10話 サイドカー『雪風』 2話
「ラーメン、味噌、野菜チャーシュウ、大盛。それとギョーザ。お願いしますぅ」
僕の注文を、お婆ちゃんのお店の人が受けて、カウンターの中、厨房へと繰り返していた。
ラーメン屋さんと言っても、ここはお食事処なので、他にも色々とメニューが有る。
ひとつ、カツ丼。
やあらか分厚いカツとタレの汁、卵もたっぷり、絶品でつ。
ひとつ、オム・チャーハン・セット。
卵の鮮やかな黄色、ニンニクの効いたチャーハン。
お味噌汁とパリパリ漬物、堪りませぬぅ。
ひとつ、デミグラス・ハンバーグ・セット。
デカイっ、ハンバーグぅ、デカイっ。
そのイイ色をしたハンバーグに、褐色のデミグラス・ソースうううぅぅぅ。
もちろん、缶詰のパインが有るっ。
幸せはココに有ったっ。
そして――
細かく刻んだチャーシュでの炊き込みご飯っ。
チャーハンの楕円の形のモノ。
お握りのモノ。
普通チャーシュを乗せて押し寿司の握りっ。
他にも色々と有るが、迷ったら定番の定食だ。
シジミの味噌汁(貝殻取り済み)、地元米のブレンドご飯。
季節の漬物、海草酢物。
野菜の煮物(煮卵付き)
メインは、ザンギor焼き魚or特大カツ。
甘味に白玉ゼンザイ。
食後の熱々番茶。
――完璧な定食だった。
で、僕はラーメン用の専用カウンターで、ラーメンをすすっていた。
ラーメンのカウンターはやや高い位置に有って、ドンブリを持ち上げなくても顔を近づけるだけで、ドンブリから間近で食べられる作りになっている。
それは細縮れメンを、ドンブリからスープをタップリと絡めながら食べられるって事だ。
この食べ方をすると、ラーメンと言う食べ物は真価を知らしめる。
ラーメンとはコゥ食べるべきモノと知る。
今までの食べ方はナニだったのかと衝撃を受ける。
そして、ギョーザ。
そして、チャーシュウ。
そして、シャキシャキ野菜。
そして、ドンブリに口を付けてスープを飲む。
至福。
ただソレだけだった。
「兄ちゃん、何時もイイ食べっぷりだねぇ。作り甲斐が有るよ」
厨房からお爺さんが嬉しそうに話し掛けていた。
「美味しいラーメンだからです」
僕がそう返すと、お爺さんが物凄く嬉しそうに笑顔になった。
大盛で頼んだラーメンは満足の食べ応えが有って、ギョーザと共に空きっ腹を十分に満たしていた。
そして僕は両手で持ち上げた食べ切ったドンブリから、スープを飲み干していた。
「ご馳走様です」
食べ終わって頭を下げる僕に、お婆さんが何時の間にか近寄っていて話し掛けて来た。
「お兄さん、今日は帰れない様だから泊まっていかないかい」
へ? 想定外の言葉に僕は呆けた顔になった。
「天気、大荒れだよ」
お婆さんが、この様子では出歩くのは無理だと言っていた。
僕は言われて初めて気が付いたのだった。
大暴風雪。
それも十数年ぶりの大暴雪風だった。
天気予報が大当たりに当たって居た。
視界ゼロを通り越して、薄暗いほどの白い闇だった。
地吹雪とは桁が違う、空間の全てを埋め尽くす自然の猛威だった。
「今日はもう誰も来ないねぇ」
お婆ちゃんがしょうがないと厨房のお爺ちゃんへと言っていた。
泊まらせて貰う事にした僕だったが、馴染みの客とは言え好意に甘えるだけなのは、当たり前だがどうも居心地の治まりが悪かった。
「あの僕はここの上がりでイイですよ」
お店は小さいけれど、靴を脱いで上がる畳の小上がりが有る。
防寒着を着ていれば室内なら寒い事は無いと、僕はお婆ちゃんに言った。
「こんな所で寝たら風邪を引くよ、若い人は遠慮しないでいいよ」
お婆ちゃんは菩薩様だった。
お店全部を揺さぶる様な強い風音が、店内にも唸り届く。
