17話 ジンクス哀愁
店先に中古品として並んでいた一台のバイク。
一目見て分かる出物だった。
馴染みのバイク屋のドワーフおっちゃんが、アゴを片手で撫ぜながら妙な表情を浮かべていた。
「まあ、買うってのなら売るが、後で文句言うなよ」
整備は万全だと、ソコは安心しろとニヤリと笑う。
笑ったのだが、何だか物凄く不安をあおるモノの言い方だった。
「おっちゃん、まさかこのバイク呪われているとか……」
俺は自分で言うのもナンだが、運の無い方だ。
他の連中は、イヤお前は十分に運がイイと言うが信じられない。
「うーーーん、呪い、呪い、呪いが鈍い」
出たっ、中年のしょもないダジャレ。
「…………」
俺はおっちゃんを傷つけ無いにはどうしたらイイのか無言になって居た。
「ああ、呪いってモンじゃ無いな、まあジンクス程度だな」
おっちゃんがゴホンとカラセキ、走りそのモノに関しては問題無と言う。
死を呼ぶ車とか、そんな類の代物では無いと保証してくれた。
俺は目の前のバイク、おっちゃんの話を半分に聞き流し見詰めていた。
人間の男が女に惚れるには理由は無い。
不意の出会いがしらに見取れて、気が付くと惚れてしまっていた。
バイクとバイク乗りってのも、そんな感じの部分が有る。
現金の金で買えるってのは、バイクと人間のでっかい違いだが、だからこそ思い込んでしまった時は始末が悪い。
金さえ有れば買える、自分のモノに出来る。
更に言えば、バイクってのは幾ら高額って言っても、四輪の新車よりも安い。
そいつが中古とも為れば激安に見える訳だ。
以前から気にかかっていたモデルの、新車並みのクオリティでの激安中古。
おっちゃんの整備での安心保障。
今現在、乗るバイクが無い俺。
俺は衝動買いじみては居たが、このバイクを買う事に決めたのだった。
何時もの光景。
馴染みのバイク屋に、用も無いのにタムロする暇人達の何気ない会話だった。
「タロウ君、バイク買ったんだって?」
人の良さそうなアメリカン乗りの、オークな勤め人だった。
買ってきた差し入れの鯛焼きを食べながら言った。
「中古の出物だそうすっ」
一番数が多い丸耳種、大学生の万年金欠なオフロード乗りだった。
バイク屋の万年急須からのお茶を飲みつつ言う。
「前から気に掛かっていたヤツだって言ってたな」
雰囲気が堅気職業では無いダークエルフ、大排気量のカスタム・スポーツ乗りだった。
バイク屋の自販機からのペットボトル、ミネラル・ウォーターを飲みながら言った。
三人が三人、社会の中、自分達の人として背負わなければいけないシガラミの世界から、一時、開放されるこの場所で肩の力を抜いて居た。
――いい天気だった。
と、その良い天気の空が行き成り暗く為った。
本当に暗く為った視界へと、ポツ、ポツ、ポツ、アスファルトに雨粒が落ちた。
ああ降って来たなと思った瞬間――
ザアアアアーーーーーーッ
勢いの有る雨が大気を埋め、白ッ茶けたアスファルトがたちまちに黒く濡れて行く。
眼に写る一面が水に覆われて落ちた雨水が流れ動き、空気が気温を下げていた。
そんな瞬間に姿が変わった世界に、雨音の中、遠くから近付く音が聞こえた。
ドド、ドド、ドド、ドド、ドド
マフラーで幾ら消音していても分かる、ワンシリンダーが大排気量のツィン・エンジンの排気音だった。
バイク屋の店内でたむろして居た三人が、揃って『おっ』と言う顔をしていた。
雨水が流れる黒いアスファルト路面を、降り注ぐ雨粒が弾けて白く煙る。
気まぐれに変わった天気、雨が降り続く道を一台のバイクが、その雨の中から現れた。
ドド、ドド、ドルゥン、ドド
バイク屋の店先、邪魔にならない様に脇へと止まったバイクが、雨具のカッパ姿、ライダーの右足一本で支え止まる。
左足がシフトペダルからニュートラルを出し、ライダーがキーを捻りエンジンが止まる。
ゴム長靴の左足がサイドスタンドを蹴り出してから路面へと降りた。
安物の黒いカッパ、雨具を着たライダーがゆっくりとバイクから降りてヘルメットのシールドを上げ、視線を店内へと向ける。
