見捨てられた皇女
敵の皇女を手に入れたことで、若干、内容が変わった。
女性であるフレデリカとルクレツィアが、赤鬼、ギルバート共に帝国へ赴き、バトーダとカイが残ることになった。
先鋒を赤鬼とギルバートが行き、敵の騎士の亡骸を乗せた荷車が五十台以上行く。その後を馬が続いて、同じく五十名の兵士に敵の若い騎士団が護送される。フレデリカとルクレツィアは最後尾で皇女を引っ立てていた。
だが、この皇女が厄介者で、十キロも歩かないうちに馬に乗せろとわがままを言って騒いだ。
フレデリカは不安げな兵士らに先に行くように指示を出した。
「ほら、キリキリ歩け!」
ルクレツィアが言うと両手だけを縛られた皇女カサンドラは涙目で訴えた。
「私はもう脚が痛いのだ! 馬に乗せろおおおおっ!」
そのある意味では魂の叫びにフレデリカは呆れ、可哀想になってきた。背負えば首を締められる可能性が無いわけでも無い。彼女は皇女を抱き上げた。
「仕方のない奴だ」
かつての貴族で騎士だった自分を思い出す。馬に乗るばかりで足腰を鍛えていなかった。歩兵となり、それが響き、サーディスに外周を走らされた。
「貴族なんて本当に気位が高いだけよね」
ルクレツィアが言ったことがフレデリカの胸にも刺さる。
抱き抱えるにあたって皇女が軽い板金の鎧であったことが救いだった。もっとも戦闘技能も乏しそうな彼女が軽装を生かし避けて斬る真似をできるとも思えないが。
原野は広く、元クロノスのエドガーが地理に明るいため先導している。
カティアやロッシ中隊長は今頃は敵の一般の兵士の火葬と、味方の兵士の亡骸を集めているに違いない。
「貴様、それは義手か?」
胸の中で小柄な皇女が顔を上げて尋ねて来た。
「そうだ」
フレデリカは答えた。
「そんな風になってまで戦場に出るのか? 変わり者だな」
「私にとって傭兵団こそが家だからな。今の私にとってはロイトガルのために戦うことが全てだ。弱音など吐いていられんよ」
「勝つのはプリシスだ! 何なら縄をほどいてみよ、私の剣術で貴様を軽く圧倒してくれるわ」
歳は成人してもまだ大人に成り立て。少女の域を出ていないのだな。
フレデリカはかぶりを振った。
「私の一存でお前を自由にするわけにはいかない。今度、戦場で出会ったときに試してみるが良い」
その声に皇女は悔しそうに歯噛みしていた。
さすがに歩き詰めで一晩を原野で過ごした。皇女は乾パンと干し肉が美味い美味いと言って、持ち合わせを食べ尽くす勢いだった。
「王族って変わってるのね。舌が肥えてるから駄々をこねるとばかり思ってたわ」
共に座りながらルクレツィアが言う。
「おう、臭い息、おかわりだ」
「誰が臭い息よ! あんただって同じよ!」
「そんなことより、おかわりだ」
「はぁ……あたしのやるわ」
ルクレツィアが渡すと皇女カサンドラは目を輝かせて食べ始めた。
「こんなに美味い物を食べられるとは、傭兵とやらは恵まれているな」
「うちにはコックがいないからね。あたしはちゃんとした料理が食べたいわよ」
フレデリカはルクレツィアと皇女が姉妹のようにも見え微笑ましく思った。
夜明け、行軍が再開されたが、朝食前に隊列は止まった。
「フレデリカ」
「ああ、敵と鉢合わせたのだろう」
「はははは、ようやく自由になれる」
皇女は御機嫌だった。
前方の兵士がフレデリカを呼んだ。
「赤鬼殿から人質の皇女を連れて来いとのことだ」
「分かった」
皇女を護送し、ルクレツィアと共に隊列の脇を歩いて行く。
既に騎士達と騎士の亡骸、馬達は引き渡された様だ。ということは戦にはならないだろう。
後は、この少女を渡して任務完了か。
「赤鬼団長、連れてきました」
赤鬼とギルバート、エドガーがいた。その眼前には軽装の斥候隊と思われる者達が、百名ほどいた。
「ほれ、これで最後だ」
赤鬼が皇女の手を握って押し出すと、驚いたことに敵の隊長は制止するように手を向けた。
こちらが驚いていると、隊長は言った。
「皇帝陛下のお言葉だ。軽々しく兵を率い、無様に負けて来るような、猪女は我が娘に有らず。元来女性とは淑やかであるべし。お前のようなはねっかえりは女に有らず。何処へなりとも行くがよい」
「つまりこの娘は要らぬということか?」
赤鬼が尋ねる。
「そういうことだ。話が早い」
敵の隊長はそう言い、隊列を反転させた。
「待たぬか! 私も連れて行け! 私は皇女カサンド」
そこで敵の隊長の平手打ちが飛んだ。
鞭で打たれたような痛烈な音が響き、カサンドラは地面に倒れた。
「き、貴様! 私は第三十二女、皇女カサンドラだぞ!」
カサンドラは涙を流しながら睨んで叫んだ。
「知らぬな。それとこれに見覚えはあるか?」
隊長が言うと一人の兵士が地面に何か重たいものを転がせた。
「ひっ!?」
カサンドラが悲鳴を上げる。
フレデリカも驚いた。それは女の首だったからだ。
「は、母上!?」
「貴様が勝手極まる真似をしなければ、下賤な生まれでもこのようなことにはならなかったろう。さぁ、引き上げだ」
フレデリカは思わず奥歯を噛み締めた。これほど無念なことがあろうか。皇女カサンドラの母は壊れた人形のように処分された。そして我が子を叱るどころか軽々と皇帝は見放した。
「貴様らぁっ!」
両手首を縛られたカサンドラが突撃しようとするが、ルクレツィアが後ろから抱き止めた。
「放せ、放さぬか、臭い息!」
だが、ルクレツィアは無言でそのままカサンドラを抱き止め続け、敵の隊列が消えた頃になってようやく放した。
カサンドラは涙を流し、婦人の首を振り返った。
「母上……」
見捨てられた皇女は首を抱き締めて嗚咽を漏らしていた。
「赤鬼、お願いがあるの」
ルクレツィアが言った。
「分かっておる、軽率な行為ではあったが、これほどの惨い仕打ちを受けた女子を放っておくわけにはいかん。陛下に頼んで客分にでもしてもらおう。ギルバート?」
「同情はするが、もはや、皇女では無い。願い出てはみるが、あまり期待はするな」
老騎士は盟友に向かってそう答えた。
静かな平原には少女の啜り泣きだけが聴こえたのであった。




