三橋翔
月曜になり、一人で登校する。隣の乗客はサバイブ速報の記事を閲覧していた。
SNSを開き、伊藤葵と検索する。すると相互以外は見られないアカウントが一つだけ出てきた。その名前を口の中で復唱し、世界を変えられるアプリを起動する。
「百になってる」
彼女は世界を変えられるようになっていた。
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一限目の授業を抜け出した。美佳は黒板の書き取りに集中していて、麻衣は手を振ってくれる。そのまま階段を降りて、一年生の廊下を歩く。クラスを一つだけ抜けると、背中で一年生が騒いでいる。彼は扉近くの机に座っていた。
私に二度見し、瞠目した。
翔のクラスで歩みを止める。すると、担当の先生が扉を開けて注意してきた。
「授業中だけど」
「すみませーん」
奇異な目で見られている。だけど、周りに怯えている時間はなかった。言葉を使わずに、翔を呼び出す。
彼は頷いて、私が行くのを見守った。その後、扉が開く音がする。廊下を鳴らしながら走ってきた。翔はお手洗いを曲がり、視線から隠れる。
「何してんの」
彼は姉に嫉妬していた。愛されていると誤解し、不良に走る。これまでの関わりも納得のいく節があった。だとしても、陽縁は守れなかったのか。私の中で理不尽な怒りがこみ上げ、怒鳴りたくなる。でも、陽縁は墓場で突き詰めなかった。それが三橋家庭の答えであり、私の口出しするところではない。
「用事があった」
「いや、携帯で呼び出せよ。ほんと無茶なことをする」
翔は額に汗を浮かべている。深呼吸したら携帯で時刻を呼ぶ。
「それで何か?」
「陽縁を救いたいから手伝って欲しい」
「良いぜ」
何を驚いていると言葉を続ける。
「俺は貴方たちに恩を返してない」
「恩?」
「ショッピングモールで助けてもらったこと」
墓参りで指輪を渡そうとした。あの情報は偽物だったから、恩を返せていない。つまり、聞かなくても協力するみたいだ。
「忘れてた」
「俺は何をすればいい」
「あなたの指輪を使いたい」
彼はゲージを百で満たしている。願いは叶えられないままだった。
墓参りに行く。姉との向き合いは、彼の中で決着がついてしまった。
「ヨークのところに移動するか」
ことが順調に進んでいる。彼は陽縁が自殺した当事者で、私の計画を手伝わせるつもりだった。
「いつ分かった」
「幻想使いに記憶を戻してもらった。翔は」
「仕草」
「やっぱ血の繋がりだね」
「姉は嫌ってるけどな」
心は土曜の話で押しつぶされた。陽縁の抱えている荷物が多すぎて、手を伸ばしたくなっている。死のうと聞いてから、救おうと決意した。彼女が与えてくれた愛と、永続的に抱いた執着の終わりが来ようとしている。
「翔は『五十嵐沙織は三橋陽縁と伊藤葵を忘れないこと』と願ってね」
階段を降りて中庭を通過した。新校舎の空き教室にヨークは佇んでいる。また紅茶を堪能しているはずだ。
「姉は元気にしてるのか」
「土曜も遊んだ」
「それならいい」
「翔は三橋家を継ぐの」
「もう繰り返さないために、三橋家と心中する。両親も死ぬほど後悔してるし」
陽縁の両親が後悔してくれた。部外者な私が勝気になる。
「五十嵐。姉を頼む」
「え、なに」
「何でもねえよ」
お前がもっと周りを見えてたら起きなかっただろ。
「翔の空回りも終わりだね」
「言うなってそれ」
空き教室に到着し、扉を開ける。ヨークは三枚の資料に目を通していた。
「授業中だよ」
「ヨーク。俺の願いを叶えてほしい」
机に紙を落とし、筆箱で抑えた。
「わかった。指輪をはめてくれ」
彼は指輪を装着する。輪っかが指よりも大きくなり、頭の上へ登っていく。
空気が振動した。彼の願いで世界が変わろうとしている。私たちに与えられた一つの抵抗。世界は歓迎か恐怖して、赤子のように振動していた。神聖な祠のようで、体が縮こまる。
「君の願はなんだ」
「五十嵐沙織は三橋陽縁と伊藤葵を忘れないこと」
左の手袋を外そうとした。しかし、その犬の目は翔を離さない。
「君の願いなのか」
「俺の願いは姉からの罰だ! 助け出さなかったクズ野郎って、それさえもしないことが許せねぇ!」
胸に手を当ててヨークに訴えている。いや、ここにはいない人にも向けていた。
「俺は姉に生きて欲しかった。だって好きだったのに嫌っていたから。もう、素直になりたい。姉が、救われる道に、これがいる」
「そうか。既に君は満たされたのか」
ヨークは手袋を胸ポケットに収める。そして、両手を掲げた。
「代償は姉の痛みをずっと覚えていることだ」
「そんなの生ぬるい」
そして、世界が変わった。
これで私は二人の存在を決して消せない。記憶を取られても、様々な手段で覚えられる。
「じゃあ、俺は帰る」
「え、もう行くの」
彼は立ち会うと勘違いしていた。
「もう俺の出る幕じゃない。お前の順番だろ」
「うん」
「姉を頼む」
「全てを解決させる」
彼は空き教室から退場した。
「ヨーク。私も願いを叶えたい」
「へえ、君も決めたのか」
私は陽縁を空き教室へ来るよう連絡した。