雨の中、重量を感じさせるバイクが濡れ光りながら、二つのタイヤとサイドスタンドの一本足で、静かに身を佇ませて居た。
あれだけ降っていた雨が勢いを弱め、空が明るさを取り戻し始めていた。
「おっちゃんーーーーーーっっっっ」
俺は雨カッパを脱ぐのももどかしくバイク屋の中へと走り込み、バイク整備をしているおっちゃんへと詰め寄った。
「ああん、おおうぅタロウか」
おっちゃんが工具の両手をそのままに、俺へと顔を向けてのんびりとした口調で言う。
「あ、あのバイクっっっっ」
俺はそんなおっちゃんへと、片手を今さっきまで乗って来たバイクを伸ばし指差し、怒鳴っていた。
「おぅ、やっぱしか、うん、誰が乗っても同じだったか」
おっちゃんが溜め息を吐きつつ言った。
バイク屋の店内、片隅の机と椅子の事務仕事の一角だった。
「悪運のタロウなら、何とかなるかと思ったがダメだったか」
おっちゃんと俺、それに居合わせた暇人常連が、雁首並べて始まりを待っていた。
おっちゃんがタバコに火をつけて吸い込み、フーーーッとひと煙を出した。
「ジンクスっての有るだろう」
横咥えのタバコでおっちゃんが俺達へと眼を向けて問う様に言う。
「えーーーと、黒猫が横切ったらってアレの類ですか?」
オークの牙の出ている緑色顔、それでも人の良と分かる穏やかな声だった。
「ああ、俺、コレが終わったら結婚するんだって、アレっすね」
丸耳種の大学生、いいヤツなんだが彼女居ない暦=年齢の、童貞だろうたぶんが言った。
「ジンクスってのは確かに有るな、しかし有る事は有るが気にするほどのモノじゃ無いけどな」
運さえも己の実力で何とかしてしまう、危ない匂いのするダークエルフ男が言った。
「…………」
俺はムッツリと、ただただ無言で居た。
おっちゃんが三人の言葉に頷き、タバコを深く吸い込み天井へと顔を仰向けに、再フーーーツと紫煙を出した。
そして、そのままの姿勢で――
「あのバイク、雨バイクなんだわ」
そうひと言、言いやがった。
「「「「……………」」」」
俺と三人、全員が無言になった。
男達だけ、と言う潤いもナニもかも無い、殺伐としたバイク屋のナニも救いの無い止まった時間だった。
「え、ええと、雨女とか雨男とかのアレですか?」
人の良いオークが何所かウロタエタ様に声を上げる。
おっちゃんが咥えタバコで無言で頷く。
俺は丸めた背中の両膝に両ヒジを置き、組んだ両手の上、どんより顔のアゴを乗せて聞いていた。
「ウキウキ祝日の、楽しみ休日に、天気予報が200%快晴って言っても雨が降る、アレっすか?」
丸耳種の若者(バカ者)の悪気の無い、ソレが返って何所かカンに触る能天気な物言い。
おっちゃんがプカーーーと、煙輪ッカを作り出して頷く。
俺は組み合わせた両手が、アゴから鼻へと落ちていた。
「アイツと一緒に賭け事に行ったら、絶対負ける、運が逃げる。落としたはずの女も逃げて持ち帰り率0%って、疫病神そのモノのアレか」
ダークエルフのモテモテだろう良い男間違い無しの、羨ましい率、爆発しちまえこんちくしょうが、救いの無い、奇跡も無い、希望ナニそれを言った。
おっちゃんが血涙を流しながら頷いていた。
俺は両手で顔を覆っていた。
つまり――
おっちゃん曰く。
世の中には、雨男、雨女が居る様に、雨乗り物が居る?有るそうな。
雨男が今日は××と気合を入れて外出して、ピーカンの真っ蒼な青空でも必ず雨が降る。
ソレと同じに雨乗り物ってのは、走り出す直前までは物凄くイイ天気なのに、エンジンを掛けて気持ち良く走り出したとたんに、一転にわかに掻き曇り、雨雲が湧き上がって雨が無情にも振り出す。
晴天ナニそれ美味しいの? 雨降って今日はお釈迦。
ソレが雨バイクなのだそうだ。
「…………」
救いの無い話だった。
アレだけの拾物バイクなのに激安なはずだった。
トンでも無いジンクス付きの代物だった。
『雨バイク』
最低のバイクだった。
静まり返ったバイク屋の店内。
コチコチと柱時計だけが鳴る音。
