記憶喪失
私たちは1週間の辻褄を合わせるように、調子を合わせて会話した。それは陽縁も望んでいるようだから、指輪の使い道よりも朗らかな雰囲気が流れている。それが楽しくて外の景色なんて度外視した。私は葵の過去に誰だったのか、自分が何を願ったのかさえ思考停止するほど大切に思える。もう帰ってこないのではないかと、夕日もさしていない教室で感傷的になった。
「それで、幻想使いさんは卵ばかり食べててー」
「卵好きなんだ。好物が一緒なの嫌だ」
幻想使いは私たちを守ってくれている。不信感は拭えないが、周りは信じているようだ。最後に決めるのは自分だから、今回の提案を乗ってくれるのか不安だった。
私は麻衣の言葉を復唱する。幻想使いの魔法なら記憶に干渉できるかもしれない。彼女が言うには魔法には制限がないから、提案者の思考を止めなければ可能らしい。前回に麻衣が死にかけても、幻想使いが助けた。問題は今回の幻想使いが協力しない可能性がある。でも、ショッピングモールで『本当の彼女を見ろ』といった慈しみの瞳を信じることにした。
「聞いてる?」
「葵さ、四人で遊びに行こうか」
「良いけどさー」
パーカーのポケットからがま口財布を出した。人差し指の爪が紙幣と硬貨を計算している。
「ちょっと遊びすぎじゃない?」
「そうかな」
「うん。金が持たないよ」
形は似ている。その微笑みは私に水をかけてきた顔だ。眉を中央に寄せたら教科書が切り刻まれる合図になる。でも、身体の癖が違った。
高校の葵は奉仕する。虐めた過去を盾にぶつけて来いとした。人の細かい心は気が付かないし、葵は欲望を隠そうとしない。
「日雇いしてるんだよね。管理人さんの紹介で」
「沙織も来るの? 楽しくなりそう」
「お金貯めたら四人でどっかいこうね。うちの学校が見えなくなるところ」
「だったら街だね。そういえば〜」
彼女は私が一週間で何をしたのか分からない。虐めた葵のインスタを検索し、投稿を眺めて通報したこと。小さな私が小さくない過去に苦しめられているところなんて。
知られたくないけど、知ろうとしない。
「ね、その店行こ?」
「四人の都合も聞かなきゃね」
もっと深く知りたい。頬をつねったら嫌がるかな。歯を触りたいし、髪の毛を撫でたい。
肋骨の下から切ない痛みが貯まる。今すぐ手のひらに収めたくなった。
なぜ自殺したの。
「四人で思い出を作ろう。もう死んでもいいと決意できるくらい」
「うん」
「五十嵐さん、伊藤さん!」
教室の扉が開かれる。そこに立っていたのは息切れした翔だった。
「終わりました」
▼
翔はグラウンドまで案内してくれる。
リッジは飴色の紐で手足を拘束されていた。辺りにはスーシャだったものが散乱しているところだ。
「クソが!」
彼の悪態は途切れる。幻想使いが紐を口まで伸ばした。
「今回でリッジは討伐できる。しかし、別のリッジが君らを襲いに来る。それの対処を考えないといけない」
翔は幻想使いの力を借りて尽力した。私は囮として役目を発揮したようだ。
「幻想使いさんの魔法って何でもできるんですか」
手のひらを向け、花火のような閃光を散らした。その後、リッジを浮かせ、紐で丸め込む。魔法を使う横顔に傷一つない。
「人の記憶を取り戻すことって出来ますか」
「できる」
「沙織?」
「大丈夫だから」
「その前にリッジを消す」
口に結ばれていた紐が解けた。猫の牙が白い。
「情報に踊らされてるくせに偉そうだな。私を消したところで、何も変わらない!」
「わかったから黙ってろ」
リッジの腹部から右回りで回転した。やがて、その透明な身体は圧縮されていき、塵一つない静粛をもたらす。
「なんか可哀想」
「うるさいヤツは黙らせるほうが早い」
葵と同じ列からはみ出た。幻想使いに記憶を取り戻してもらうために。すかさず袖を掴まれ、踏み出せなくなる。引っ張れば破けてしまいそうだ。
「どうしても知りたがるね」
「陽縁、私を信じてほしい」
その瞳を重ねた。彼女に映る私は切羽詰まっている。
「私は愛してくれた誰かを知りたい」
「もう元に戻れなくなる」
「葵、沙織の意思を止めるなよ」
彼女はパーカーのポケットに手を突っ込んで、片足に重心を置いている。
「決めるのは五十嵐沙織だ。葵は道を矯正できない。それは病院で分かったはずだ」
「……」
「私は記憶を戻せる。それをどうするかは五十嵐沙織だ。お前の見てきた五十嵐沙織は不誠実な人間だったか?」
「いや、そうじゃない」
「だろ」
葵の体が浮遊した。透明なボールの中で声が届かなくなっている。
「記憶、取り戻すのか」
彼女はガラス越しに訴えていた。頷いて、幻想使いに向き直る。
「何をなくしたのか知りたい。それが枷だと分かってるから」
「渡す記憶はお前の見たものだけだ。それで全てが判明するわけじゃないからな」
幻想使いは距離を近づけて、額に手のひらを当ててくる。もう一つの左手は自身の前髪を盛り上げた。そうして、彼女は記憶を開通しようとする。
「今からお前の記憶を戻す」
幻想使いは鼻から息を出した。不快に見上げると、泣き出しそうな顔をしていたから、言葉にしなかった。顔が読めないはずなのに、そう捉える。




