思い出した
「最近、私と話さないよね」
夕方の放課後で呼び出された。美佳は自分の机から移動せずに、対岸で座らせる。
嫉妬されていた。クラスのグループを転々とし、登下校を一緒にするだけの私に。
「あ、そうかな」
「陽縁でしよ」
目を見開いた。それが彼女の証拠になりうる。
「違うよ」
「知ってるし」
「……」
「まあ、陽縁はリア充だし自分の価値が上がったと思えるよね」
否定出来ない。彼女といたら優越感に浸れるからだ。
「ねえ、陽縁に近づかない方がいいよ」
「何で?」
私の半分が否定されたように気が立つ。
「陽縁は沙織を狙ってるって噂がたってる」
「え?」
「レズビアンだって」
レズ。
女性の同性愛者。
授業の教科書に乗っていた一文だ。期末のテストに出るから赤色のマーカーをひいた。
「噂だけどね」
「偏見で話したらダメだと思う」
「沙織、目を覚ましてよ。あの娘はどこかおかしいって」
「何がおかしいの?」
端末を操作して、ある動画をタップした。丸い円が回転している間に横画面にする。
「これ見て」
次はサバイブ速報に移動した。都市再開発計画の特集が組まれている。杜撰な現場や危ない人間関係が焦点に当てられていた。三橋家は反社会組織と手を組んでいると噂がたっている。
ネットの住人は三橋家の家族を晒した。
「あの人は危ない」
「ネットの記事を信頼してるの?」
「これだけじゃないから」
次は動画を再生した。すのことロッカーが並んでいて、窓は鉄格子がついている。そこに三橋陽縁が写っていた。女子の更衣室で、三橋陽縁の手には体操服が握られている。それを口に近づけ、肌を付けていた。
「たまたま見つけて撮ったの。まだ拡散してないけど、狙われてるって」
「美佳だって人のこと言えないじゃん」
「え?」
「私のことが好きなくせに」
動画の再生は終わる。シークバーは右まで到達していた。
「それ、言っちゃうの?」
陽縁を守ろうとした。それで、美佳を傷つけてしまう。
「ごめん、違う。聞いて」
「それ、言わないで付き合ってたじゃん。なんで、言うの」
「ごめん」
携帯を机に置いた。教室で立ち上がって、カバンを持っている。顔を上げたら、顔に水がついた。
美佳の瞳は揺らぎ、頬をつたってしずくを落とす。
「ごめんって思うならキスさせてよ」
「それは」
「うん。分かってた。最低だよね私」
そのまま姿を消してしまった。
私は追いかけようとしたけれど届かなかった。その足は早く、もう話しかけないでと言われているようだ。
私は友達を失った。
▼
月が高いところに登っている。
夜に彼女から呼び出しがあった。私は開きっぱなしの裏門から屋上まで登る。
「こんなところでどうしたの」
彼女はスマホのゲージを開示した。百を切っており、世界を変えられる力を持っている。
「うーん。何となく呼んじゃった。迷惑だったよね」
「電話ばかりだったから話したかった。屋上はびっくりしたけどね。よく入れたね」
屋上の風が強かった。頑なに神経を尖らせている。陽縁はフェンスの奥で立っているから、風に体が乗ったら命取りだ。
「最後に聞きたいことがあったの」
私も聞きたいことがある。誰の体操服を嗅いだのか。陽縁の価値に私は組み込まれているのかな。どうして、私なんかに話しかけてくれるのだろう。
動画を突き詰めたい。動画は合成でも、心が晴れなかった。
「沙織は私を誰に重ね合わせてたの」
心の中身を射抜かれて、唖然とする。最初から誰なのか提示していた。言えなかった私は意固地になっていたわけだ。
重ねあわせた人。答えたら、死ぬのをやめてくれるかな。
「伊藤葵」
彼女の予想も躊躇なく超えた。頬の筋肉が下がっている。
「2人ともリア充だった」
人は外見で判断する。彼女の外見で伊藤葵のような傲慢さを期待していた。
「気分を害したらごめん。今はもう重ねてないかな」
「それってどんな人なの」
「私はあの人が許せない。もし、再開したら謝らせたい」
ポケットから指輪を取り出した。おもちゃのルビーに過去の痛みを反射させる。
「でも、そんな都合の良いことなんて起きない」
陽縁は近づいた。その足取りで屋上のフェンスから離れていく。答えを聞いた反応じゃなかった。戸惑いつつも、引かないように身構える。
「でも、この怒りは忘れちゃいけない。美佳や母さんが教えてくれたから」
「沙織の願いは『伊藤葵に謝ってもらうこと』なんだ」
「いや、そんな小さなことを願わない。友達と仲直りかな」
「美佳と喧嘩したの?」
「ちょっとね」
美佳は暴露を受け入れて、背中を抱いてくれた。あの温もりや続く言葉が実感させる。私はひどいことをされた。だから、怒っていい。自分の心は飛び立つ鳥のように自由だ。
「私がなろうか」
「なるってどういうこと?」
今度は背中を向けて、手を後ろに回している。
「伊藤葵になるって願う」
「何を言って」
「だって、モヤモヤは晴らしたいんでしょ。だったら、私がなってあげる」
彼女の負担が大きかった。人に恨まれるのは心の器が破壊されるほど辛い。それが見せかけだとしても、同じ重みが互いに下る。
「大丈夫。ただのごっこ遊びだから」
「ダメだよ。そういう遊びしたくない」
「言わなきゃ死ぬ」
「ちょっと」
「ねえ、やろうよ」
「わ、分かったって」
互いに願いを決めた。
彼女は伊藤葵に姿を変える。私は伊藤葵に罰を受けてもらう。
反対しつつも胸が高鳴る。陽縁と秘密の遊びをしていると背徳感が刺激された。明日からどうなるのだろう。その思いは美佳への逃避も含まれていた。
私たちは形だけの上下関係を構築する。
その翌日、三橋陽縁は自殺した。