北へ
ベルファウストの首都は、静かだった。ルクレツィアの見せた憐れみと優しさ、責任感を目にした民衆はロイトガル王国を許し、次なる期待としている。残るは北西部に広大な版図を抱えるプリシス帝国のみ。戦いも終盤、総仕上げときた。
夜、カティアはオズワルドと中央の広場で待ち合わせしていた。ルクレツィアは一人でも上手くやれる。と、いうのもロッシ中隊長が、ルクレツィアに雑務処理を任じたからだ。ロッシ中隊長は、カティアに向かってウインクした。
恋人と会う時間をロッシ中隊長はくれたのだ。相手が騎士だとは知らないとは思うが、明後日、聖雪聖銀騎士団を民衆の慰撫と治安維持のために残し、赤鬼、クロノス両傭兵団はブリック王と正規兵約一千名と共に北の最前線へ向かう。聖銀騎士団のオズワルドとはまたしばらく別れることになる。
カティアの聡い耳はコツコツと月夜の下を城方面から歩んで来る靴音を聴いた。
「カティアさん」
年下の恋人オズワルドは外套を纏って現れた。カティアは平服だ。
「オズワルド」
カティアは駆け出し、広い胸の中に飛び込み、鼻をぶつけた。
「鎧なの?」
「ええ、副団長に出された外出の条件だったので。民衆は落ち着いてはいるとは思いますが、まだ分からないです」
「そうね、用心深いのは良いことだわ。今はみんな疲れ切ってるもの。油断が生まれるとしたらここよ」
「我々のことでしょうか?」
オズワルドが気まずそうに言うと、カティアはその手を取った。
「そうね。だけど騎士団も赤鬼もいるんだから平気よ」
「そうですね」
オズワルドはそれでも重苦しい声だった。今更罪悪感に苛まれているらしい。カティアは彼の御尻をピシリと叩いた。
「行きましょう。エスコートして下さる」
「勿論。行きましょう」
オズワルドはカティアの手を取って先に歩き始めた。
着いた宿の一室で、カティアは服を脱ごうとした。
「カティアさん」
オズワルドがこちらを見て言った。まだ鎧姿のままだ。
「どうしたの?」
オズワルドは生真面目だが、いつにも増してその表情は真面目で硬かった。
別れ話かしらね。無理も無いわ、私は四十も超えたおばさんだもの。
「カティアさん、お願いがあります」
少し間を置いてオズワルドは言った。まだ三十三だというのに歴戦の傷だらけの顔が厳めしく威厳を感じさせる。
「今宵、私との子を設けてはくれないでしょうか?」
その言葉にカティアは目を見開いた。心臓が大きくドキリとした。オズワルドの家は親は他界している。彼が当主だ。傭兵の自分を伴侶に迎えたいと、いつか言ってくれるのか、実はカティアでさえ、本当に言ってるのか分からなかった。だが、オズワルドは言った。彼は愛を裏切らなかった。
「オズワルド」
「カティアさん、お願いします」
「喜んで、あなたの精を受け入れます」
すると今度はオズワルドの表情が驚愕に見開かれた。なのでカティアは思った。彼に隠し事はしたくない。
「オズワルド、私の本当の名前はエスメラルダっていうの」
「エスメラルダ……さん」
オズワルドは飲み込むように言うと続けて頷いた。
「綺麗なお名前だ」
「ありがとう。オズワルド、鎧を脱いで。今日はあなたのものを空っぽになっても吸い尽くしてあげる。だから絶対私を妊娠させてね」
「エスメラルダさん」
オズワルドは彼には珍しく慌てて鎧を脱いでいた。
可愛い。カティアは将来の伴侶を見てそう思ったのだった。
2
聖雪騎士団、聖銀騎士団が見送りに現れる。
クロノス傭兵団を先頭に王率いる北への部隊は行軍し始めた。
「陛下、私もミティスティ殿もすぐに向かいます!」
大地に足で立つ威厳ある煌びやかな騎士団の中からギルバートが言った。
「焦らずとも良い。民衆を大切に致せ」
ブリック王はローランドの隣で応じた。
「はっ! 傭兵、王をくれぐれも頼むぞ」
ギルバートはローランドにも言った。
「命に代えましても」
ローランドは老人を納得させそうな返事を考えて答えた。赤鬼に並ぶ物凄い体格の聖銀騎士団長はその言葉に満足したように頷いた。
騎士らの間を抜けると、二列縦隊で一同は進んだ。クロノス傭兵団の次は兵約一千のドムル率いる歩兵大隊。次に王とローランド、僅かばかりの近衛隊が続き、最後尾を赤鬼傭兵団が引き受けていた。
「それで、何故、俺は呼ばれたんです?」
ローランドは年若き王に尋ねた。
「話し相手が欲しかった。誰が良いか悩む間もなくお前で決まりだった」
「ほう、ルクレツィアの方が歳も近いですし話が合ったのでは?」
ローランドはわざとからかうように言った。
「俺はあれが苦手だ。姉弟子だと言ってすぐに調子に乗る。それに小言がうるさい。馬も満足に操れぬくせに」
王の苦言と溜息にローランドは笑った。
「その点、お前は面白いからな。転戦して来た傭兵としての引き出しも多い」
「ありがたきお言葉。何からお話ししましょうか?」
「今は良い。少し行軍の空気に浸らせてくれ」
ブリック王はそう言うと目を閉じた。
ローランドは野暮なことを言わずに王の隣を馬を並べて歩んでいた。考えることは色々ある。色々あった戦いだった。挟撃に謀反に反旗に、フレデリカの離脱にそしてサーディス。
ローランドは戦友の姿を思い浮かべ天を見上げた。秋も終わりの陽光が輝いている。北へ着く頃には冬に入っているだろう。
戦友、どうか俺達にツキをくれ。
もう一歩で大陸は制覇できる。ローランドもまた武者震いをしたい気分だが、それは王とて同じだろう。なので、今は王を見倣い少々冷えて来た微風に身を任せた。
それにプリシスは強い。ハイバリーのように軟弱でもなく、東方連合のように小さくもなく、ベルファウストのように騎士道を重んじる国ではない。何が起きるか分からない、強いことだけは確かの他は未知の国だった。ボルスガルドも併呑し国力は高まっている。
さて、王が喜びそうなプリシスの思い出話でも探そうか。
ローランドは静かに頭を巡らせたのであった。




