11話 サイドカー『雪風』 3話
まだ一応昼間なのに、走り出して見える全てが、真っ白く暗い。
止む気配の無い大暴風雪は、見渡す限りの全てを埋め尽くして、まるで視界が利かなかった。
あれは何年前だったろう――
今と同じ様な真冬の台風、爆弾低気圧?に北海道中が飲み込まれた出来事だった。
都市近郊はまだ何とかなったが、家屋もまばらなダダッ広い農業地帯で様々な事が起きた。
当地の人の話しでは、まだ大丈夫と車で移動出来ていたのが、見る見ると荒れて行き、どうにも為らなくなったと言っていた。
携帯が繋がっても、車は走れない。
救助に行こうとしても、そのための除雪車両を動かす人が、家から動けない。
車両を動かしたとしても、道の全てにまったく足りなかった。
さらには余りの視界の悪さに、立ち往生している車を視認出来ず、雪に埋もれているかもとスピードに乗って一気に除雪出来ない。
そして、空けたはずの道が、再び雪に埋まっていく。
どうにも天候が治まるのを待つしかなく、自然が本気になった時、人間は無力だった。
僕は、そんな天候が再現された中、サイドカーの『雪風』で走っていた。
降っている雪の量が途轍もなく多い。
その大量の雪が物凄い暴風で、途切れなく空間を一方向へと荒れ狂って走り、叩き付ける。
事実、視界は数メートル先が見えるか見えないか。
車とかで走るなら、その走るスピードでは視界ゼロに等しいだろう。
真っ白で薄暗く、まるで見通しが利かない。
こんな日に外へと出て動こうなんて、自殺行為に等しい。
でも僕は走っていた。
雪がいくら多く降っても、風が無ければ実際はさほど問題は無い。
そう問題は風なんだ。
風は雪を移動させる。
それが雪の吹き溜まりを作り、暴風は物凄い雪山を繋がり作る。
道路の路面が周りの地面よりも明らかに高いなら、道路上に雪山は出来にくい。
それは風が吹き抜けて、雪が溜まらないからだ。
それって別の状況、即ち道路が周りの高さに近ければ近いほど、吹き溜まりの雪山が出来易いって事だ。
吹き溜まりの雪山は、たぶん、ほんの些細なモノを切っ掛けとする。
風の中に立つ、電柱の後ろ側。
ガードレールの風下。
道路標識。
そして、周りよりも確かに高い道路の路肩。
それに今まで除雪して有った雪が道路脇の左右に有る。
さらには、道路の路面が幾ら高くても、本当の物凄い大暴風雪に為ってしまえば、吹き溜まりの雪山の連なりは出来てしまう。
道路の左右に、三角形の先っぽが道路の内側を向いたドデカイ雪山が出来て、その先っぽを互い違いにして道を塞いで行く。
それは、車が突っ込んだら動けなく為るほどの、そんなデカさの見上げるほどの雪山だったりする。
そんな三角雪山が左右に連なり、その雪山の間の谷間が唯一、何とか走る事が出来た。
その谷間をサイドカーの『雪風』は、タイヤを半分以上、雪の中に埋めながら進んでいた。
とても動力で動く乗り物のスピードでは無く、せいぜいが人が走る程度の早さだった。
だけれど、止まる事無く走り続けていた。
降り積もりたての雪は、深いけれど柔らかい、それが走れる理由だった。
積もった雪の上側はふんわりと柔らかく、路面へ向かうにつれシッカリとした存在になる。
タイヤの径が大きく、最低地上高が高いオフロード4WDなら、この状況でもまだ走れる。
ただし踏み締める雪の深さが車の腹を越え出すと、それが限界になる。
俗に言うカメになるんだ。
オフロード4WDが走れる道も、乗用車の4WDは意外と限界が低く、無理をすると直ぐスタックする。
車の腹の低さも有るれど、何よりもフロントのエアロパーツが雪に埋まり、走れば雪を押し集め、遂には止まってしまうからだ。
さらには、いくら4WDでも四つのタイヤの内、一個のタイヤが滑って空回りすると、駆動系のパワーがその空回りの一輪に全て行ってしまって、4WDも何もかも無くなる。
古臭い古典的な直結の4WD、デフ・ロックを持つ4WDが、本当の意味での走破性を持つ4WDだろう。
もっとも、現代日本でごく普通の生活をしている人が、そんな道、状況に、煩雑に出会うなんて有り得ないけれど。
何所から何所までが道路なのか?
