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1-2.異世界の王子様

「…………は?」


 堅い地面との接触を予想していたのに、それをばっさりと裏切る状況に呆けた声が漏れた。

 まったくもって意味が分からない。


(一体何なの、この状況は)


 全身ずぶ濡れの私を、どうしてイケメンが微笑ましげに抱えているんだ。


 イケメンが大事な物を扱うかのような動作で私を床に降ろす。

 触れた足先がひんやりとしたのでつま先を見てみると、いつの間にか脱げたのか、私の足はパンプスを履いていなかった。

 ストッキング越しにつるりとした感触を得ながら床を見ると、淡い青色で何らかの紋様が描かれていた。


(……魔法陣?)


 象形文字と思われるものと床一面に大きく広がった円。その中心に私と美青年。

 それから私たちを見守るかのように囲う人々の姿がある。

 美青年を含むほとんどの人は私と同じ人間のようだけど、中には明らかに別の種族だと思われる人の姿もあった。


(え、なに? 何かの撮影……?)


 濡れて張り付いた髪をかきあげながら、私は周囲を見回してみる。


『本当に聖女か?』

『すごい……!』

『あんな汚らしいのが……?』


 声と声がヒソヒソと囁きあっている。

 疑うような、興味深いような、警戒しているような。

 様々な視線をぶつけられて、不快感を抱く。


(汚らしいって何よ、こっちは雨に降られたところなんだけど!)


 ムッとしつつも、私は見慣れた景色がないかと周囲を探す。

 五年間寝食を共にした我がアパートはどこに消えたのか。早くお風呂に入りたいのに。


(本当に、一体何が起きているの……?)


「聖女様」


 浮かぶ疑念の欠片の数々に脳内が占拠され始めたところで、先ほどの美青年が私の前に跪いた。それはそれは優雅な動作で。

 星のように煌めく金色の髪が美しい。まるで童話の中の王子様を思わせる所作にドキッとした。


「私はエステル王国第一王子、アストライア・フォン・エステルと申します。まずは突然貴女様をお呼びしてしまい申し訳ございません」


 王子様のようではなく、本物の王子様だったらしい。

 しかしそれはいいとして、彼が言った国名には聞き覚えがなかった。確かに地球には大から小まで様々な国があるし、私も全てを把握しきれていない。けれど、そんな名前の国なんてあったかなぁと首を傾げる。

 それに────。


「……呼んだ? 私を?」

「はい。我が国に伝わる“異界人呼び寄せ”の魔法で」

「まほう」


 初めて耳にした単語のように私は繰り返した。


(魔法って何? 手品ではなく、不思議な力で火を起こしたり風を起こしたり、瞬間移動したりできるという、あの魔法のこと?)


 ますます訳がわからなくなった。

 日本、いや私の世界において魔法なんてものは創作上の要素でしかない。

 なのにそれが当たり前に存在していると、この王子様は言う。


(そういえばさっき……レアスにようこそって)


 レアス。おそらくそれがこの世界の名前だろう。


 なるほど、と自分の置かれた状況が少しずつ分かってきた。

 どうやら私は異世界へと呼び出されてしまったらしい。私を呼ぶ名称から予想するに聖女という存在として。

 まるで御伽話のような出来事に少しだけ頭がクラクラする。


「……どうして私が呼び出されなきゃいけないの?」


 私の素直な疑念に、王子様が語って聞かせてくれたのはなんとも壮大な話だった。


 ────およそ二五〇年前も昔の話。

 突如として現れた悪しき魔王によってレアスは危機に瀕していた。

 魔王が放った手下や魔獣と化したケモノたちによって、人々は追い詰められ苦しむ日々。

 このままではいけない、と立ち上がった聖騎士の青年と仲間で対抗策を考えた。


 それが異界人召喚の儀。魔王に対抗できる聖なる資質を持った人間を呼び寄せる魔法を、あらゆる知識をかき集め創り出した。


 呼び出されたのは後に聖女と呼ばれることになる一人の少女だった。

 少女は聖騎士以上の聖なる力を保持していた。

 聖騎士とともに少女は旅立ち、苦しめられていた人々を救いながら魔王の元へと向かい、そして激しい戦闘の末に勝利した。

 その時、魔王が苦し紛れに放った最後の魔法が強力だったらしく、瘴気──つまり、人体に害あるガスのようなものが世界に残ってしまったという。


 少女が元の世界に帰還する前に聖なる力を用いてある程度抑えてくれていたそうだけど、近年瘴気が濃くなっているらしい。


「……つまり、先代の聖女さまとやらのように私にも世界を救う手助けをして欲しい。そういうこと?」


 キリが良さそうなところで私はとうとう口を出した。アストライア王子は正直に『そうです』と頷いた。


(なんて勝手な……)