店内の何所からでも見える様に、高い位置に有るTVが天候の解説をして注意喚起をしていた。
「ちょっと早いが仕舞うか――」
この天気では誰も来ないだろうと、お爺さんが厨房でお茶を飲みながら、そう言った時だった。
「あら、電話だわ」
お婆ちゃんがそう言い、エプロンの中から震動告知モードにした最新型のスマホを取り出した。
うむむむ、アレは――
耐ショック=像が踏んでも壊れない。
完璧防水=無呼吸潜水ドンと来い。
地球どこでも=衛星通信、届かぬ所なしっ。
イザとなれば=裏面の太陽電池で気長に充電。
タフネス全環境対応スマホではにゃいかあぁぁぁ
お婆ちゃん、侮り難しっ。
僕がそんな感動に浸っていると、あらあらと通話をしていたお婆ちゃんの顔色が変わっていた。
「お、お爺さん、吹き溜まりに突っ込んで動けなくなったって――」
お爺さんがお婆さんを落ち着かせて、話しを聞きだした所――
お孫さんがこっちへと来る道で、余りの視界不良で路肩の吹き溜まり、雪山へと突っ込み車が動けなくなったらしい。
二人が顔を見合わせて、どうしょうと見つめ合っていた。
「場所、どの辺りですか?」
地場では無いけれど、この辺りの道はそれなりに走っている僕だった。
そして――
聞いて分かった場所が悪かった。
動けなく為った場所は、バイパス的に作られた走るのには面白い長さの有る道で、山スソの雑木林を片側に家屋が道沿いにまったく無い道路だった。
場所を聞いて、僕は防寒着を着込み始めた。
北海道でも水田地帯なら農家はそれなりに点在している。
この天候でもそんな水田地帯なら、無理を押せば農家の家に辿り着けない事はないだろう。
けれども、この辺りは畑作地帯だ。
農家の一軒一軒の距離が遠く、夏ならばともかく冬でこの天候。
そして、あの道では――
車に乗って居る、たぶんコート一枚程度の格好では、この天候で車から出て歩くなんて事をしたら、ヘタをしなくても途中で十分凍え死ぬ。
「お兄さん、大丈夫かい?」
お婆さんが、外へと出る格好を始めた僕を見て、心配そうに聞いて来る。
「ダメだと思ったら引き返します、イザとなったら側車に篭るかテントを張れば何とかなります」
サイドカーの雪風は側車に二個、バイク側に大型の収納トランクを二個セットして有る。
その収納力を生かして、一年中、トランクにキャンプ用品一式が積み込み済みだ。
雪の中にドームテントを張って、コノ格好でシュラフに入れば凍え死ぬ事は無い。
「お孫さんに車の排気のマフラーの所が埋まらない様に伝えて下さい。無理ならエンジンを止める事、排気ガスが車内に入って来て、死にます。
車の窓を開けて一度換気を、窓は完全に塞がないで細く開ける。
それと、シートカバーを引き剥がして身体に巻きつけるのと、本とか新聞が有るなら服の間に入れるように伝えて下さい」
排気ガスの話しは本当だ、TVで実験をしていたのを見た事が有る。
車のマフラーが埋まると、本当に短時間で排気ガスが車内に充満する、その様子を見て驚いた記憶が有る。
そして、乗って居る人は気が付かないうちにガスで気を失う。
特に軽自動車だとタイヤサイズが小さいので、この天候だとすぐ埋まってしまうはずだ。
僕の言葉にお婆さんが慌ててスマホで連絡を取り始めた。
「町役場に電話して、ラッセル車(除雪車)を救助に動かす依頼もして下さい。
役場に繋がらなかったら、警察と消防へ」
これだけの天候なので、たぶん役場に人は帰らずに詰めているはずだ。
それでも連絡を取り合ってから動き出すなら、たぶん時間が掛かる。
車のエンジンを止めてヒーターが利かない、暖房の無い車内だと直ぐ温度が下がる。
それと警察や消防じゃなく先に町役場なのは、やっぱり除雪車の有無と管轄だ。
