2話 2スト・スーパーチャージャー『ワルキューレ』
サイドスタンドで傾くバイクに跨り、太ももとハンドルで車体を真っ直ぐに起こし、シートへと尻を預ける。
そして、バイクグローブの指でキーをカチリとひねる。
捻る。
反応が無い。
うを、反応がにゃい。
サイドスタンド、戻して無かった……
カタンと言う音でサイドスタンドが戻ると、アナログなメーター類がバックライトで光る。
鉄とプラスティクの無機物に命のスイッチが入った。
同時に、クーーーッと排気バルブがクリーニングのために回転する微かな音がした。
右ハンドルの付け根、白の丸いスターターボタンをまず一度押す。
ヒューーーン
始動時のために電動モーターが駆動し、スーパーチャージャーが回転を始めた。
2ストロークのシリンダー吸気ポート、そこへ繋がるサージタンクへと、大気が圧縮充填されて行く。
ハンドルの上、丸い二連メーターの左、タコメーター側に始動過程を表示すしているLEDランプが有る。
キーを捻ると最初は赤色だ。
スターターボタンを一度押すと、黄色になって、待ての表示。
最初はその黄色が点滅して、感覚の長い点滅から、短い点滅になって、点火OKの緑色へと変わる。
同時にスターターボタンが内側から透過光で緑色に光る、その光るボタンをバイク・グローブの親指で押し込む。
キュルルル
セルーモーターの、アノ独自音が響く。
そして――
パン
一発目の爆発が起きて。
パパパパ
爆発が連続してエンジンに本当に火が入った。
背後から聞こえる、4ストの重量感とは違う2ストの軽快な排気音。
バイクの車体を震わす微震動は2ストならではのモノだ。
右手のアクセルを僅か回し、エンジンの回転を確かめながらジンワリと上げて、問題無しとアイドルよりも少々高めに回転を維持する。
冷え切っていた金属が温まり、徐々に調子を取り戻していく感触がする。
このエンジンを回すこれからの走りに、思わずニンマリと微笑んでいる自分がいた。
水冷2ストローク。
750CC。
スーパーチャージャーの並列三気筒。
通常、2ストロークのエンジンは、クランクケースにキャブからの混合気を入れて、ピストンの下降と共に吸気ポートからシリンダー内へと充填する。
その時、クランク、コンロッド、ピストン、エンジン内部を潤滑するために、混合気にオイルを噴出し混ぜる。
つまり2ストロークのエンジンは、排気にオイルが混じっている事になる。
コイツが今の時代、問題な訳だ。
排気ガスの規制が厳しく無く、緩かった時代ならソレも問題無かった。
けれど、今の時代は見過ごす訳には行かなくなったんだ。
水冷エンジンになって目立つほどの白煙は出なくなったが、空冷エンジンは本当に物凄かった。
左右のマフラーから、道路幅いっぱいなほどの白煙を拡げながら走る事だって有ったのだ。
さすがにソレはダメだと、高出力狙いも兼ねて水冷化になったのだが、時代の要求、厳しい規制によって、排気ガスにオイルの混じる2ストはとうとう絶滅してしまった。
そんな時に現れたマシンがコイツ、このシリーズ・モデルだ。
排ガスのクリーン化をするなら、混合気にオイルを混ぜない潤滑方法を取るしか無い。
しかし、2ストの場合、ピストンの下降からのクランク室での一次圧縮が無ければ吸気出来ないし、ソレをすると、どうしても混合気にオイルが必要に為る。
結果、解決するには強引な力技と為った。
過給機での強制吸気、シリンダー内への強制充填だ。
でもって、ターボは使えなかった、ターボってヤツはまずエンジンが動いて、その排気で作動する代物なので、エンジンを起動させるために最初から過給が必要な、この場合は無理だった。
ならば、で、採用されたのがスーパーチャージャーだった。
起動時は電磁クラッチでエンジンからの連結を一旦、切り離す。
モーターでスーパーチャージャーを駆動して過給。
そして起動だ。
ついでに、アイドル域とかの低回転域も、時にモーターがサポートに入る。
これらによって画期的に可能になった事が有った。
クランク・ベアリングにメタルを使える様になった事だ。
4ストと同じ環境を得たクランク周りは、4ストと同じ潤滑方法を取る事が出来たのだ。
今までの2ストのクランクへのボールベアリングの使用は、ひとつの欠陥が有った。
ボールベアリングを組み込むために組み立て式のクランクを取らざる終えず、おのずと耐久に限界が有ったんだ。
それはボールベアリング側だったり、組み立て式のクランク側だったりした。
人によっては、2ストのクランクシャフト・ベアリングは消耗品だと言うし、クランクシャフト自体までも消耗品と言う人も居る。
鍛造の一体式クランクシャフトとメタルベアリングを得た2ストロークエンジン。
そのエンジンがこいつだ。
ヘルメットのシールドを降ろし、ギアをニュートラルから踏み込み一速へ。
コクンッと飲み込まれる様に入り、アクセルを少々捻りながらクラッチを繋ぐ。
2ストでも750CCも有れば低速トルクは十分過ぎるほど有る。
更には三気筒なのでスムーズに発進する。
2ストの三気筒はピストンの上下動毎の爆発によって、4ストなら六気筒に相当する回り方をするからだ。
例えるなら、660CCのはずの軽自動車に、1320CCの六発エンジン?!
