ローランドの帰還
城の門前で少女の笑い声がする。
「ほーら、高い、高い」
カイがあやすような口調でカサンドラの両脇を持ち空へと翳す。
「楽しいのだ、兄弟子殿よりも大きいのだ!」
カサンドラはそう言った。
ルクレツィアが複雑そうな表情でそれを見ていた。
「どうしたんだ?」
フレデリカが問う。
「ううん、あの子、本当に楽しそうで良かったなって。だけど、あんなことも初めてしてもらったみたいで、何だか可哀想で」
ルクレツィアがキャッキャッと笑い声を上げるカサンドラを見て答えた。
フレデリカも同様の思いを抱いていた。貴族と言えど、王族と言えど、愛無しに育った子供のなんたる哀れなことか。幸い自分は大切にされた。国を裏切る形にはなり、親不孝をしたが、それなりに愛情を注いでくれた両親には感謝している。
「カイは力持ちなのだ」
地に着くとカサンドラが目を丸くしてそう讃えた。
「まぁな。カサンドラも鍛えれば俺みたいになれるぞ」
「止めなさい、マッチョになる必要なんてないわ」
ルクレツィアが歩んで行った。
「だが、ルクレツィアよ、サーディス流の免許皆伝を会得するということはカイみたいな身体になってしまうということなのでは無いだろうか?」
「カサンドラ、フレデリカを見なさい。マッチョに見える?」
「御師匠殿?」
カサンドラの好奇な目がフレデリカに向けられた。
「カイは特別だ」
フレデリカは苦笑し答えた。
「サーディス流の他に赤鬼の鍛錬も受けている。それに素質と言うものがある。カイはマッ……筋肉に恵まれた素質があったということだ」
「……安心したのだ」
カサンドラが心の底からそう言ったようで、フレデリカもカイもルクレツィアも笑っていた。
「何だよ、カサンドラ、俺みたいになりたくないのか?」
カイが食い下がる。
「難しいのだ。筋肉はあれば良いが、カイのような身体になっては着れる服がなくなってしまうのだ」
「そうかい、カサンドラも女の子なんだな」
カイはカサンドラの頭を撫でて、フレデリカを見た。
フレデリカも気付いていた。緩い馬蹄の音がする。やがて、聖氷騎士団が現れた。
「退かぬか! 聖氷騎士団のお帰りだ」
一番前の騎士が言った。
すると、門番が城の中に叫んだ。
「聖氷騎士団の御帰還!」
程なくして今回ついて行かなかった従者らが慌てて入り口から飛び出してきた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
そんな声が無数に聴こえ、従者らは馬を引っ張って行った。
騎士らはフレデリカ達を見ずに城の中へと入った。そんな中、一騎だけ取り残されていた。それがローランドなのにはフレデリカは驚いたが、騎士になったばかりの彼に従者はいないのであろう。
「おっさん、久しぶり!」
馬を引っ張って行こうとするローランドにカイが声を掛けた。
「やぁ、何だサーディス流が勢揃いじゃないか」
「ローランド殿」
青い髪の若い女性の騎士が声を掛けた。
「私の従者に馬をお預けください」
「ありがたくそうさせてもらうよ」
フレデリカはローランドの表情がどこか憂いを帯びているようにも見えた。
「ローランド、いや、ローランド殿、何かあったのか?」
「また呼び捨てで良くなるよ。行こうか、ウイ」
ローランドはそう言った。ウイと呼ばれたキリッとした可愛い女性の表情も冴えなかった。
「ボルスガルドの再興に失敗したのかな?」
カイが訝し気にフレデリカに尋ねる。
「ボルスガルドの兵を当てにしているのだ。そうなれば展開はガラリと変わるが」
フレデリカは回廊を行くローランドの背を心配し、見送った。
2
