ブリック王の迷い
あれから一週間、ローランドから見て陛下はよくやっていると思う。宰相と言う役割も居らず、自分自身が全ての政務をこなし、空いた時間にはローランドを相手に剣を振るう。そうして夜遅くまで再び政務に明け暮れ、夜中にミティスティを呼び褥を共にする。
王の寝室の番をローランドはしていた。扉は豪華な装飾の入った木製の分厚い扉だが、聴こえて来るのだ。ミティスティの喘ぎ声が。ローランドも男だ。女性の魅力的な声を耳にし、生殺しにされている気分だった。
サリーと二人目作りたいな。いずれにせよ戦が終わってからだが。近衛二人と交代で行っているが、若い近衛には刺激が強すぎるだろう。発散できていれば良いが。と、ローランドは彼らを気遣った。
ブリック王の部屋からミティスティとブリック王その人が正装で出て来る。二人の正装はすなわち甲冑姿だった。黒塗りの甲冑に身を固めたブリック王に挨拶をする。
「陛下、おはようございます」
「ああ」
「おはよう、ローランド」
王は片手を上げ、ミティスティは親し気に挨拶をしてくれる。
ミティスティが城周辺の治安維持を担っている。王とは別れ、仕事へ向かう。その背を見送ると王は言った。
「死に過ぎだ」
その憂いを込めた一言にローランドは返事ができなかった。だが、共に執務室へ赴いて分かった。オーク材の年代物の机の上にはタグが散らばり山のようになっていた。戦死者の名前が刻まれている。
若い王は自らが戦で犠牲となってしまった者達に直接接しているも同然だ。心だって病む。
「王、今日はお休みください」
「何を言う、私がやらなければ誰がやる」
ガルス城は落としたばかりで文官が揃っていなかった。おまけに宰相という臨時に任せられる立場の者も未だ任命していない。
ミティスティでは慰めきれなかったようだ。王は気を引き締めるように歩み出す。
「俺で良ければ手伝いますが」
ローランドが言うとブリック王は驚いたように目を剥いた後、軽く笑った。
「そうだったな、お前はもう傭兵ではない。騎士団長だった。対座せよ。仕事のやり方を教えてやる」
「はっ、承ります」
近衛が二名現れ、ローランドは扉を閉じた。
タグの数は膨大だった。泥に汚れ、乾いた血が付着しているものもある。鈍い銀色に輝いているそれを見て王は言った。
「実は一つもそれには手を付けていない」
何故です? と、尋ねる前にローランドは考えた。だが、王は言葉を続けた。
「この者達の名前を書き、故郷に見舞い金を送る。それが怖いのだ」
「遺族に恨まれるとお思いですか?」
「違う」
ブリック王はゆっくりそう言うと応じた。
「この者達の死を認めるということは、兵士が思いの外、少なくなったことを認める事になる。私は徴兵はしない。あくまで志願兵のみで戦いを挑み続けるつもりだ」
立派な答えだが、ローランドにも分かった。国力で優るロイトガルだが、プリシスだって大国だ。徴兵をしてくれば一人一人はロイトガルの兵士以下だが、数で押し切られる。
「勝てるのか……この戦」
王の弱音にローランドは動揺した。だが、冷静になった。王にかけるべき言葉は一つ。
「勝ちましょう。勝つのです」
「術はあるのか?」
「それは……」
ローランドも直情的な戦いしかしたことが無い。ここに来て軍師と言う戦術眼を持つ者がいないことが悔やまれる。いや、ロイトガルの将ならば智慧を突き合わせて、打開策を見出すだろう。
「もしも、プリシスが再び大騎士団を率いてくればその時は……」
全滅だ。不意にローランドの脳裏にある考えが浮かんだ。
「ならば、テトラのいるボルスガルド解放軍と共にボルスガルドの地を安定させ、兵を募ってはいかがです? 戦故、犠牲は出ますが」