北海道の場合、道路の除雪は国道とそれ以外の町道など、それぞれ受け持つ役所が違う。
町役場の方が絶対に小回りが効く。
「それと、お孫さんが着れる防寒具、靴下や手袋、帽子も、一揃い一式を何か袋に入れて下さい。それと毛布を2枚ほどと、スコップを一個お願いします」
お孫さんと話しを終えたお婆さんが、僕の言った物を揃える為に動き出した。
お爺さんが町役場へと、店内の設置電話を使っていた。
僕はお店の掃除用のホウキを借りて、暴風雪の外へと出た。
出た瞬間、風と雪が僕を叩き、叩き続ける。
歩き出した外は膝の辺りまで雪が積もり、その積もり立ての雪を掻き分けて全身で歩く。
そんなに長い時間でも無かったのに、サイドカーの雪風が雪の塊になって半分埋もれていた。
雪風に積もった雪を両手で掻き落とし、ホウキで掃き飛ばした。
そして、サイドカーの側車、乗り込み口のカバーを外しジャバラ式の幌を伸ばし拡げてセットする。
お店の入り口まで戻り、風呂敷包みを二個、小さい衣類を包んだモノと、大きな毛布を包んだモノをお爺さんさんから受け取る。
「毛布の間に、お握りと味噌汁を入れた保温ポットを入れた。役場には繋がって除雪車を向かわせると言ってたが、この雪だ、距離が有るので時間が掛かると言われた」
お爺さんのその言葉に僕は頷き、再びサイドカーへ。
風呂敷の荷物とアルミのスコップを側車の中へと収納した。
サイドカーの雪風に跨る。
防寒グローブを脱いだ素手でポケットから取り出したキーを取り出す。
キーの差し込み口を素手の指で拭い、雪の類を綺麗に取り払う。
それからキー差し込み、再び防寒グローブを装着し直す。
防寒グローブの指でキーを回すとアナログなメーター類に灯りが点った。
左のスピードメーター、右のタコメーター。
タコメーターの中にはサブのメーターが一個有り、針式の目安程度の燃料計だ。
そして、二つの丸いメーターの下に、これも丸い小さなメーター類が有る。
一個での電流と電圧のコンビメーター、ブースト圧計、油圧計、油音計、水温計の五つのアナログメーターだ。
キュルル
ド、ドルルルル
ドドドドド
セル一発でエンジンが掛かり、冷温始動のチョークでの濃い混合気のためアイドリングの回転が高めだ。
エンジンが動き出した事で全てのメーターの針が動き始め、それぞれに状態の表示位置へとゆっくりと動いた。
温度が温度なので低い表示のモノも有るが、問題無し。
液晶を使ったメーターでは無いので凍る事も無い。
さすが変態メーカー???
で、僕は左ハンドル・グリップの方に有る、大ぶりのシーソースイッチを上へとパチリと押した。
ホンの微かな体感と共に、雪風の車高がゆっくりと上がる。
サスペンションのショック・ユニットに、車高可動用のためだけの専用のデバイスが有る。
油圧で動く可動域は最大6センチ、これを長いと取るか、短いと取るかは、人それぞれだろう。
この車高可動デバイスは元々、側車側へと人を乗せた時とか、バイク側への荷物の重さで沈み込むサスペンションのために、サイドカー全体を水平に保つために考えられたモノらしい。
でメーカーが、どうせならサイドカー全体の車高そのモノも、高くしたり低くしたり出来たらイイんでないかい、と機能追加をしてしまった。
ちなみに車高が高い時、走るスピードが一定速度を超えると、赤いLEDランプが電子音と共に光って高車が高いと知らせてくれる。
僕はお店の入り口でこちらを見守っている、お爺さんとお婆さんへと片手を上げた。
「無理するんじゃないよーーーっ」
「気を付けろよーーーっ」
二人の声に僕は前を向いて走り出した。
大暴風雪の中へと。
書き直しの連続だった……