人助け
次なる戦のにおいがなかなか漂って来ない。神は俺に飢えて死ねと仰ってるかもしれない。
サーディスは歩き続け文字通り飯の種を探していた。特に貧困状態というわけでも無い。むしろ懐は温かいが、金はあっても困るものでもない。それにいざという時にものを言うのが金だったりする。
「もしもし」
不意に声を掛けられ、サーディスは季節と同じ秋色の外套を羽織った老爺が道に座り込んでるのを見た。
「何だ、じいさん、物乞いか?」
「いや、違う違う。杖が折れてしまっての。家に帰れんのじゃ」
老人にそう言われ、サーディスは溜息を吐いて屈んだ。
「乗りな。家まで送ってやる」
「すまぬな」
老人はサーディスの背に乗った。サーディスは立ち上がった。
「じいさん、軽いぞ。ちゃんと食えてるのか?」
「ふむ、その質問は村ではしない方が良いぞい。じゃが、今は村ではない。聞き耳を立てている奴もおらぬじゃろう」
サーディスは歩き出す。老人は少し間を置いて言った。
「領主様じゃ。日に日に年貢の取り立てが厳しくなってきての」
「どこもそんなもんだよ」
サーディスは各地を渡り歩き、大陸自体が疲弊しているのを知っている。こうして生き残ってるのもありがたいが、貴重な生き残りを殺して生活の糧を得ている自分はどちらかと言えば領主側だろうか。初めてそんなことを考えた。
村に入ると門番が驚いた様子で槍を突き出してきた。
「イアン、ワシじゃよ。この方に家まで送り届けて貰っておる途中での」
老人が言うと軽装の鎧に身を固めた門番の青年は槍を下ろした。
「あなたは傭兵ですか?」
「そうだ。通っても良いか?」
イアンと呼ばれた門番は少々悩む様にして道を譲った。
「お役目御苦労」
サーディスはそう言うと歩き始めた。
2
村は丘陵地帯に発展していた。点在する民家に家畜小屋、畑、農耕と牧畜が主な生業の様だ。
柵沿いに丘陵を少し上った先に老人の家はあった。
「あれあれ、怖い人が来たと思ったらうちのじいさんが背中におるでないの」
老婆は声程驚いた様子もなくサーディスを眺めた。サーディスが老爺を下ろすと、老婆が言った。
「御親切にありがとうねぇ。今夜泊まるところが無いなら、うちに上がりんしゃい」
「その御厚意に甘えて、納屋貸してくれ。そこで寝る」
サーディスが言うと老夫婦はかぶりを振った。サーディスは一人になりたかった。それに野宿よりはマシだ。
老夫婦が折れ、サーディスは納屋を借りて寝ることとなった。
「こんな物しか出せんが、許して頂戴ねぇ」
老婆がパンを二つとイモのスープを持ってきた。
「ありがとな、婆さん」
「なぁ、アンタさん、そんなに怖い人でもないのにどうしてそんな黒くて怖い鎧なんか着とるね。そんな鎧すぐに脱いだ方が嫁さんだって来るだろうに」
「俺はな臆病だから、強い人間を気取ってるんだよ。飯、ありがとな」
そうして月が上り、フクロウの鳴き声が遠くから霞の様に聴こえて来た。それを僅かに凌駕する忍び足も。
サーディスは藁の上に横たわり、相手が来るのを待っていた。
足は正面で止まった。
「あなた、傭兵だって本当ですか?」
顔を起こせばそこには門番の青年が立っていた。
「そうだぜ、流れ流れ行く傭兵さ。何か用か?」
「あなたは強いのか?」
「どうだか」
問いに答えたが、相手は返事をしない。黙したままだった。
サーディスは身体を起こした。
「しけた面してどうした?」
「う、うわあああっ!」
突如相手が槍を繰り出してきた。
サーディスは右手で横合いから掴んだ。
青年は押している。だが、サーディスへ槍の穂先は少しも進まない。