誰も身動きひとつしていなかった。
バイク乗りに取って、雨降りほどイヤなモノは無い。
四輪と違って雨降りはどうしょうも無いのがバイクだ。
カッパ、雨具を着たとしても――
濡れる。
革のグローブの代わりに軍手、濡れる。
着古した雨具だと、まず最初にクルのは股間、濡れる。
豪雨だと首から雨水が来て、濡れる。
何よりも身体からの汗や湿気、ジットリと濡れる。
哀しくて泣いているんぢゃ無い、これは心の汗にゃんだ、濡れる。
それに――
滑る。
タイヤのグリップが落ちて、滑る。
ブレーキもアクセルも、摩擦係数が落ちて無理が利かず、滑る。
何時もなら、このバンクでクリアのはずのコーナーがアホみたいに、滑る。
運もサイフの中身も、ましてや奇跡的のデート約束が、滑って消える。
お星様、僕、生きてて楽しい事、お願い、消えた。
『雨バイク』
恐ろしや。
救いは何所にも無かった。
「悪運のタロウなら、何とか為ると思ったんだが……」
おっちゃんがポツリと言った。
そりゃ買いかぶり過ぎだ。
俺は基本、呆れるほど運が無い。
乗るバイクが無かったってのも事故に遭って、バイク全損、けれど人間は無傷。
コレを運がイイと言うなら、最初から事故に遭わないのが一番イイに決まっている。
そう、俺ってのは昔からこんな感じだったのだ。
運が悪いって事柄を軒並み体験した。
その不運の中からまだ何とか、何とか為って遣り過ごした。
『運が悪かったけれど、運が良かったね』
そんな言葉の繰り返しが俺の人生だった。
他人から見れば本当にツイて無いヤツで、ツイて無いけれども最悪だけには為っていない。
ソレが俺だった。
本当に運がイイなら、最初からそんな眼には合わないはずだ。
俺の本音だった。
ゲンナリだらけの積み重ねの人生。
死ぬよりマシと自分を慰める繰り返し。
どっか割り切りしないと遣ってられない。
世の中には運は確実に有る、実体験の俺だった。
「で、タロウ、どうする?」
おっちゃんが俺へと眼を合わせ言う。
コレって、この雨バイクを要らないと言うなら買値で引き取るって事だ。
俺は考え込んでしまった。
俺が買ったバイク。
ダブル・ユニコーンの1500CCモデルだ。
逆回転クランク連結のタンデム・ツィン。
OHV4バルブだが、水冷&ピストンクーラーの油冷でEFIと来た。
面白いってコレほど面白いエンジンは無いっ。
低回転の日常域でも鼓動の有る走りで退屈しない。
アクセルひと捻りで回せば、ワンシリンダー750CCのキックで蹴っ飛ばされた様に駆ける。
正直、乾いたアスファルト路面でさえ、オーバートルク、油断しているとズルッと滑ってタイヤ・ゴムのマークが付くほどだ。
大排気量のバイクってのは冷静に見ると、人間のコントロールの範囲を超えていると俺は思う。
真っ直ぐでさえアクセルのひと捻りで、フロント・タイヤを持ち上げ発進、加速を延々と続けてアッと言う間に200キロ・オーバーを軽々と超える代物。
モノによっては、その200キロから更に加速して走るっ。
生身の人間の身体、剥き出しでだ。
距離を取って考えれば、これほど無茶な、有り得ない、信じられない代物、乗り物は無い。
バイクってのは究極の無理を、無理矢理に押し通したモノだ。
「乗る」
俺は言った。
「そうか」
おっちゃんが嬉しそうに言う。
「「「…………」」」
無言に為って、それでも笑っている連中。
俺が乗らなきゃ乗る人間なぞ居ないだろう。
『雨バイク』なんて。
どっか俺と、こんな俺と、物凄く似ているヤツ。
似合いの組み合わせだと思ってしまった俺だった。
「おっちゃん、雨具の――」
俺が言い終わる前に、おっちゃんがゴソゴソと引っ張り出したモノ。
最新のバイク用品、快適雨具、高級品だった。
くそうぅ、把握されてる。
俺は黙って、今、身に付けて居る雨具と着替えたのだった。
エンジンを掛けて走っていない『雨バイク』はジンクスも無く。
気が付けば空は晴れ渡って明るく、物凄くイイ天気だった。
さっきまでの雨、どこ行ったっ???!!!
