暗殺
ローランドの腰の皮袋にはすっかり元気を取り戻したペケサンが入っていた。
新年を迎えたが、聖雪聖銀の両騎士団はこの雪では来れないだろう。雪が溶けてからが勝負だ。だが、年賀の挨拶に解放軍の若い首領がテトラを連れて来たことには驚いた。テトラの存在とこの雪道を来たことに対してだ。
新年の祝いは盛大に行われた。ローランドと赤鬼、バトーダも招集された。他の者達も他の者達で楽しくやっていることだろう。
そんな新年も過ぎ、解放軍の面々も去り、城は再び静かになった。
人は動いているのだが、静かなのだ。それがブリック王がいるということなのだろう。
ローランドは厩舎に居た。ブリック王とルクレツィアもいる。ルクレツィアの馬術を鍛えるという名目で王は供を付けずに外出した。一人連れて来られた相談役と言う肩書のローランドの責任は重大だった。
「王! 近衛兵をつけてください! せめて二人!」
雪原を飛ばしながら並走するルクレツィアにあれこれ助言する主の後ろからローランドは幾度もそう呼んだ。
だが、王は止まらない。しかし、ルクレツィアが振り返った。
「大丈夫なの?」
「供など要らん。分かったか、ローランド!」
「しかし!」
ローランドは食い下がったが王は再び馬を飛ばし距離を離す。ローランドの選んだ馬の脚は王の白馬には及ばなかった。王は馬を見る目はある。ルクレツィアの馬は一般の厩舎にいたにも関わらず健脚だ。体力もある。
「王! 供を! 油断してはいけません!」
ローランドは何故か、ミティスティを思い出した。彼女も聖銀のギルバートも苦労したことだろう。ちなみにどうやらこの外出は聖氷騎士団長のニーには伏せられているようだ。そうでなければ、供を寄越すはずだ。ニーに二心が無ければ。
聖氷騎士団長ニーは、ブリック王の従兄に当たる。薄いが王家の血筋を引いているのだ。例えばニーがこの外出を黙認し、供の少ない王を外で始末しようと企んでいたならば……などと、ローランドは考えなければならなかった。あらゆる可能性と危険性を今の自分は考えなければならない。王は油断している。いや、慢心しているのかもしれない。
「ペケサンが誰か呼んで来てくれたらなぁ」
と、ローランドは腰の袋に収まった相棒を見てぼやいた。
2
ルクレツィアはよくやっている。先の戦いでは突撃が下手という理由で危惧したカティアとロッシ中隊長により、王付きの近衛となっていた。だが、今は見違えるほど、身体を使っている。馬上で扱う練習用の槍が王を捉えた。
王も助言し、打ち込む。二人は乱打し合っていた。ルクレツィアはもう突撃に加わっても大丈夫だろう。
冬の日差しが空の真ん中に来た頃、ローランドはついに口実を見つけた。
「王、お昼を食べに戻りましょう」
そして午後からは嫌でも近衛に声を掛ける。
「分かった」
「うん」
王とルクレツィアは頷いた。
その時だった。側の雪が舞い上がった。
フードをかぶり弓矢を構えた者達がそこにいた。
「しまった!」
ニーか、帝国の刺客かは分からない。だが、王を狙っている!
ローランドは馬腹を蹴った。
剣を抜き、ブリック王の前に躍り出た。
間に合った。
そう言う思いでいっぱいだった。後は王を逃がすだけだ。
「王、お逃げを! ルクレツィアは護衛を任せたぞ!」
「うん!」
ルクレツィアは返事をする。だが、王が動かない。
矢が次々弓弦の音を立てて放たれ、ローランドの鎧に突き立った。
「サリーに感謝しないとな。こんな頑丈な鎧を打ってくれたアアアアッ!」
ローランドは馬を飛ばした。刺客が分散する。背後を一瞥すると、そこにはルクレツィアを守る王の姿があった。刺客は別方向にも潜んでいたのだ。
「迂闊だった!」
だが、離れすぎている。
その時、皮袋が動き、ペケサンが飛び出し、王とルクレツィアのもとへ駆け出した。ローランドはそこまでしか見られなかった。
敵が剣で斬りかかって来たからだ。こちらは十人前後。
ローランドは馬上で剣を打ち落とし敵の首を切り裂いた。神聖さを保っていた雪原が紅く汚れる。ローランドは身動きが取れなかった。王を振り返れば自分は死ぬ。まずはこの連中を片付けなければならない。
背後で弓弦の音が風のように轟いた。金属に当たる音も。断続的に。
「貴様らは後回しだ!」
ローランドは剣を荒っぽく振るい威嚇して、馬を反転させて駆けた。背後を危険に晒す危険な行為だが、王が死ぬよりは遥かにマシだ。
そして彼は驚く光景を目の当たりにした。
薄緑色のワンピースを靡かせた髪の長い女性が短剣一本で深い雪の上を滑るように動いて、敵を殺戮して回っていたのだ。
いつか見た女性だ。何故? いや、ありがたい!
「王、御無事で!?」
「ああ。すまんな、お前の言うことに耳を貸していれば。俺もサーディスになれるかと夢を見過ぎていた」
「サーディス?」
知った名前が飛び出し疑問を浮かべるが、そんな暇はない。女性に加勢し、ブリック王とルクレツィアを今度こそ走らせた。並走する二人を見送りローランドは五人の敵と対峙する女性に合流した。
「助太刀感謝する!」
ローランドは馬上で敵の喉を裂いて飛沫を浴びながら礼を述べた。
「いいえ、来る」
女性はそう言った。
背後に残してきた刺客らが斉射した。
矢は正確だが、それよりも正確だったのだが女性の短剣の腕前だった。迫る矢を寸分の狂いもなく全て早業で叩き落とした。
敵は仕損じたことを認めて逃走を始めた。
「逃がして良いのか?」
女性がどこかチグハグな声で問う。
「逃がさない!」
ローランドは馬を走らせた。一人でも生け捕りにして誰の差し金か吐かせねばなるまい。
驚くことに女性はローランドを追い抜いて行った。ローランドは気付いた。女性には足跡が無かった。
「幽鬼でも今は心強い! いつか地獄でこの時の代価は払おう!」
女性は一人突き、二人目を斬った。血が飛散した。
ローランドは追いつき、雪に足を取られている敵を袈裟切りにした。
「投降しろ!」
ローランドの呼び声が木霊する。残ったのは三人。進退窮まった敵は懐に手を入れた。
「いかん!」
ローランドが言った瞬間、女性が飛び出し、一人の手首を素早く斬り落とした。
二人は薬を飲んで自決できたが、女性のおかげで一人は生かしたままだ。ローランドは下りると雪の上に敵を組み伏せた。舌を嚙まれないように籠手をねじ込んだ。
程なくして前方から無数の馬影が見えて来た。
「ありがとう、助かったよ」
そこに女性はいなかった。だが、ペケサンが居り、ローランドの腰の皮袋に入った。
こうして、あわや、国王暗殺は未遂に終えることにできたのであった。