皇女出現
ドムルが駆け、王が去り、戦場だった原野はそれでも静かにはならなかった。
敵騎士の遺体を集めて本国へ搬送する兵達、味方の亡骸を同じくまとめて送還しやすいように動く赤鬼傭兵団達と、声は飛び交っていた。だが、敵の動きが気になるため、赤鬼傭兵団もロッシ中隊長を中心にまずは敵の騎士の亡骸収集に手を貸していた。
「プリシスは仕掛けてくると思う?」
首無しの亡骸を二人で運びながらルクレツィアが問う。
「どうとも言えんな。あの国は恐ろしいほどの寡黙な国だ。その寡黙さの下に我々を苦しめたプリシス最大の大騎士団という名の騎士の精鋭の集まりがある。今回はそれを撃破した上、多くの元ボルスガルド兵らがこちらへ寝返った。プリシスは大国とはいえ、今のロイトガルに国力は遠く及ばない。それを熟知しているのであれば無謀な戦いを挑まず、一度足並みを揃えると私は思う」
「時間が掛かるんだね?」
「それなりにな。だが、うかうかしていられんぞ。テトラが討った敵総大将は第一皇子だ。皇帝がどれほどこちらを憎悪するかは分からん」
「今さ、攻めてくれば少なくともあたしらは狩れるよね? 強敵を討つチャンスじゃん」
その言葉を聴き、フレデリカは軽く笑った。
「赤鬼の声望がそれほど高ければ逆に挑んでは来ないだろう」
「ふーん」
ルクレツィアは曖昧に応じた。
重装の敵の亡骸は重く、兵らは愚痴を零していた。残された馬も赤鬼自身が乗る愛馬黒獅子に優るとも劣らない見事な体格をしていた。そこに甲冑を着込んでいる。これが突っ込んで来たのだ。フレデリカは犠牲になった味方勢がどれほど恐ろしい思いと無念さを残して一瞬の内に死人と化したのか考えるとやるせない気持ちになった。
赤鬼と聖銀騎士団長のギルバートは老齢ながらもこの中でダントツで見事な体躯をし、競うように働いていた。他の者が二、三人で運ぶ亡骸をたった一人で担いで、元輜重が乗っていた荷馬車に重ねる。
馬車は何十台と並んでいた。ドムルの言う通り、こちら側の犠牲となった者達を運ぶ分は残されていなかった。
未だに失われた首からは血が流れ落ちている。血で汚れることにはフレデリカもルクレツィアの方も抵抗は無かったようだが、フレデリカは意図して首側を持った。太く白い骨が肉の中に見える。サーディスと出会った頃なら吐いていただろう。だが、今は平気だ。
積載作業は夜まで続いた。
三日月と星々が照らす静かな夜となった。
中心人物である老人コンビの赤鬼とギルバートも黙し、干物を食べ、ビスケットのようなパンを食べた。歩兵に組み込まれた元クロノス傭兵団のエドガーという人物が近くに沢が流れているのを見つけて来たので、馬達をそれぞれ率いて行った。
誰もが馬だけでも頂戴できないだろうかと思っていたが、王は既に居らず、聖銀騎士団長ギルバートが馬も返却しようと言ったので、頷くしか無かった。
馬の数も多かったので休める時間になったのは深夜になった。
ギルバートと赤鬼本人らは夜明けとともにここを出立するので彼らを休ませ、赤鬼傭兵団は歩哨に就いた。
だが、ルクレツィアが隣でうとうとしていたのでフレデリカはその場に座り、彼女の頭を膝の上に乗せた。
「ちょっとだけ休むだけだから」
ルクレツィアは挑むようにそう言うと安らかな寝息を立て始めた。
今、春の夜の月と戦士の星々の下、聴こえるのは安らかな寝息と霞のようないびき、そしてひそやかな談笑だけだった。
2
夜が明けた瞬間、馬の嘶きが轟いた。
何事かと起き出す者、眠たいを目をこすっていた者達が一気に戦士の気を放つ。
西、プリシスの方角から騎士団が現れた。騎士団は大きく広がった。
「仕掛けて来たよ!」
ルクレツィアが起き上がり、剣を引き抜く。
フレデリカは緊張と共に義手を柄に掛け、右手で続けて掴んで引き抜いた。
「それ! 愚兄の仇よ! やってしまうのだ!」
まだ成熟したばかりの女の声が轟いた。
数ではこちらが優っている。ギルバートがそれぞれ広がる様に命令を出した。
地鳴りが鳴り響き、騎馬が突っ込んで来る。
密集隊形では無いこちらの軍勢は軽々と騎馬を躱した。
フレデリカは少々苛立っていた。これからその遺体を返却するところだというのに、また仕事を増やすのか?
