1-6.奪われたバスタイム ★
※ステータス表示用に画像設定しました。
もくもくと湯気が立つ猫足のバスタブ。
私はルーズソックスに包まれたままのつま先をゆっくりと入れた。
しかし、靴下を着用したまま湯に入っているというのに、ぬくもりは感じても布地が水を吸って重たくなる感覚が無い。
そのまま私はバスタブの中に入り込んで身を沈めてみる。
けれど、セーラー服の隙間から湯が侵入することはなかった。それどころか私の肌をまったく濡らそうとしない。
「……お湯を、阻んでる……?」
まるで私と湯の間に薄い膜でも張られているかのようだった。
その事実に茫然としながら呟いて、今度は湯面に顔を沈めてみる。
うん、濡れない。それどころか息だってできる。
「……“ステータス”」
お湯から顔を出して聖女として召喚されたことで使えるようになった魔法を唱えてみる。
すると、宝石のようなブルーに縁取られた画面が現れた。
これは開いた本人にしか見えないものだ。公開と唱えれば人に見せることも出来るらしいけど、ここには私しかいないので今は不要だ。
(※画像が表示されない場合は後書きに。)
画面にはレアスの言語で何やら書かれているけど、今の私に理解できない言語は無いらしい。
“全言語理解”という、聖女の衣に付与されていたスキルがあるから。どんな文字だろうと、私の知っている日本語で読めるそうだ。
「はぁ……」
可視化された自身の情報に溜息が零れる。
ご丁寧に身長体重やスリーサイズまで記されているけど、今は置いておこう。というか乙女の秘密まで暴こうとするんじゃない。
ステータス内に表示されている一つの単語に注目する。
固定。
それは一定の位置にあって動かないこと、または動かないようにすること。
単語の意味を踏まえて導き出された答え。それは、私が着ている聖なる服たちが【固定】されているせいで着替えられないということだ。
──それ、もう脱げないよ。
アストライアが言ったとおり、装備として固定されてしまっているせいで。
『騙したの!?』
聖女として世界を救うまでセーラー服は脱げないと知らされたあのあと、私はアストライア王子に詰め寄った。
しかし、彼は私が怒りを露わにしてもたじろぐことなく、人聞きが悪いなぁと爽やかに微笑むだけだった。
『嘘は言っていないよ。一度着れば効果は持続するっていうのは本当のことだしね』
『でも脱げないなんて一言も……!』
『ああ、それは申し訳ない。うっかり言い忘れてしまったんだ。本当にすまない』
口では謝罪をしていても、その態度からは悪いと思っているようには到底見えない。
何度思い返しても腹が立つ態度だ。
逃げ場のない私に拒否権はない。それから神官によって聖女の技能が無事私に継承されていることを確認され、私は明日の昼に聖女としてお披露目されることになった。
基本的な内容は教えてもらったけれど、詳細は自分で確認してと言われて説明を省かれた。
この場で確認してもいいけど、今はそんな気になれない。
『じゃあ、そういうことだから』
アストライアは最後にそう言い放って聖鞠より先に去って行った。
────そういうことだから。
つい最近にも同じことを言われた覚えがある。言われたというより、送りつけられたと言うべきか。
「だからどういうことだっつーの!!」
感じることはどちらも同じだった。
何度思い出しても腹が立つ物言いに私の声が浴室内に満ちる。それも僅かな間だけで、ひとりきりの静寂に飲まれて消えた。
浴室内をルーズソックスを履いたままの足で滑らないよう気をつけながら歩く。
私に付き添っていたエイルも、誰一人いない脱衣所に出る。おもてなしとして案内された大浴場より狭いここは、私のためにと充てがわれた客室内のものだ。
「はあ……」
もう溜息しか出なかった。
こんなことになるなら、あのときもっとゆっくり風呂に浸かっておけばよかったと後悔の念が押し寄せる。
何故髪を切ろうなんて考えたんだろう。元の世界に戻ってからでも充分だったのに。
着衣のまま湯に浸かることはできても、あんな状態ではお風呂に入ったところで気持ち良くなれやしない。
この聖女の衣にあらゆるものを払う加護がある以上は。
先程の入浴は、その性能を確かめるためだった。
「……そのくせリボンは解けて、靴も脱げるとかなんなの」
まったくもって謎だ。
しかし靴まで脱げないとなったら更に最悪だったはずなので、その中途半端さには感謝を送りたいところではある。
装備に含まれていないおかげで下着も脱げた。脱げなかったらものすごく困ったことになっていただろう。本当に良かった。
「……サイアク」
