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1-3.最高なバスタイム


 扉を開いた先は、まさに異世界だった。


「うわぁ……っ!」


 視線の先に広がる幻想的な風景。

 きっとレアスのどこかにある景色なのだろう。それが壁の上半分を使って色鮮やかに描かれていて、その壮大さに私の口から自然と感嘆の声が漏れ出ていた。

 見上げればそこには青い空。

 これももちろん絵──いや、絵だよね? と思わず何度も確認したくなるリアルさで。


 ここには私しかいないので堂々と裸体を晒し、白いタイルの上を素足でぺたぺたと歩く。手には侍女から渡された入浴セット、それを持って私が向かうのは壁際だ。


 壁の絵が描かれていない下半分には、赤黒青と三色のボタンが並んである。

 ボタンというより宝石のような形だけど、そこから真上に向かってホースが伸びていて、その先には提灯のようにちょこんとぶら下がる球体があった。

 そこに立つとちょうど私の頭の上に球体が来る。


「これが異世界のシャワー……!」


 先ほど知り合った侍女が教えてくれた通りの形状がそこにあって、興奮を隠さず呟いた。

 なるほど、ちゃんと設計されているらしい。私は感心しながら、三色のボタンのうち黒色に手を伸ばした。


「えーっと、これが“オン”だったよね……と、っわ」


 先ほど聞いた説明通りに宝石のようなボタンをちょんと叩く。すると即座に湯が降り注ぎ始めて少し驚いた。

 球体から雨のように降り注ぐ湯は熱くも冷たくもなく、ぬるい。なので今度は赤色をトンと一回叩いた。


「……ふむ」


 素肌にぶつかる湯が少しあたたかくなった。それでも私にとって心地いい温度には物足りない。

 なのでもう二度ほど叩いてみる。


「……はぁ……」


 打ち出された湯加減に、至福の溜め息が漏れた。そう、この熱さがいいの!