イヤイヤイヤイヤ。
車体の重さが違うし、2ストの出力特性も違う。
そう言えば、昔々、四輪で1600CCだったか六気筒を乗せた、FF車ってのが有ったっけ。
メーカー、何を考えたのか……
てな、しょうも無い事を考えつつも、身体は自動的にバイクを発進させて走らせる。
パアアアァァァーーーーーーンンンン
2ストならではの排気音が三発ハモって響き渡る。
ターボだとコウは往かない。
排機系に余計な代物が無い、スーパーチャージャーだからこその快音。
フケ上がりの快感と共に、4ストとは全く違う加速感。
ゾクゾクとするほどの快感の始まりだ。
本当に田舎道のアスファルト・ロード、その抜け道の様な裏道だ。
雑木林を片側に見る、緩い曲がりクネリが重なる面白い道だ。
こんな所まで道を作り、さらには舗装までする。
走る車なんて滅多に無く、道沿いに家屋も無い。
日本って国は、何、考えているんだ、って無駄が多過ぎると思う。
ただし、走る分には気持ち良く、良くぞ作ったって道だ。
この道をアクセルを開けて走る。
生活道路でも無く、流通交通の幹線道路でも無い、バイパス的にさほどの必要も無く造られた道だ。
なので遠慮は不要、見通しもそう悪く無い、先行車が有ってドン詰まる事も無い、バイク乗りには最高の道。
カウルも何も無いので、風がそのまんまに当たる。
カウル類は、その域からメットが出ると、とたんに頭に圧が掛かり首がキツくなる。
高速道路とかのクルージングにはイイのだろうが、何も考えずに連続コーナーでバイクを走らせる時は余計な代物だ。
第一、カウルは夏、暑すぎる。
一般道でコーナーを限界まで攻める様な走りはしない、てか出来ない。
そこまでの腕は無いし、無理気味にそんな走りをしても、正直、楽しくない。
それよりもリズミカルに、スムーズに、俺もバイクも楽しんでいる走りを目指す。
だいたいが、2スト、750三気筒、過給器付きのエンジンを、フルスロットルで振り回す事なんぞ自殺行為に等しい。
そう言う事を安全にしたかったらサーキットへ行けばいい。
と思う俺はド田舎が故郷で、サーキットはとほひ。
アクセルで回転を調節しつつ、右手指と右足でブーレーキング。
ニーグリップを効かせて身体をホールドしながら、カツン、カツン、とシフトダウン。
リアタイヤに体重を預け、バンクした車体を加速させて行く。
メットの向きはコーナーの出口。
視界の隅でアスファルトの路面が高速で流れて行く。
エキゾーストノートが大気に響き渡る。
デジタル・インジェクション。
それもシリンダーへの直噴だ。
コレのお陰で以外に燃費が良く、2ストの750でもガソリンのワンチャージでそれなりに距離を走ってくれる。
4ストと同じクランク周りになった事で、もうひとつ追加出来たデバイスが有る。
ピストンクーラー、それもディーゼルエンジンと同じタイプの、クランクベアリングへのオイル圧の下がらない、独立したオイル経路を持ったピストン裏への強制オイル噴射だ。
同じ回転数で、2ストは4ストの二倍の爆発をしているエンジンだ。
混合気をクランク内へ、そしてシリンダーへと回し動かしているなら、混合気のガソリンがエンジン内の熱を取る働きも期待できるが、こいつは違う。
水冷なら熱問題は大丈夫だろうとも思うのだが、メーカーは慎重に念を入れてこのデバイスを追加した訳だ。
だが、お陰でひとつ問題が起きた。
今度はオイルへの熱対策が必要になった事だ。
水冷エンジンはシリンダーや、シリンダーヘッドは冷やすが、オイルまでは冷やしていない。
なのでオイルへの熱対策にメーカーが何をしたかと言うと――