異世界の人々がこの服の本当の意味を知っているかどうかはまだ分からない。
けれど、だからって誰が好き好んでセーラー服など着たいと思うのか。しかも日常的にこれから毎日。コスプレとして考えるならアリかもしれないけど、私にその趣味はない。
元彼の本命がセーラー服の美少女だったショックもまだ抜けきれていないというのに。
──どうして、母の面影がこんなところにあるのよ。
「もうなんなのよ今日は……」
ダブルサイズほどのベッドに力なく倒れ込む。その瞬間、埃が舞い上がっただろうけど、私の身体に付着することなく加護によって払われただろう。
そのまま身を預ければ、低反発のマットレスのようなふんわりとした感触の中に身体が沈んでいく。
せめてこの感覚だけは得られるようでよかったと思う。お風呂に満足に入れない上にベッドでも寝られないとなったら発狂するところだ。
(……これからどうなるんだろう)
明日、聖女としてお披露目されたあと、支度を整え各地を巡る旅に出されるらしい。
そうして火・水・地・風・光の五つの都を回り各地の精霊の協力を得て、先代の聖女が施してくれた瘴気を抑える力をより強固にするらしい。
そのほか、瘴気によって病に侵された人を癒したり、家に帰れなくなった人々を励ましてもらうつもりだとも聞いた。つまり、聖女として慰問しろということだ。
まあ、それは別にいい。ただどれくらいの期間がかかるのか分からなくて不安なだけだった。
(……旅、か)
基本一人気ままに行動するのが好きなため遠出も一人でしてしまうのだけど、ふとしたときに寂しさを感じることもあった。
美しい工芸品を目にしたとき、綺麗な風景に出会ったとき。
そんなときに思う。
────いつか一緒に来られたら、と。
(ああ……もうっ、また思い出しちゃった……!)
なんだかんだと失恋の傷は深い。これまでの経験でついた傷よりも深く、さっくりと心を斬られている。震え出した涙腺を押さえるように私は枕に顔を埋めた。
加えて、旅への不安もある。
いつ元の世界に帰れるか分からない。この世界と向こうの時の流れが大幅に違った場合、元通りの生活に戻れるのかも不明だ。
すべてを尋ねるには色んなことが起こり過ぎたせいで時間が足りなかった。
「あーくそ! ウジウジ、やめーいっ!」
ネガティブ思考のループが訪れそうな予感を避けるべく、私はベッドから起き上がった。
少しでも、ほんの少しでもポジティブに考えよう。こんなときこそ発想を逆転しろと、高校生の時に遊んだゲームでよく言われた。
異世界を旅するという事は、気の済むまで気まずい相手の顔を見なくていいということだ。
同じ会社で同じ課の元カレと嫌でも顔を合わせなければいけない状況を回避できる。しかも相手は本命以外にも、社内のそこかしこに秘密の相手がいる最低野郎だ。
時間の問題はきっとどうにかなる。
異世界から人を召喚できる魔法があるくらいだ、きっと時間の流れを遡るものだってあるに決まっている。
そうだ、きっとそうだ。
「よし、お酒を貰いに行こう」
とっくに酔いは醒めていたけれど、こんな時こそ飲まねばやってられない。
どうせ落ち着かなくて眠れないだろうしと、私は城内探検がてら厨房に向かう事に決めた。もう深夜だけど。
そうと決めたら行動は早い。
颯爽と客室を出て城内探索を始めた私は意気揚々と廊下を歩いた。
窓から月明りが差し込んでいるだけの薄暗い夜の廊下に臆することなく、食堂はあっちだったはずだと勘を頼りに。
※ブラジャーは服の上からホックを外し袖から抜いて脱ぐことができます。
異世界の下着がカップ付きキャミソールとかだったら面倒くさかったかもしれない。
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名前:アマカワ ヒマリ
年齢:25
種族:ヒューマ(女)
職業:聖女
状態:異状なし
装備
頭:なし
胴:聖なる服・上 【固定】
腰:聖なる服・下 【固定】
脚:聖なる靴下 【固定】
その他:聖なる革靴
聖なるリボン
技能:聖魔法ホーリーライト
聖魔法セイントアロー
聖魔法オールキュア
オールチェック
オールアイテム
加護付与
全言語理解
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他にも身長体重スリーサイズまで表示されるのですが省略。
ステータス画面はそれぞれこちらから素材をお借りしました。
フレーム→https://www.pixiv.net/artworks/87666401
テクスチャ→https://www.pixiv.net/artworks/84156717