「駄目だ」
青年は槍から力を抜いた。
「粗末な槍だな。しっかり刃は研いでおけよ。日頃からそういう備えって大事だぜ」
サーディスは奪い取った槍を放り投げて返した。
「あなたに頼みがあるんです」
門番の青年は真剣な表情で申し出た。
「何だ?」
「実は領主様に幼馴染のミリーが無理やり連れて行かれて、明日、領主様と結婚することになったんです」
「つまりお前さんは、その幼馴染に惚れてるんだな? それでもって今夜中に奪い返して来いと言いたいわけだ」
サーディスが言うと青年はやや驚いたような顔をして頷いた。
「お金でしたらお支払いします。ミリーは僕と婚約してたんです。僕は彼女無しの人生なんて耐えられない。彼女もあの肥え太った豚に嫁ぎたいだなんて思っていないはずです。手紙が一通、鳩で届けられました」
青年は丸まった羊皮紙を取り出した。
そこには一言、「助けてイアン」と、記されていた。
「夜陰に紛れて事を起こすところまでは考えていたわけか」
「ええ。あなたが断るなら僕が一人で行きます」
青年は固い決意をした眼差しをサーディスに向ける。射貫くような頑なな双眸だ。
こいつが領主亭に乗り込んで婚約者を連れ戻せるかと尋ねられれば、まぁ、無理だわな。
「お金だったら払います」
サーディスはその言葉に応じた。
「分かった。村を捨てる覚悟は出来てるんだろうな?」
「勿論です」
「なら、行こうぜ」
3
丘陵の天辺に領主の大きな屋敷があった。屋敷というよりはちょっとした城だ。遠目だが見張りは二人いる。
「どうします?」
「お前が交渉してみるか?」
「そんな、無理に決まってますよ」
「だろうな」
サーディスは青年を置いて篝火が照らす二人の番人の元へと歩んで行った。
「何者だ!?」
番人達が槍を向ける。
「ミリーだったか。という娘に用があってな。会わせちゃくれないよな?」
「当たり前だ、去れ、余所者」
槍先がサーディスの甲冑に当たった。
「ハハハ、この野郎。俺の大事な鎧に傷をつけやがったな」
サーディスは片手剣を抜いた。
「何のつもりだ?」
「兜と鎧は俺の命だ。人の心臓に傷を付けてくれたんだ。相応のお返しはしないとなっ!」
サーディスは踏み込み、一人を肩口から斬り裂き、両手で剣を握って後ろに突いた。もう一人の番兵は甲冑を割られ、心臓を貫かれていた。
「つ、強い」
青年が後から出てきた。
「お前さんには案内人になってもらう。恋人が監禁されてそうな場所まで俺を導けるな?」
「や、やってみます!」
「やるんだよ」
サーディスは剣の血糊を振り払うと鉄の扉を押し開けた。
蝶番の軋む音だけが聴こえた。静まり返った館では、運が良ければ幽鬼にでも出会えそうな気もした。
門番の青年はサーディスが殺した番人の装備を漁り、小剣を手にした。
「狭い館の中では槍では不利ですからね」
「それを聴いて安心した」
サーディスはそう言うと歩み始めた。
青年が慌てて前に出た。
「こっちです」
燭台がまばらに灯る回廊を行く。
幾つもの彫刻の施された贅沢な木の扉があったが、青年は足を止めなかった。
が、その足が止まった。サーディスも気付いていた。足音がする。運悪くこちらへ向かって曲がり角の先に現れた。
巡回の兵士だったが、サーディスは素早く腰のベルトから短剣を抜いて一瞬で狙いすまして投げ付けた。
「ぐっ!?」
短剣は兵士の首に突き立った。そのまま崩れ落ち、黒い血の染みの中に横たわる。
運が悪かったのはどっちだったかな。
サーディスは短剣を回収し血糊をボロ切れで拭うとベルトに収める。
「行きましょう」
青年が促した。