普通にオイルクーラーなんぞ付けなかった。
替わりにドライサンプ式にして、ドでかいオイルタンクを設置した。
車体のバックボーン・フレーム、ガソリンタンクが抱きかかえているフレームをオイルタンクにしたんだ。
それはゴツく、太く、デカイ。
大型ペットボトル並みの太さの一本パイプを、オイルタンクにしてしまった。
同時に、2ストのエンジンなのに、またまた独立オイルポンプが付いたと言う……
まあ、2ストならではの、燃料オイル用のデリケートなオイルポンプは無くなったが。
年数の往った2ストのエンジンって、最初にオイルポンプが往くと言う。
右手のアクセルと、エンジンの反応、ピックアップ・レスポンスはゴム紐だと思う。
トロいエンジンは回転を上げていて、そこから右手を捻っても、即、付いては来ない。
ゴム紐がビョーンと延びて、延び切ってから、動き出す。
そのタイムラグが無いのが2ストのエンジンで、それも排気量の大きいヤツだ。
バンクした車体で右手のコントロール。
ズリズリとRタイヤがパワーに負けてスライドしている。
17インチのF&Rのタイヤは絶対的な限界は低い。
その代わりに、限界域での挙動は唐突に来ないモノで、ジワジワと粘り動く滑り方をする。
ドライ路面でも、雨の路面でも、この粘りの滑り方は有り難い。
2ストのピックアップの良いエンジンなので、滑りのコントロールが出来るのだ。
人によっては4ストの柔らかなレスポンスでもって、鷹揚の有る特性で、色々と吸収してくれる感覚の方がイイと言う人も居るだろう。
だが俺は、ドライブ・チェーンの遊びも好きじゃ無いタイプの人間だ。
ビシッ、ビシッ、と繋がっている感覚の方がシビアでは有るが、走らせていて、ストレスはこっちの方が無い。
人は普段の俺を見て、動きがマッタリと言う。
だが、そんな俺なんだが2ストの方が、何だかピタッと来る。
人ってヤツは自分と反対のモノを求めるのかも知れない。
スーパーチャージャーと電動モーターが、以前の2ストに比べて重いのは重い。
それでも4ストの、あのヘッド部分の重さに比べれば軽快では有る。
右に左に駆って走らせ、この道もそろそろ終わる。
道のドン詰まり、T字路の交差点の信号が見えて来た。
で、でだ。
こーーーん、なぁ、田舎なのにコンビニが有るっ。
有り難い事にコンビニが有るっ。
お小遣いの出費が増えて、ついつい買ってしまった代物で、コンビニ太りになった、コンビニが有るっ。
でもって、コンビニで売っているモノは、酒にタバコに食い物だけではにゃいっ。
そぅ、コンビニには、嬉し恥ずかし、大人の雑誌も有るのだった。
ネットのデジタル画像とは、また違った趣の有る、紙媒体での趣味の極致。
エロ本が有るのだった。
女性の方々よ、コレは男が犯罪に走らないための投資なのだ。
こんなに安い金額?で、つかの間の充足、男の乾いた魂を潤す救い。
砂漠にコップ一杯の水。
まったく足りないが、まったく無よりもマシ。
その、ひと飲みで、今日も明日も何とか生きて行ける。
桃色のアイテムなのだった。
バイクが魂をチャージして、走りで魂を洗うなら。
エロ本は、魂の乾きを潤してくれる、奇跡のアイテムなのだった。
俺はメットのシールド越しの、蒼く高い空に、世界を感じていた。
今日はコンビニ・エロ本の、掘り出し物が有るとイイなと思いながら。
今日もイイ天気だ。
このバイクなら、たぶん、130PSは軽く往くと思う。
750CCで150PSも簡単かも。
ただし、燃費は無い。
ついでに、今の時代なら、マフラーに触媒は乗せねばならぬか……