 濡れた身体が中途半端に乾き始めて不快感が増す。身体が冷たくて寒くてぎゅっと抱き締めた。


 ────こちらの状況も考えず、突然呼び出した上に世界を救えなんて。

 出会ったばかりの王子には悪いけれど、勝手なことをいう男の言葉を今は素直に聞く余裕なんてない。


「……なんで私がそんなことしなきゃいけないの?」

「え?」

「帰して。私には無理。今すぐ帰して……帰して!!」


 私の叫びがその場に響き渡る。私の様子に呆気に取られたのかアストライア王子は驚きを隠せないようだった。

 でも、ここは異世界。帰れば同時に縁も切れる相手だからどうだっていい。


 顔の良い男は、ウンザリだ。

 例えどんなに美しかろうと、今の私には美青年(イケメン)というだけで憎く見えてしまう。

 その人当たりのよさそうな外面で自分を騙そうとしている、きっとそうに違いない。あの人のように。


「……お願い、今すぐ……帰して……」


 早くお風呂に入りたい。

 湯船に身を沈めて、冷えた身体をあたためたい。

 受けた傷を少しでも癒したいのに。


 アストライア王子やこの世界の人には申し訳ないが、誰かを救うなど私には出来ない。

 救って欲しいのはこっちのほうなんだから。


「……聖女様」


 アストライア王子が『失礼します』と言って立ち上がったかと思えば、あっという間に距離を詰められた。


 美麗な顔が間近に迫る。

 長い睫毛が瞬いて、夕焼けを思わせる橙色の眼差しが私を貫く。真摯さを帯びた瞳から目が離せない。

 彼の手が伸びてきて、雨や涙で濡れた私の頬に触れようとする。その小指には色とりどりの宝石が散りばめられた指輪があった。


 一体、なに──そう思うも、瞳を逸らせぬまま身体を強張らせる。

 しかし直後に彼の手のひらの温度──自分と同じ人間のぬくもりを感じて、強張りはまもなく解けた。

 別世界の人でも、人の体温は変わらないらしい。


「────」


 形のいい唇が何かを呟く。

 よく聞こえなかったけれど、短い単語のようだった。


 するとほんの一瞬、私の身体中をあたたかい何かが駆け巡った。

 身体の真ん中から外側に向かって何かを押し流そうとしているかのような、そんな巡り方だ。


「……今、何をしたの」


 不思議な感覚に当然の疑問が口を出て行く。


「少し衰弱していらっしゃるように見えたので“ヒール”を」

「ひーる……?」

「はい、治癒魔法の一種です」


 治癒魔法と聞いて納得した。言われてみれば少し身体が軽くなったような気がしなくもない。


(今のが、魔法なんだ……)


 相変わらず身体は濡れたままだけれど、初めて魔法を体感して少しだけ感動してしまった。

 私の性格は割と単純なほうだ。魔法の体験のおかげで抱えていたイライラまで癒やされてしまったように思う。


「……貴女様の事情も顧みず、一方的に話をしてしまいました。申し訳ございません」


 心が凪いでしまったとなれば、本当に申し訳なさそうに眉尻を下げる王子の謝罪も素直に受け止められるというもの。

 はぁ、と私は息をひとつこぼした。


「……こちらこそ。ショックなことがあったばかりだったから、……当たっちゃったの。ごめんなさい」

「身体が濡れていらっしゃいますが、もしや何か事件に……?」

「ああ、違うの。これはただ雨に、…………ふられちゃっただけ」

「そうでしたか……」


 含みをもった私の言葉に王子は何かを察したのかもしれない。気遣わしげな視線が向けられた。

 それも一瞬のことで、アストライア王子はすぐに穏やかな微笑みに眼差しを切り替えていた。


「そういえばまだお名前も聞いてませんでしたね。よければお聞きしても……?」

「……聖鞠」

「ヒマリ様、素敵なお名前です。よろしければ……私にヒマリ様の話を聞かせてくれませんか?」

「え?」

「お辛いことであれば口に出すことで心が軽くなることもありますし。もちろん無理に話す必要はございません。……聖女云々は少し置いておき、せっかくレアスにお越しくださった貴女を是非私におもてなしさせてください」