避けられた騎馬隊が再突撃してくるがもはやバラバラであった。
「突撃よ! 突撃あるのみなのだ!」
指揮官は一人だけ残り声を上げていた。
これ以上、犠牲を増やすわけにはいかない。戦が面倒だと思ったのは初めてだった。
フレデリカは返却予定だった敵国の馬の方へ走り、一頭掴んで飛び乗ると、馬腹を蹴った。
見事な身体の馬はグングン速度を上げて、馬蹄を弾ませ、敵の指揮官に肉薄した。
「おのれ! 斬り捨ててくれる!」
敵将に褒めるところがあるとすれば重たいランスを捨てて剣を抜いたことだけだろう。
こちらのセリフだ。
フレデリカは乱暴に剣を振るった。
「キャッ!?」
フレデリカの荒々しい剣を喉元で避けようとした敵の指揮官は可愛らしい声を上げて馬から落ちた。
フレデリカは馬から下り、剣を向けた。
「まだやるか?」
「生意気な、この年増女!」
振るわれた剣と兜が甲高い音を上げて宙へ舞った。
ルクレツィアが隣にいた。駆けて来たらしく息を荒げていた。
「フレデリカの悪口は許さないよ! それによく戦場を見たらどう? あんたのヘボ騎士団はみんなお縄よ」
彼女の言う通りだった。馬上にいた騎士達は落とされ、武器を捨てて投降していた。
「こらー! 誰の許しを得て武器を捨てているのだー!」
バイザーを上げたその顔はルクレツィアよりも年若い十五、六程の少女、いや、成人したばかりの女性だった。色白で、少女の面影を残した鼻筋が低く緑色の目の可愛い顔をしていた。
「そんなことおっしゃってもカサンドラ様、こいつら強くて」
「大体こうなることは分かっていたのですよ」
「ですから、進言申し上げたのです!」
などと騎士達が抗議するように声を上げる。その騎士らも若かった。声からすれば二十になった頃だろう。
赤鬼とギルバートが歩んで来た。
カサンドラの目が大きく見開かれている。身体が震えている。
老人二人は涼やかな形相だが、目は笑ってはいなかった。
「貴様のような尻の青い者が出るほどプリシスは追い詰められているのか?」
ギルバートがドスを効かせて詰問する。
「黙れ、我が国にはまだまだ兵はいるのだ。ロイトガルを潰せるぐらいに!」
という彼女は無理やり強気な声を出したのは明白だ。
「先の騎士どもは処刑した。お前達も後を追うか?」
赤鬼が二メートルの巨剣を見せるとカサンドラは引き攣った笑みを浮かべた。
「ただでは死なないのだ!」
短剣を引き抜いて赤鬼へ突進したが、彼に頬を殴り飛ばされ、カサンドラは地面に倒れて、やがて泣き声を上げ始めた。
「どうしたものか」
赤鬼が言う。
「お、お助け下さい! カサンドラ様は皇女にしてまだ十六歳、成人したばかりです! どうか、我らの命と引き換えにお慈悲を!」
一人の騎士が声を上げた。
「待てよ、死にたくないよ、俺だって!」
「もとはといえば、皇女様が!」
「俺達は再三に渡って止めたのに!」
騎士らがそれぞれ死ぬ死なないで声を上げて討論を始めた。その半数以上が自分は死にたくないというものであった。
赤鬼とギルバート、それにこちらの兵らが溜息を吐く。
「うるせぇぞ、ガキども! とりあず黙れ!」
カイ、通称鬼のカイが声を轟かせると、騎士らは身震いして口をつぐんだ。
「カサンドラとか言ったね!」
ルクレツィアが続けて声を上げて地面に両膝を着いて大泣きしている成人したばかりの女性に近付いた。そして乱暴に髪を引っ張って持ち上げると顔をグイと近付けせて言った。
「戦はね、遊びじゃないの! 分かったなら、取り巻きの連中を引き連れてとっととお家に帰りな!」
「……さい」
カサンドラが言った。
「何?」
ルクレツィアが尋ね返す。
「息が臭い」
「う、うるさい! こちらとらお上品に歯を磨いている暇だって無いのよ! 馬鹿!」
ルクレツィアが突き飛ばすとカサンドラは力無く地面に尻もちをついた。こちらを見上げる涙でぐしゃぐしゃの顔は赤鬼に殴られた片頬が腫れ、鼻血がとめどなく流れていた。
ルクレツィアが溜息を吐いて布で彼女の鼻を押さえた。
「あとは自分でやりな」
ルクレツィアが言うとカサンドラは布を受け取り鼻を押さえた。
見るも哀れな姿にフレデリカも情けを覚え赤鬼に進言した。
「ひとまずは人質として、厄介ですが遺体と共にお届けになられる他無いのでは?」
赤鬼もギルバートも弱った顔で腕組みした。
「面倒だが、止む無しか」
「そうだな。面倒だが、止む無しだ。こんな無抵抗に近い若造どもを斬る剣など、ワシは持ち合わせはおらぬよ」
赤鬼が言いギルバートが頷いたのだった。