「旧領奪還のための戦か……。解放軍の士気は高いだろうな。彼らを主体に我らは手伝い戦をする。面白い」
王はフッと笑んだ。
ローランドは自分で言っておきながらボルスガルド解放軍を扱き使うことを快く思ってはいなかった。彼らはよくやった。
「ローランド、貴様に政務を教えるのは後だ。聖氷騎士団を率いて、ボルスガルド解放軍と共に各地を蹂躙し、ボルスガルドの再興を果たさせろ」
「はっ」
ローランドは騎士の礼をした。
その時、扉が叩かれた。
「何用だ?」
王が尋ねる。
「陛下、ギルバートでございます」
「入れ」
扉が開き、そこにいたのは老騎士だけではなかった。ルクレツィアと、薄汚れた高貴な身なりをした少女がいた。
「孫でも見せに来たか?」
「いいえ、孫ではありません。こちらは元プリシス帝国皇女のカサンドラ殿」
「元? まぁ、良い入れ」
王が言い、ローランドは外の近衛にイスを持って来るように命じた。
改めて空気が厳粛なものになる。
「元皇女だそうだが、どういう経緯でこうなった?」
王が尤もなことを尋ねる。
「彼女は独断で兵を挙げました。それを父である皇帝に咎められ、母を殺され、親子の縁を切られました」
ギルバートが簡潔に説明した。
「その抱えているのは何だ?」
「この子のお母さんの首よ。リョウカク、埋葬させてあげて」
ルクレツィアが頼むと王は頷いた。
「埋葬はさせても良いが、人質にもならぬ者を私にどうしろと、お前達は言いたいのだ?」
王は静かに尋ねた。
ギルバートとルクレツィアが顔を見合わせ、ギルバートが応じた。
「どうか、お願いです。客分として扱ってはいただけないでしょうか?」
ギルバートがイスから下り、床に平伏して願い出た。
「磔にして兵の士気を上げるのには使えるか」
「待ちなさい! どうしてそんな酷いことを平気で言えるの?」
「ルクレツィア、今、我が軍がどんな状況か分からないわけでもあるまい」
ブリック王が言うとルクレツィアは述べた。
「この子はサーディス流の門下生になったのよ、私とあんたのとっては妹弟子にあたるわ」
サーディス流の門下生か。
ローランドは薄汚れた少女、いや、元皇女にそこまでの資質があるのか分からなかった。だが、誰だって最初は何も分からない。
「やってみなければ分からない」
気付けばローランドはそう口にしていた。全員の視線が集中する。
「元皇女様もサーディス流を学びたいと思われるなら習われるのがよろしいと思います」
「彼女には政務も教えます。プリシス陥落の暁には、補佐を付け新任の太守として民を慰撫させればよろしいかと存じます」
また平伏しギルバートが言った。
「ギルバート、もう良い、分かった。御師匠様が認められたなら、彼女は流浪の武人ということになる。力は当てにはしてないが客将という立場で預かろう」
「ありがたき幸せ」
ギルバートが頭を下げる。
「ブリック殿、いや、兄弟子殿、ルクレツィアと共に私を鍛えてほしいのだ」
少女が言うとブリック王は頷いた。
「分かった。だが、今は政務が滞っている。ルクレツィアにしばらく鍛えて貰え」
「外周を走らせて足腰と体力を鍛えるつもり」
ルクレツィアの言葉に王は頷いた。
「ひとまず、お前の母上の供養が先だ」
ブリック王はイスから立ち上がった。そしてローランドを見た。
「まだ居たのか? 手筈通りやれ」
「は、はい」
ローランドは敬礼して部屋から飛び出した。
王の迷いと心配を晴らすために俺は動くんだ。
「聖氷騎士団を集結させよ!」
ローランドが回廊で声を上げると兵士らが慌ただしく駆けて行った。
さて、テトラと一緒に戦うのか。敵に回せば厄介だが、味方となればこれほど頼もしい者はいない。
ローランドは回廊を歩き外を目指したのであった。