ガードレールは既に雪に埋もれて判別が付かなかった。
けれども、その埋めている雪の盛り上がりの様子で、連なる雪の山が道路の存在を教えてくれていた。
それと、時折見える道路標識と、道路の路肩を示すポール標識の存在が助けになって居た。
そして、いくら降り積もっても道路の交差点は見間違え様は無い。
僕はそうやって、走り進み続けた。
吹き溜まりの雪山へ突っ込んだら手間と時間が掛かる。
雪山連なりの低い所を縫う様にして走る、走り続ける。
サイドカーの『雪風』のタイヤが半分以上、雪に埋まって動いている。
焦ってはダメだ。
僕はヘルメットのシールドを左手で拭き、そのシールドを細く開けて風の冷たさを感じながら、目視の確認を繰り返した。
三輪駆動、3WD、フルホイール駆動の『雪風』だから何とか走っている。
特に冬用のスタッドレス・タイヤは、トレッド・パターンが夏用のオフロード・タイヤに近いので、雪面を掴み噛む能力が有る。
それに四輪と違うサイドカーの車体は、四輪の場合の腹がカメになったり、フロントが雪を溜め込む事も無い、その違いはかなり大きい。
ただし、バイク側と側車側を繋いでいる部分に、雪が溜まって行くのだけはしょうが無い。
路面に降り積もっている表層の柔らかい雪なので、繋がっている部分に溜まる傍から後ろへと、押されて落ちて行くので何とかなっている。
ガソリンは満タンにしていたから問題は無い。
走る速さがトロし、使い捨てカイロも入っている身体も寒くは無い。
ただし雪ダルマの様にはなっている。
風が吹き当たる側に雪がくっ付き溜まり、動く度にバラバラと剥がれ風に飛んで行く。
バイクのシートに座る両足の股間に雪が、これまた溜まり、時々腰を持ち上げて左手で叩き払う。
他の車両のタイヤ跡なんて有るはずも無く、有ったとしても、たちまち風雪に埋められるだろう。
真っ白な薄暗い世界に、僕と『雪風』だけが居て、他にどんな命も無い雪だけの世界だった。
そうやって走り続け、やっと雑木林のバイパス道路への交差点へと辿り着いた。
この道路はこちらの方向から行くと、ゆるい登り坂から入って行き、片側に山すその雑木林を見て、反対側はガードレールだ。
元々雑木林と畑の間に新設された道路なので、この道沿いには家屋がまったく無い。
視界が利くなら、遠くにポツンポツンと農家の家が見えるのだけれど、今は白く何も見えない。
そんな道を農地のガードレール側から、横殴りの風雪が雑木林の方向へと吹いていた。
サイドカーの『雪風』のエンジンが問題なく動き続ける。
元々が軽自動車用のエンジンはバイク用に手直しされたとは言え、低速トルクの有る四輪的なセッティングのままだ。
それが今の状況には有り難い。
僕は風雪の中でメットのシールドを細く開けたまま、焦らずにゆっくりと走る。
そして走りながら時折、バイクのホーンを鳴らし続けた。
ビィーーーーーーン
ビィーーーーーーン
ビィーーーーーーン
甲高い音質で、やや耳障りだけれど遠くへと届き、ハッキリと識別出来る警告音だ。
この暴風雪の風音の中でも紛れ打ち消されずに、人工的な音として届く音だ。
この音に答えてくれと祈りながら、僕は進み続けた。
プワアァーーーーーーッ
プワアァーーーーーーッ
プワアァーーーーーーッッッ
何所か気が抜けた様な音が微かに、けれど確かに聞こえた。
風雪の世界の中に、命の答えが有った。
僕の意識がいっぺんに目覚めた様だった。
ビィーーーーーーーーーン
プワアァーーーーーーーーーッ
ビィーーーーーーーーーン
プワアァーーーーーーーーーッ
ビィーーーーーーーーーン
プワアァーーーーーーーーーッ
風音に紛れながら、互いの存在を知らせるホーンの音が繰り返される。
その音が走り進むと徐々に大きく確かなモノになって行き、気が付けば、目の前の雪の大きな塊の中から聞こえていた。
ビィーーーーーーン
プワアァーーーーーッ
ここだっ、間違いない。
僕はその手前に『雪風』を停車して、ニュートラを出すのももどかしく、エンジンを掛けたままのバイクから降りた。
バイクのライトの明りが当たる雪の塊、背丈を越えるほどの雪山の吹き溜まりと一体化していた。
僕はそこへ向かって、膝も埋まるほどの雪の中を全身で歩いて近付く。
眼の高さへと両腕を雪の中へ突っ込む様にして、壁の様な雪を崩し、跳ね飛ばし掘り進む。
――と、両手にゴツンと硬いモノが当たった。
有った。
防寒グローブの両手でさらに雪を掻き分け除けると、車のサイドウィンド、ガラスが現れてきた。
その車のガラスは人の呼吸の水分が凍り、内側の全面が白く霜と為っていた。
けれど一部分だけ、扇の様に中の人の手で拭われて、白い霜が体温で溶けて半透明となっていた。
僕はメットのシールドを全開に開けて、車内を確かめ見た。
ガラスの半透明越しに、人の顔が有り、僕達は眼が合って見つめあって居た。
よしっ、生きているっ。
僕はホッとすると同時に、全身から力が湧き上がって来た。
「今、掘り出すからガンバレ、気を抜くな、ここでホッとして意識を手放したらヤバイぞっ」
僕はガラスの向こうの人へと大声で怒鳴り、ガラスの向こうで人影が頷くのが分かった。
よしっ、行動だ。
僕はスコップを取り出すためにサイドカーの側車へと向かった。
ジムニーがマイカーで無かったら、遭難していたな……