「…………」


 私の状態に気づいても、もしかしたらそれでも食い下がってくるかもしれない。そう思っていたので王子の申し出は意外だった。


 真摯さを帯びた夕焼け色の瞳に私が映る。

 雨に濡れてぼさぼさでぐちゃぐちゃの髪、メイクも落ちてお世辞にも綺麗な状態とは言えない自分の姿──そんな私を前にしても彼は嫌な顔ひとつしないで真っ直ぐに見つめてくる。

 周囲の人らは相変わらず私に無遠慮な視線を注いでいるというのに。


 柔らかな口調と丁寧な動作で、本物の王子様がお姫様を相手にするかのように私と接してくれている。


 正直、少し、揺れた。

 ちょっとくらいなら異世界(ここ)にいてもいいか、と思うくらいには。


 どうせ家に帰ってもひとりぼっち。()と過ごした思い出がまだ残る部屋で、一人寂しく泣くだけの予定しかない。


「先程、お風呂に入りたいと仰ってましたね。我が城にはお客様をもてなすための大浴場があるんです」

「……おふろ……!」


 揺れた。これには大いに揺れた。


 なにせ私は三度の飯より風呂が大大好きだ。

 少し大げさに言い過ぎかもしれないけど。

 それでも、異世界の──しかもお城の風呂に興味がそそられるには充分なくらいにお風呂が好き。

 この時点で私の心はほぼ決まっていたようなものだった。


「──っ」

「ああ……手もこんなに冷えてしまわれて……。さぞ寒かったことでしょう。本当にこんな状態のヒマリ様を気遣えず、申し訳ございません」


 アストライア王子の手が私の両手を取ってあたためるように包み込む。

 人のぬくもりが包まれた両手から伝わってくる。傷ついた心にすっと入り込んで、傷口を優しく塞ごうとしてくれるようなぬくもり。

 もしかしたらまた魔法を使われているのかもしれない。それでも王子の優しさとあたたかさが、傷ついたばかりの私を癒やそうとする。


 これが決定打となった。


「……じゃあ、お言葉に、甘えちゃおうかな」

「──! はい、ぜひ!」


 心から嬉しそうな王子の微笑みに、涙腺が震える。

 彼の言葉や厚意に裏がないのが伝わってきたから。


 純粋な厚意、気遣われる優しさがこんなにも嬉しいとは思わなかった。


「着替えも手配しましょう。お腹は空いていらっしゃいますか?」

「……少し」

「よかった。実は私もまだなんです。あとで一緒に食事をしましょう。そこでヒマリ様の話をたくさん聞かせてください」


 私たちを囲んでいた人々の一人に王子が指示を投げる。侍女を呼び私の着替えの手配と厨房へ食事の用意を、と。

 そこで改めて周りをひと通り眺めてみた。


(……特殊メイク、じゃないんだよね? 本物なんだよね?)


 ドラゴンのようだったり、魚のようだったり、獣の耳を生やした者まで。

 何という種族かは知らないけど、様々な風貌の人々を目にしてますます異世界に興味が湧いてきた。

 聖女として世界を救うかは別として、叶うなら気晴らしに異世界を回ってみたいとさえ思う。


私のいた世界(あっち)とこっちで時間の経過は違ったるするのかな?)


 それ次第によっては仕事をどうするかだけど、あとで王子に聞いてみようと考えた。


「さあ、参りましょう。大浴場まで私が案内します」


 にこやかな微笑みと共に、お手をどうぞと言わんばかりに差し出された右手。

 震える涙腺を堪え、ドキドキしながら手を乗せる。ダンスのエスコートをするかのように、王子は私をそっと引き寄せて歩き出した。


(……これが異世界のイケメンかぁ)


 人当たりの良いイケメンが憎い、とはいえアストライア王子は三枝木じゃない。彼の紳士っぷりにときめかないほうがおかしい。

 異世界に突然呼び出された戸惑いと失恋から生じていたモヤモヤに元彼の不誠実な対応によるイライラ。それらはすっかり姿を隠してしまっていた。

 私の頭はすでに異世界紳士に対するときめきと、異世界のお風呂への期待感でいっぱいだ。


 大浴場までの道中をレアスのことを聞きながら歩いた。

 魔法やその仕組み、住んでいる種族のこと。短い中で聞けそうなことをたくさん。

 続きは食事のときに、そう言われて到着した大浴場の扉の前には既に待機していたらしい女性が立っていた。

 王子が侍女に目配せをして開かれた大浴場への入り口。


「────ごゆっくりどうぞ、ヒマリ様」


 穏やかな王子の微笑みに見送られて、私は期待感と共に足を踏み入れた。

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