 黒色のボタンが電源で、赤色と青色のボタンで一度ずつ温度を調整する仕組みらしい。温冷は色味の通りだ。

 私が好きなのは三十八度のシャワー。合計三回叩いて心地いいということは、おそらく最初は三十五度くらいなのかもしれない。

 レトロなシャワーのように冷水と熱水の量を調節するのは面倒なので、一度ずつ温度を調整できるのは大変ありがたい。レトロなのも嫌いじゃないんだけど。


「ヒマリ様、お困りごとはございませんか?」


 脱衣所に続く扉の向こうから声が飛んでくる。永宮のような可愛らしい声だ。

 振り返ると、磨りガラスのような素材の面にシルエットが見えた。ふわふわと波打つ緑色のボブヘアーが人形のように可愛い、侍女のエイルだ。


 エイルはハーピィという種族だった。腕に羽毛があり、鳥のような脚がハーピィの特徴らしい。彼女の見た目が可愛らしいこともあって、最初は天使かと思った。

 エイルから入浴の手伝いをしますとの申し出をされたんだけど、自分で出来るから大丈夫と断ってしまった。それでも、どうやら近くに控えてくれていたらしい。


「ありがとう。今のところは大丈夫ー!」


 手持ち無沙汰にさせちゃったかなと少々悪く思いながらも、返事をして私はシャワーを堪能し続けた。

 しばらく何もせず、心地よさが全身を包み始めたあたりで髪に触れる。

 両側に分けた長い前髪をかき上げるようにして、背中に掛かる髪の先まで指を通す。

 時に頭皮を揉みながらシャワーの湯が栗色の髪全てに行き渡るように何度も。予洗いは大事なので。


 それから持って来た入浴セットに手を伸ばして、青い液体が入った小瓶を取った。

 水精霊の加護が込められているので、これで髪を洗うとふわふわのさらさらになるという説明を思い出す。

 つまり、異世界のシャンプーだ。

 泡は立たないみたいで、液体を髪全体に馴染ませているとやがて変化があった。


「……わ、すごい。本当にふわふわでさらさらになってきた……!」


 柔らかいか硬いかでいうと、硬めである私の髪。

 毎朝寝ぐせと格闘させられる剛毛が、赤子の産毛の如き柔らかさになっていた。

 これは感動ものだ。指通りも滑らかで一切引っ掛からない。


 ────なんて素晴らしいんだ、異世界は。


 これだけさらさらふわふわなら、コンディショナーなんていらない。

 シャンプーを流して次は身体を洗いにかかる。

 今度は別の小瓶を取り出した。緑茶のような深い緑色の液体がちゃぷんと揺れる。

 こちらは肌に良い薬草の成分が含まれているらしい。瓶を開ければ確かにハーブのような匂いがした。爽やかな香りだ。

 液体を手のひらの上に出してから肌に滑らせれば、途端に爽やかさが身体に広がっていく。

 シャンプーと同じでこれも泡立ちはしないけど、洗い流すと肌がもちもちなめらかになっていた。

 雨や涙でぐちゃぐちゃになった顔も、丁寧にかつ丁寧に洗っておいた。


「はー、さっぱりした!」


 一日の汚れを洗い流した爽快感はやっぱり気持ちいい。

 身体を綺麗にして次にやることはもうひとつだけ。あたたかい湯に身を沈める最高の瞬間が私を待っている。


 五種類の生き物──竜、魚、鳥、犬、猫と思われる像に囲まれた女神像が鎮座する浴槽と向き合う。


(聖女と……この世界に生きる種族を表しているのかなぁ?)


 レアスには人間(ヒューマ族)を含めた六種族が暮らしている。大浴場に案内されるまでの道中で、私がアストライアから聞いたことだ。

 エイルの種族ハーピィの他にはドラゴンのような鱗を持ったドラコ族や、魚人のようなマナ族という種族もいると聞いた。

 先程私が喚び出された広間にもいたらしいけど、あの時はまだゆっくり観察する余裕なんてなかったのが残念だ。

 レアスにいればそのうち会えるのかもと思いつつ、ここに滞在するには聖女という大役を務めなければならないので安易に考えてはならない。


 しかし今は女神像たちよりも、私が気にするのは目前に迫る至福の時。

 もくもくと湯気が立っている湯面を爪先でちょんと触れてみた。


 うん、湯加減よし。

 私はつま先をそのまま沈めていった。


「はぁ……極楽極楽……」


 足からゆっくりと身を沈め肩まで浸かる。それから浴槽の縁に身を預けるこのときが本当にたまらない。じわじわ、じわじわと私の身体があたたまっていくのが心地いい。

 湯のあたたかさに包まれるとやっぱり安心する。

 鼻歌を口ずさみたくなって私はふふふーんと鼻歌を紡いだ。

 昭和の頃に流行ったという定番ソング。軽快なメロディで、母もよく歌っていた。

 いい湯だなぁ、とご機嫌よろしく湯を掬っては肩に掛け、いつもなら結い上げている長い栗色の髪に触れた。


 ────俺、髪長い子が好みなんだよね。


 さらさらになった髪を撫でたとき、ふと再生されたのはいつかの彼の声。

 彼を意識しだした頃に聞いた、何気ない会話の一言。

 当時髪が短かった私はそれだけで伸ばすことを決めた。


 本当に単純だと思う。

 そばにいられるだけでいい────なんて思いながらも、いつか結ばれることを夢見てしまうのは恋する乙女の(さが)かな。乙女と呼ばれる時代はとうに過ぎてしまっているけど。


 俺には聖鞠だけだから、そんな甘い言葉に騙されたのは私が単純だったせいだ。


(……ああ、やばい)


 塞がれたはずの失恋の痛みと、こういうときに思い出してしまう大好きだった母への恋しさ。

 一度は引っ込んだ涙が再び視界を覆い始める。

 さみしい、むなしい、かなしい、つらい。私は膝を抱えて涙を堪える。


『今は悲しくても、必ず幸せはやってくるから。だから聖鞠はぜったい幸せになれるわ。お母さんが保証する』


 辛かったり嫌なことがあって泣いていると、いつもそう言ってくれた母の言葉。それに励まされて立ち直ってきたけれど、さすがにもう挫けそうだった。

 母が保証してくれた幸せを求めて人生を歩んできた。でも今回の裏切りは流石に堪えた。

 だって初めての人だった。

 これから先、どうしていけばいいか分からない。私は本当に幸せになれるのかなぁ。


「あー! もう! ウジウジやめっ!」


 こういうとき考えれば考えるほど思考のループに囚われてしまう。故に、私の脳内で一周回ったあとにイライラへと変わった。

 単純ならではの思考の切り替えの良さだよね、と自分を褒めながら勢いよく立ち上がる。

 ばしゃっと飛沫をあげて、ほかほかになった身体で白いタイルの上をペタペタと歩く。

 脱衣所に続く扉をばーんと開いて視線を巡らせると、扉のすぐそばに控えていたらしいエイルがぎょっとした顔をしていた。裸の客人が急に堂々と現れればそれは驚いて当然でしょうね。

 しかし私はそんな彼女の驚きを無視して言い放つ。


「誰か髪の毛切れる人いない!?」


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