母親
フレデリカら、赤鬼傭兵団は、敵兵の弔いをし、味方兵の亡骸を搬送する作業を終え、一度ガルス城へと戻った。
勝利し、攻めるには今が好機だが、多くの兵士や騎士、傭兵が逝った。攻めるには数が心許ない。
ブリック王はクラウザーをけしかけた。解放軍は母国ボルスガルドの領地で兵を見事に集めた。そしてローランドを騎士団長として目付け役に任じ、ボルスガルド解放軍の戦いを後押ししている。
夜になっていた。
与えられた兵舎はルクレツィアと共同の部屋だった。
久しぶりに扉を潜ると、そこには捨てられた皇女カサンドラが、フレデリカのベッドの上で眠っていた。
「フレデリカ! 戻ったの!?」
ルクレツィアが嬉しそうに声を上げる。
「ああ。任務は全て終わらせた」
フレデリカはそう告げ、眠る少女を見た。悲惨な目に遭った彼女の心は大丈夫だろうか。フレデリカは無意識の内にカサンドラの頭を撫でていた。
「今はどうしているんだ?」
フレデリカはルクレツィアに問う。
「この子をひとまず、剣一本に育てるために色々訓練してるところ。たまにリョウカクの奴も見てくれるんだ」
姉弟子として、あるいは兄弟子として、彼女に愛情を注いでいる。良いことだ。自分の出番は無さそうだ。更なる技量を高めるためにカイのように赤鬼に相手になってもらうか。
そんな時に腕を掴まれた。
見れば、カサンドラが眠りながら、涙を流していた。
「母上、行かないで」
この子の身の上を考えてしまうとフレデリカも同情する。プリシスの皇帝は残虐なことをした。何人も妾を持ち、肉欲に溺れ、記憶に残らぬほどの子を生ませたのだろう。だからこそ、この子を物のように扱える。この子の母をゴミのように扱える。女はたくさんいる。また子を生ませれば良い。と、思っているのだろう。
「寝てる時はずっとこんな感じなの。どうしてあげたら良いか分からなくて」
カサンドラはフレデリカの手を更にギュッと握り締めた。
「フレデリカ、お願いがあるの」
ルクレツィアが言った。
「何だ?」
「嫌じゃなければその子に添い寝してあげてくれない? 私じゃ駄目だけどフレデリカなら」
ルクレツィアの妹思いにフレデリカは頷いた。
「それで落ち着くならば」
フレデリカは鎧を脱ぎ、カサンドラの隣に身を横たえた。
カサンドラが、身体を掴んだ。
「母上」
そうして微笑みを浮かべ安らかに寝入ったのであった。
「あたしじゃ、大人のにおいってまだまだ出せないから、フレデリカなら大丈夫だね」
私が年増だと言いたいのだな。フレデリカはルクレツィアの思いを汲みしばらく共に横になっている内に寝入ってしまっていた。
「わあ!?」
どれぐらい寝たのだろうか。少女の驚く声でフレデリカは目を覚ました。
「あわわ、開祖様」
「私は開祖ではないぞ。ただの伝道者だ。開祖は既に死んでいる。おはよう、カサンドラ」
フレデリカが微笑むと、カサンドラは助けを求めるようにルクレツィアを見たが、彼女は大いびきを掻いてまだ夢の中だった。
朝もまだまだ早い時間だった。
「もう少し眠ったらどうだ?」
フレデリカが提案するとカサンドラはかぶりを振り強い目を向けて言った。
「御師匠様に稽古をつけて欲しいのだ」
2
フレデリカはカサンドラの素振りを見た。ルクレツィアとリョウカクの教えの賜物か、体勢は安定し、剣の筋も良かった。だが、体力と筋力が無い。それでも師に良いところを見せようと頑張り続けるカサンドラがいじらしく思え、フレデリカは自ら止めた。
「よく頑張っているようだな。見直したぞ」
フレデリカはそう感想を述べた。カサンドラは肩で息をしながらこちらに目を向けていた。
「母上……」
「……おいで、カサンドラ」
「母上!」
カサンドラは声を上げてフレデリカの胸に飛び込んだ。そして泣きじゃくった。自らの浅はかさを天国の本当の母へ詫びていた。
「カサンドラ、お前を責める者は誰もいない。天国の母上を安心させてやるためにも、お前は幸せにならなくてはならない」
「幸せ?」
「何がお前にとっての幸せか分からない。ただ一つ言えるのは、私はお前に出会えて幸せな気分になれたということだ」
その言葉にカサンドラはワッと泣き出した。フレデリカは彼女を抱き締めた。
3
城の角、リョウカクが何処か羨まし気にフレデリカとカサンドラを見ている。
「あんたも、フレデリカにお母さんになってもらいたいの?」
ルクレツィアがからかうとリョウカクは彼女を睨み付けた。
「何よ?」
「お前はどうなんだ?」
そう問われ、ルクレツィアは述べた。
「あたしはフレデリカにお母さんになって欲しいな」
「そこまで正直に言えるのが羨ましい。それで嫌われないなら尚更だ」
リョウカクがぼそりと呟いた。
「よぉ、お二人さん、何してるんだ?」
大柄な男が現れた。半裸で頑丈そうな胸板を見せ付け、腰には剣を佩き、肩には弓を提げている。カイだった。
「しっ、今大事なところなの」
「誰かの逢引きでも見てるのか?」
カイが顔を覗かせ、状況を理解したように頷いた。
「あれは邪魔しちゃ駄目だな。お前ら、よく飛び出さなかったな」
カイが右手でリョウカクを左手でルクレツィアの頭を器用に撫でた。
「どれ、朝飯まであと少しってところだ。俺から一本取る気概があるなら場所を変えようぜ」
カイが挑戦的に、不敵な笑みを浮かべる。リョウカクが殺気立つのを感じた。
「兄弟子殿、真剣でもよろしいか?」
「良いぜ、ルクレツィアもどうだ?」
その言葉にルクレツィアは頷いた。カイもまたサーディス流の免許皆伝所持者だ。普段はあまり会うことが無いが、会ってみると、頼れる頼もしい兄貴ができたようでルクレツィアは嬉しかった。
「あたしも真剣でやらせもらうわ」
「良いぜ、そら、場所を変えよう」
ルクレツィアは未だに泣き声を上げるカサンドラと慈母のように抱き締めるフレデリカをチラリと振り返り、とても羨ましく思ったのだった。