二人はそのまま外回廊へと出た。
本当に城だ。相当な金持ちだな、ここの領主は。領民の老人の言葉を思い出す。これは国に送るのとは別に私腹を肥やしている線が濃厚だ。何も珍しいことではない。そういう代官なら各地にたくさん蔓延っている。出来れば、死んで欲しいが、そう言う奴ほどしぶとく、図太く生きるし、運が味方する時が多い。
青年が足を止めた。
見れば番人が一人、こちらに気付く様子もなく真正面を見て立っていた。サーディスらは右手にいる。
「サーディスさん」
「任せちゃいな」
サーディスは歩み出した。甲冑が擦れて鳴り、相手がこちらを見た。
「な、何者だ!?」
「流れに流れてここに辿り着いちまった傭兵だよ。領主の結婚相手を探している。この中か?」
「おのれ、侵入者! 死ね!」
戦鎚が唸り上げてサーディスが居た場所を穿った。
「それなりに腕のある奴を見張りにつけてたか。お前さん傭兵だろう?」
「馴れ馴れしい奴! その口を黙らせてやる!」
一薙ぎ、二薙ぎ、サーディスが後退すると戦鎚は風を煽って唇と目に夜の冷たい空気を吹きかけて来た。
「相当な重さだな、その鎚」
「黙れと言っているだろう!」
頭上から振り下ろされた膂力ある一撃をサーディスは避けると、剣を振り下ろした。
刃は敵の両腕を半ばから分断した。
「ひ。ひいいっ!?」
「廃業にして悪かったな。だが、お前の腕じゃどこかで野垂れ死んでたぜ。死期が早まっただけだ、あばよ」
「や、やめ」
サーディスは無慈悲に剣を振るった。兜をかぶった首が金属の音を上げて転がっていった。
「ミリー!」
青年が飛び出し、扉のノブを回すがビクともしない。
「イアン!? イアンなの!?」
中から女性の声が聴こえて来た。
「鍵が掛かっていて開かない……の?」
女性の間の抜けた声と共に扉は開かれた。サーディスは輪っかと捩じり棒を使い解錠したのであった。
「ミリー!」
「イアン!」
二人は抱き合った。
「お熱いところ水を差すけど、ずらかるぞ。屋敷中の人間を斬り殺さなきゃならないかもしれなくなるぜ?」
サーディスは背を向けて歩き出した。
ふと、背後に殺気を感じた。
「このぉっ!」
振り下ろされた小剣を得物で受け止め、サーディスは振り返った。
「焦るなよ。わかってるさ、俺に払える程、金の余裕が無いことぐらい」
そう言うと青年は膝から崩れ落ちた。
「腰抜かしてる暇はねぇぞ。騎士様」
サーディスらは領主の屋敷を後にした。朝になって大騒ぎだろう。そして領主の花嫁と、村の門番一人が行方知れずとなる。
街道に出ると、サーディスは足を止めた。
「俺が出来るのはここまでだ。良い夫婦になれよ」
月が恋人同士を照らした。
「サーディスさん、本当にありがとうございます」
青年が礼を述べた。
「おっと、もう一つ、俺にやれることがあった」
サーディスはそう言うと財布を青年に放り投げた。
皮袋の中で硬貨が揺れる音がした。
「これは?」
「これから余所で暮らすんだ。金が必要になる」
「何から何までありがとうございます」
青年が頭を下げた。恋人の女性も倣った。
「じゃあな、これからお前が彼女を守ってやれ。幸せな家庭を築けよ。幸運を」
サーディスはそう言うと恋人らに背を向け反対方向へ歩き出した。
「サーディスさん、あなたにも幸運を!」
青年の声が聴こえ、サーディスは止まらず振り返らずに手を振ったのだった。
頭の中にあるのは鎧のことだった。本当に傷になってなければ良いが。
こうしてサーディスは彼の人助けを賞賛するような満天の星空の下、再び流れて行ったのであった。