走ってなけりゃ雨も降らないのかと、しみじみ思った俺だった。
「くしゅん」
そんな俺達の背後でクシャミの音がした。
振り返って見る、その視線の先。
「おじさん、自転車パンクしたのにゃ――」
ネコ耳&シッポ、女子高生?が全身ビッショリの雨に濡れた姿で居た。
白いTシャツが雨に濡れて半透け。
ブラジャーが、ををををををを。
そうか、この手が有ったかっ、かっ、っっっっ。
「タロウ君っ」
「タロウさんっす」
「タロウ」
おーまーーえーーーらーーーーああああぁぁぁぁぁ。
俺はジンクスってのを信じない。
けれど、パンクした自転車の女の子へと、自販機の暖ったか缶ココアを差し出し、半透けの胸をチラ見しながらGカップと感動していた。
スマソ、男ってのはこんな生き物なんだと謝罪しながら。
「あのバイク、Wユニコーンの1500にゃ、すごいにゃーーーっ」
可愛いいネコ獣人種の女の子はバイク好きらしい。
貴重だ。
俺はお星様に感謝。
俺の『雨バイク』にも感謝したのだった。
でも、降らないに越した事、無いぜ。
相棒よ。
幾ら雨で冷えただろうと言って、暖かい飲み物でもと寄って行かないかと、アパートへ女の子を誘うにしても。
魔法使いは卒業して、いけない賢者にジョブ・チェンジした俺だった。
おまけ~~~~~~
彼女にせがまれてツーリングへ行く事と為った。
「晴れているのに雨カッパを着るのかにゃ?」
「ああ、うん、降るんだ」
「天気予報を見なかったにゃ、降ると言ってのかにゃ――」
走り出し、走って、走り続け、結構走った。
そして休息。
「雨、降らないにゃ」
「ああ、うん、降らないな……」
「天気予報は当たったり外れたりするモノにゃ、気にする事無いにゃっ」
ええ子やぁ。
それから、それから。
ツーリングから帰り、彼女を家へと送り届けて俺もアパートへの帰路。
ドザザザザザザザザザーーーーーーーーーッッッッッ
何時もにも増しての大雨に打たれる俺だった。
「あーーー 新ジンクス???」
今度、バイク屋の連中(男)を乗せて実験だと思ったのだった。
まさか雪が降るなんて無いよな……
おおうぅ。
自分の範囲外から惚れられるジンクス。
選り好みとか、贅沢とか、物は試しとか――
たぶん、物は試しで付き合ってソノ後、続かないと思うのがハッキリ分かる。
女性には物凄くゴメンナサイなのだけれど。
こんな自分がイイと思ってくれるのは有り難いのだけれど。
でも――
きっと将来の何所かで、『ダメ』が自分の方から見えてしまうと思った時。
お互いに不幸しか無い。
人の持つ時ってのは短過ぎる。