ルクレツィアと黒衣の戦士3
サーディスに会える。
彼と肩を並べ、指導されるのがルクレツィアには嬉しかった。敬愛している師のフレデリカにも感じたことの無い感情だった。
兵舎の食堂で夢中になって色々食べた。たくさん食べた。サーディスとの特訓はとにかく腹が減る。だが、大好きだ。まるで兄のようだ。
ルクレツィアは食事を終えると厩舎に向かった。彼女を止める者は誰もいない。ただ、ロッシ中隊長やカティアがルクレツィアの腕に筋肉がついていることを見抜き、頑張っていると、称賛してくれた。
そう、私は強くなった。これもサーディスのおかげだ。もっともっと強くなりたい。
「よぉ、お嬢さん」
いつも通りサーディスは厩舎にいた。
「おはようサー、いや、何でもない」
雪は今日は止んでいた。視界が利くが、雪原は夜のうちにまた真新しくなっていた。歩兵隊もまだ訓練に出ていないようで、二人は一番目に足跡を刻んだのであった。
まずは馬攻めから始まる。最近は馬上で槍や剣を扱う動作も教えられてきた。
二騎の騎影が雪原の遠くへ離れた時、一騎の騎馬がその後を追ったことに少なくともルクレツィアは気付かなかった。
2
雪の重みで思いの外早く馬が疲れ果てると、今度は下りて素振りをする。ルクレツィアは昨日は三百まで頑張ることができた。口では手を抜いたら蹴ると言ったサーディスだがそんな素振りは見せなかった。
「二百七十二!」
ルクレツィアとサーディスの声が重なり合う。その瞬間がルクレツィアは好きで励まされた。ここまでできたのは間違い無くサーディスのおかげだ。
ふと、サーディスが素振りを止めた。
「どうしたの?」
「客だ」
サーディスが言うと、ルクレツィアは驚いた。その客は予想よりも近くにいて馬上でこちらを見ていた。黒い甲冑を纏っていなくとも分かる。リョウカクだ。
「何よ、リョウカク。あたし訓練で忙しいんだけど」
ルクレツィアは自分でも知らぬ間に焦っていた。何を焦っているのだろう。まるでリョウカクとサーディスを会わせちゃいけなかったようなそんな気がした。
「貴様、何者だ?」
リョウカクが馬上で尋ねた。
「ついに来たな、リョウカク。だが、大分遅すぎた」
サーディスはそう応じた。
「質問に答えろ。貴様、何者だ」
底冷えする、冬の夜よりも寒い声だった。
「俺は」
「駄目!」
ルクレツィアは声を上げた。サーディスだと知れれば、おそらくこの幽霊のサーディスは消えてしまうだろう。
「この人はただの風来坊! 強いから色々教わっていただけ!」
ルクレツィアは言うが、リョウカクはバイザーを上げ、端麗な顔を見せて口を開いた。
「ルクレツィア、自覚が足りないな。こいつはお前を利用してこちらの情報を盗み取ろうとする帝国の間者だ」
「この人は今までそんなこと言わなかったわ! ただひたすら戦い方を教えてくれただけよ!」
するとサーディスが大笑いした。愉快そうに。
「ルクレツィア、お前は薄々感じてはいたんだろう。だがな、ちょうど今日でどの道お別れの日だった。このままじゃペケサンの身体と精神がもたない」
「何を言ってるの?」
ルクレツィアは尋ねた。だが、相手はリョウカクを見て言った。
「良い風貌になったな、リョウカク。フレデリカを追い掛け回していた時とは雲泥の差だ」
途端に剣が鞘走った。
鋼同士がぶつかり合う。
「先ほどから尋ねている貴様、何者だ?」
「俺の名前はサーディス。下りて来いよ、お坊ちゃん」
剣を離すとサーディスが言った。リョウカクは殺気を漲らせ馬から下りた。
剣と剣が衝突する。これほど凄まじいぶつかり合いをルクレツィアは見たことも聴いたことも無かった。
「サーディスは師の師の名前だ。既に故人。貴様は、サーディスに成り済まし、ルクレツィアをかどわかすつもりだな?」
「止めてリョウカク! この人は正真正銘のサーディスよ!」
ルクレツィアが言うが、剣と剣は風を起こし火花を散らせて高らかに音を上げた。
「リョウカク、良いセンスだ。間違い無く最強になれる器だ」
「貴様がサーディス本人だと言うのか?」
「そう言っただろう。ルクレツィアも気付いていたみたいだが」
「亡霊め! 現世に何の未練があって現れた!」
リョウカクの鋭い刺突をサーディスは捌いた。
「ルクレツィアをお前が散々泣かせるから、可哀想でやってきた。ルクレツィアはまだまだ強くなれるからな。お前のやり方は彼女の誇りを傷つけ、蔑ろにするやり方だ。それじゃあ、伸びない」
再び二つの剣が衝突する。
ルクレツィアはたまらずリョウカクの前に飛び出た。
「止めて、リョウカク!」
「退け」
「リョウカク、姉弟子を蔑ろにするその態度がいかんと俺は言っているんだ。良いか、ルクレツィア」
ルクレツィアは寒気を覚えて振り返った。サーディスは不敵に微笑んでいた。
「両手剣はフレデリカに、片手剣はプラティアナに、弓術はカイに、馬術はリョウカクに習え。残念だが、リョウカクが来ても来なくとも俺はここまでだ。一つ言い忘れた、根性なら誰よりもお前がある。誇れ、頑張り抜け」
サーディスの身体が霧のように霞がかった。
「いや! 行かないでサーディス!」
「この数週間、最高に面白かったぜ。ありがとな、ルクレツィア」
サーディスの姿はつむじ風と共に消えた。後に残るのは雪原に仰向けになり、か細い呼吸をしているペケサンと、肉の挟まったパンだけだった。
「ペケサン」
ルクレツィアは外套を広げてその小さな身体を包んだ。
サーディスはもういない。泣きそうになったがグッと堪えた。
「リョウカク」
「恨むなら好きにしろ」
「あたしに馬術を教えて。明日からつきっきりで」
ルクレツィアが言うとリョウカクは頷きはしなかった。
「邪魔をする気は無かった」
彼はしばし沈黙した後、そう答えた。
「あのサーディスの教えを受けたのだ。少しは私を感心させてみせろよ」
「うん」
ルクレツィアは自信満々に頷いた。
「今日は帰るぞ。ペケサンをローランドに渡さなければならん」
ルクレツィアの外套の中でペケサンはすっかり弱っていた。
「ねぇ、何があったんだと思う?」
「奴が言ったろう。お前が心配で降りて来たと。ペケサンはそのために身体を貸したのだろう」
「そうだったんだ。ごめんね、ペケサン、あたしのために」
ルクレツィアは外套に包まるロイトガルの守護獣を見てそう言った。
「戻るぞ」
「分かった」
サーディスは再び逝ってしまった。手の届かない所へ。だが、彼の助言を受け、まずは馬術でリョウカクをアッと言わせてやるとルクレツィアは意気込んだのだった。きっと、リョウカクといても楽しい時間になるだろうと彼女は思ったのであった。