玉座にはブリック王がいる。それだけでも凍える様だ。特にローランドは自ら口にすべきことを考えると、王に申し訳が無かった。
「聖氷騎士団、御苦労。して、何故、戻って来た」
跪く騎士団の中でジェイソン・ゴンザレスが声を上げた。
「はっ、それはボルスガルドの再興が果たせたからにございます」
「そうか、御苦労だった。次の指令があるまで休むが良い」
「はっ」
ジェイソンが応じ、聖氷騎士団は立ち上がって去って行った。未だ跪く二人を除いて。
「陛下」
ローランドはおずおずと口を開いた。
「何だ?」
「私は騎士を辞めます」
「何かあったか?」
ブリック王の声は気遣うものであったが、ローランドには厳粛なものに聴こえた。
「ありました。ジェイソン・ゴンザレス殿、先ほど、答えた者に騎士団長の座を譲りました」
「何故だ?」
王は更に尋ねて来る。ローランドが答える前に隣に跪くウイが答えた。
「ローランド殿を平民出の傭兵上がりとして、騎士達の大部分が蔑み、戦いの指揮に影響が出ました。私はローランド殿こそ、騎士団長に相応しいとは思います。ですが、ローランド殿を蔑む筆頭のジェイソン殿の器量を認めて、騎士達を一つにすべく騎士団長の職を譲ったのです」
「……分かった。ウイ。ローランドに訊く、ジェイソンの指揮はどうだ?」
王は溜息を吐き尋ねた。
ローランドは失望を買ったと思った。だが、正直に応じようと心を決めている。ジェイソンを侮辱したりはしない。ありのままことを話すのだ。
「有能です。新しい副団長のマルクス・カニバンス殿とも連携が行き届いております」
「聖氷騎士団が機能するならジェイソンが騎士団長でも問題はない。ローランド、苦労を掛けたな」
その言葉に、ローランドは身を震わせた。目頭が熱くなり、悔し涙が溢れて赤い年代物の小汚い絨毯に跡をつけた。
「陛下、御期待に添えず、申し訳ありませんでした。俺は、騎士を辞めます」
「騎士を辞めてどうする? 今更、赤鬼に帰るのか?」
その言葉にローランドはハッとした。自分は赤鬼に帰ろうと思っていたが、それがどれだけ恥ずかしいことか、無念なことか理解していなかった。だが、そうなれば俺の居場所は何処にある。ペケ村に帰って畑でも耕したり、木でも切ったりするのだろうか。
「騎士を辞めるのならローランド、従騎士になれ。主はそこのウイだ。それが嫌なら赤鬼へ帰るなり、故郷へ帰るなり好きにしろ。だが、お前ほどの男を私は失いたくない。それだけだ」
王は立ち上がった。居合わせていた近衛が王の退席を告げると王はローランドの前を歩いて開いた扉の向こうへ行ってしまった。
「従騎士?」
「騎士の従者のことです。地位は劣りますが、騎士へもっとも近い位置にいると言っても過言では無いでしょう」
ウイが言った。二人はまだ跪いたままだった。
「赤鬼へ帰ると言う選択がこれほど恥ずべき選択だとは今まで思いもしなかった」
「陛下はあなたを必要としています。それは私もです。ローランド殿、どうか、このまま去らずに、私の従騎士になっていただけないでしょうか?」
ウイがこちらを見詰める。ローランドは家族のことを考えていた。剣を帯びた男で居たい。ただそれだけだ。騎士は性に合わなかったが、ウイのためになら働ける。
「今日から俺はあなたの従者だ」
「良かった」
ウイは心底ホッとした様子だった。
「百戦錬磨の剣と勘を私に教えてくださいね」
「勿論、俺で良ければ、我が主殿」
頭を更に低くローランドは下げた。
「ありがとうローランド殿」
「敬称は要りません。そこははっきりさせましょう。あなたに近しい方々が良くは思いません」
「分かった。よろしく、ローランド。これで良い?」
ウイはそう言いローランドの肩に手を置いて微笑んだのだった。