分かった」
「心配するなよ、死なせはしない」
サーディスは笑うと水袋を呷った。
ふと、フレデリカはいつしか疑問に思っていたことを口にしていた。
「故郷には帰らなくて良いのか?」
その言葉にサーディスは兜から露出している口を拭い、一息吐くと一瞬の間を置いて応じた。
「故郷なんて帰り道すら忘れた。それに俺にはもう故郷なんてのは存在しない」
「どういうこと?」
「筋金入りの箱入りだな、お嬢さん。戦争だよ。取って取られて、年頃の女は連れ去られ、男は徴兵され、その他は殺される。戦の常さ。特に傭兵はな」
サーディスはこちらを見た。兜の合間から覗く双眸がどこか儚げに思えた。
「聴くか? 俺の生い立ちを? 最初に言っておくが同情はするなよ」
フレデリカは頷いた。
2
ある村にガキが一人いた。四人家族で両親と姉がいた。今思えば幸せだったのかもしれない。
大陸は既に戦が始まっていた。今も続く戦乱の世だ。俺達の村が巻き込まれるのも時間の問題だった。
そして国から役人が来た。男は徴兵され、女と子供と年寄りだけになった。
ある日、軍隊が来た。
軍隊は統一された装備をしていなかった。まるで山賊のような印象だった。奴らはあっという間に暴力と血で村を制圧した。母は殺され、姉は連れ去られた。後に残ったのは連中が役立たずと決めた奴らの死体だけだった。
そいつらが傭兵だと知ったのはもっと後になる。
徴兵された男達は帰って来なかった。
俺はその頃十一歳だった。地獄のような光景を未だに忘れられない。女の叫びに、傭兵どもの高らかな笑い声、戦斧が村人を処刑する音。運よく生き残った俺は、生きるために村を出た。もう一つ復讐のためにもな。その辺で拾った剣を腰に収めて、小さな復讐鬼は歩み出した。
だが、そんな中でも良い思い出もあった。
俺が飢えで死にそうになったところを、とある女が助けてくれた。彼女が娼婦だと知ったのはもっと世間が分かってからだ。十三まで世話になることを条件に、俺は夢中で剣を振った。その女はいつでも優しかったが、その優しさが俺の復讐の心を溶かしてしまいそうで恐ろしくなって、俺は飛び出した。
それからは各地をうろつき、再び食う物にも困る有様だ。そんな時に耳に入ったのが傭兵という職業だった。町の大通りで演説する傭兵団の団長や取り巻きを見て気付いた。俺の村を襲ったのは傭兵という奴らだったってことに。
俺は傭兵団に志願した。ガキ扱いされて舐められたが、復讐鬼だった俺は怒りに任せて、戦争を楽しむ連中と相対し、戦った。数え切れないほど斬った。復讐の心が人の命を奪うことを、敵の傭兵や兵士ども、戦場の尖兵どもを葬るのに躊躇はさせなかった。
血を浴び、腕を磨いて、俺は放浪し、その頃にはもう既に流れの傭兵になっていた。
そしてある日、俺は復讐の相手を見つけた。俺の村を襲った傭兵団、赤い鮫をな。
暗殺すれば良かったんだろうが、その時は力はつけていたがまだまだでな。敵対する国の傭兵として雇われて、赤い鮫と戦った。
国軍やこちらの傭兵らの活躍もあり、赤い鮫は呆気なく潰れた。
落ちぶれて逃げ行く鮫の団長の前に躍り出て、俺は敵を討った。今更だが、連れ去られた姉が今どこで何をしているのか分からない。エスメラルダっていう名前だ。俺と同じ黒髪の。
本当なら姉を探したかったが……。
サーディスはそこで言い淀んだ。
「私に構っていて良いのか?」
フレデリカは尋ねた。
「ああ、良いんだ。姉を探す前に限界が来る方が早い」
「限界? どういうことだ?」
「……秘密だ。ひとまずお嬢さん、俺は今はアンタを誰にも負けない戦士として育て上げることだけが夢だ。夢がある、それは幸せなことだ。お前の夢は何だ?」
サーディスに問われ、フレデリカは応じた。
「最強の戦士になること」
「よろしい。それでこそ鍛え甲斐があるってもんだ」
サーディスは槍を縦に振り回す。空気を痺れさせる音が続いた。
スラムの見物人達がこちらを見ている。
「そら、辛気臭い話はここまでだ、やるぞ」
「分かった」
フレデリカは立ち上がった。
正直心が痛んでいた。サーディス少年が全てを失った頃、私は温室で平和でぬくぬくと育ってきたのだ。騎士としての鍛錬はあったが、形ばかりでサーディスの教えには程遠い。
「お前、同情してるな? 人それぞれ生まれも育ちも違うんだ。これも運命だったってことさ」
サーディスは笑い捨てるように言った。
「サーディス、あなたは大陸から戦乱が無くなれば良いと思うか?」
フレデリカの問いに、サーディスは軽く笑った。
「昔はそう思っていたが、今はもう俺の稼ぎは傭兵しかない。少なくとも俺が生きてられる間に戦乱が終結したら困るね」
本心なのだろうか。その言葉にフレデリカは応じる言葉が見つからなかった。
「これでも生きている。俺はかなり運が良い方さ。そら、槍を構えろ」
サーディスの叱咤にスラムの住人達が囃し立てた。
フレデリカは槍を持ち上げた。
突き出し、上段から振るい、下段から突き上げる。
サーディスの目が満足そうにこちらを見ていた。
サーディス、私はせめてあなたの期待に答えて見せよう。あなたがそれで幸せなら。
フレデリカはそう決めると、再び槍を繰り出したのであった。