1-8.二代目召喚聖女、誕生 ★
異世界にも夜があれば、朝もある。
向こうと同じくらい眩しい太陽の下、コツコツと石畳の上を歩く。
ふわふわと髪を靡かせてエイルが導く先には城前広場に出る大きな扉があった。
その前に、金髪の男性が立っているのが見える。
聖鞠の到着を待つアストライアの姿だ。
「おはよう、ヒマリ。その格好で寝たはずなのに、皺ひとつ出来てないなんて聖女様の衣は本当にすごいんだね」
顔を合わせて早々の爽やかな嫌味。
いつもなら癇に障る物言いに、聖鞠の機嫌は揺さぶられない。
「なんだかおとなしいね、ヒマリ。もしかして、眠れなかった?」
「……別に。一晩経って冷静になっただけ」
わざとらしく小首を傾げるアストライアの仕草にも、心は凪いだまま。
「ふぅん、……ということは、覚悟を決めてくれたってことなのかな?」
世界を救う。
年齢不相応なセーラー服を脱ぎ捨てて元の世界に帰るには、それしか選択肢がない。
だから覚悟を決めるも何もない。受け入れざるを得ない状況なのだ。
しかし、それを素直に仕方ないと受け入れられるかは別だった。──昨晩までは。
「……仕方ないからね。別に、世界のためにとか、アンタのために、とか。そういうことじゃないから!」
「そう。ありがとう、ヒマリ」
意地悪な王子スマイル。
その裏に隠された彼の苦難を知ってしまったから。
────アストライアの妹、ミーティア・フォン・エステル。
彼女が倒れたのは、一年前のことらしい。
瘴気によって住処を追われた人々が仮住まいしているキャンプへ訪問したときのことだった。
地面から突然瘴気が噴出したのだ。それもアストライアたちの足元で。
異変に気付いたのはミーティアだった。
次期国王である兄まで倒れてはいけない。彼女は兄を庇って噴き出した瘴気をその身に受けた。
守護魔法に長けていたミーティアによって幸いにも瘴気をその場に閉じ込めることに成功した。
しかし、噴出した瘴気のほとんどを受けてしまった彼女はそのまま倒れ、今も目覚めない。
『アストライア様とミーティア様はとても仲の良いご兄妹でした。特にアストライア様はミーティア様をかなり可愛がっておられたので、ひどく責任を感じていらっしゃるようです』
────自分がいち早く異変に気付いていれば、こんなことにはならなかったのに。
彼の心情を察するなら、こうだろう。
聖鞠にも覚えがある。
聖鞠の母も、体調が悪いことを自覚していながら無理をし続けていた。
当時受験生だった聖鞠は、憧れていた母の母校に入るために必死で勉強していたせいで気付かなかった。
あの頃には風呂にも一緒に入っていなかった。食事のときも参考書を片手にしていたくらいだ。
行儀が悪いと叱られた時に、素直にやめておけばよかった。
なんとか合格し入学手続きも終えた頃に母の顔色が悪いことにようやく気付いたが、もう遅かった。
────自分がもっと早く母の不調に気づいていたら、若くして亡くなることもなかったのに。
アストライアの後悔が自分と重なった。
今の状況を仕方ないと受け入れられたのは、それが理由だ。
「せっかくだから、異世界ってものを楽しませてもらうことにしたの。そのついでよ、ついで!」
誰かしら付き添いはあるだろうが、大いに異世界を堪能させてもらおう。
あくまで世界救済はそのついで、というのは建前。
腹黒王子に同情したからだなんて気付かれたくない聖鞠はわざと強気な態度をとって見せた。
それに異世界にいれば、三枝木としばらく顔を合わせなくていい。同じ職場だと嫌でも会ってしまう元彼の姿を見なくていいのだと思うと気が楽だ。
これは神様がくれた特別な傷心旅行。独り頑張って来た自分へのご褒美。そう思うことにする。
「旅に出れば、アンタとも会わなくて済みそうだしね! 全て終わったときの私への感謝の言葉を今から考えておきなさいよっ」
顔がいいだけの男は元カレだけで充分だ。
アストライアへ一方的に言い放てば、心が軽くなった気がする。
きっと元カレと重なる相手に言いたいことを言えてすっきりしたのだろう。
思えば『最低』の一言さえ、言えていない。本当なら横っ面を引っ叩いてやりたいくらいなのに。
(はー、一周回ってワクワクしてきた!)
一度すっきりすれば、心はどんどん前を向く。
間近に迫る未知なる旅に思いを馳せる。
まだ話の中でしか聞いていないが、五つの都はどんなところなのだろう。一体どんな風景に出会えるだろう。
美味しい食べ物や、美しい工芸品。心を満たしてくれる数々の物に出会えることだろう。
何せここは自分の知る世界ではない。精霊だっているらしい。
セーラー服が脱げない、という一点がただ残念ではあるが。この世界にしかない服を色々着てみたかったが、全て終わったときの楽しみにすればいい。
しかしセーラー服のおかげでファンタジーの中でしか知らない魔法も、今の聖鞠には使うことができる。聖女として継承された技能が一体どんなものなのか、想像するだけで心が躍る。
まもなく、時間なのだろう。
体格の良い騎士二人が大きな扉をゆっくりと押し開く。
ギギギと音を立てて開かれた隙間から光が差して、その眩しさに聖鞠は目を細めた。
「……うちの城ってさ、広いよね」
二人の登場を待ち望む民衆のざわめきと共に届いた声。
隣を見れば聖鞠と同じように差し込む光に照らされた、アストライアの麗しい横顔がある。
唐突な一言だった。それを言った口元は、あの瞬間のように悪さを滲ませ微笑んでいた。使命を終えるまでセーラー服は脱げないと告げたあの時と。
なんだか嫌な予感がする。
「でも、寝る前のいい運動になったでしょう?」
聖鞠はアストライアの言葉の意味をすぐに理解できなかった。
ぽかんと口を開けて彼を見つめる。
聖鞠が城の広さを体感したのは、廊下で彼に出会った時と彼を尾行した時の二回だ。
(……そういえば)
思い立った考えに、楽しみで踊っていた心が大人しくなっていく。
今思うと、アストライアはやけに角を曲がったり、階段を降りたり昇ったりしていた。
あれはわざとだったのだ。聖鞠が尾行していることに気付いていてやったのだ。
そうしてミーティアの部屋まで導いて、アストライアの事情を教えて同情させる。
──つまり、全部彼の手のひらの上で踊らされていたということだ。
クスクスと笑う王子の金色の髪が眩しい。
夕焼け色が意地悪く聖鞠を見つめ返す。
「楽しい旅にしようね、──聖女様?」
聖鞠の受難はまだまだ続きそうであった。