【八節】噛み合わさる祝祭
【八節】
彼は生まれながらにして全てを持ち合わせていた。
富も名声も権力も、十二分なほど、両の手に余るほど。
けれど、人間の欲望は満たされることは決してない。
神秘や、目に見えないものを求めひたすらに手を伸ばそうとする。
それがどんな愚行であろうと、どんな過ちであろうとも。
己の欲求を満たすことに躊躇はない。
その先の破滅さえ見えていながらも、彼は進んだのだ。
いや、見えていなかっただろう。
この男さえ、ただの物語の素材でしかないのだから。
姫は牧師の言葉に絶句した。
聞き覚えのある言葉に驚くばかりか、様々な考えを巡らせてしまう。
「どうしたのかな?気分が悪そうだ。まだ目覚めたばかりだからね、今日はゆっくり休むと良い」
ローレンスはベッドに戻るよう勧めた。
「ごめんなさい。あなたの言う通り、まだ調子が良くないみたいね」
彼の気遣いに応えて、ベッドに横になった。
「祝祭は今夜だ。時間になればまた来るから、しばらくは体を休めなさい」
そう言って、ローレンスは部屋を後にした。
私はローレンスの言った祝祭について考えた。
人魚の鱗、これは消えた姉達を探すための決定的な情報だったからだ。
きっと、何かを知っている人間がいるはずだと確信できた。
まずは、その人間にお近付きになって話を聞いてみよう。
少し眠気が出てきたので、目をつむった。
時間になればローレンスがお越しに来てくれるだろう。
教会から少し離れた街の中心、そこには大きなお城があった。
城門では兵士が慌ただしく出迎えをしていた。
「国王の帰還である!王座へ集まるのだ」
一人の兵士が声を高々に叫ぶ。
兵士の他に召し使いたちが集まり、王座の前で膝をついた。
大扉が開き、美しく黄金色に輝いた冠を被り、紳士的な髭を伸ばした男がゆっくりと歩み、やがて王座へと腰を掛ける。
「皆、留守を任せてしまったが何事もなかったかな?」
国王は側に居る臣下へと目を向けた。
「問題はありませぬ。船での宴は盛況でしたかな?」
和やかな笑みで国王へと言葉を返す。
「うむ、此度も実に有意義な宴であったぞ。それも留守を頼んだお前達あってのことだ。ありがとう」
国王も満面の笑みで答えた。
「それは恐悦至極でございます。王子もお楽しみいただけたようですな」
「ああ、息子も機嫌が良かったから何よりだ。今度の宴もよろしく頼むぞ」
「かしこまりました、とろこで人魚の鱗を民衆へ見せるとのことですが、王子からお話はお聞きになりましたかな?大変美しい物だそうですが」
国王はきょとんとして、臣下へ質問を聞き返した。
「息子が人魚の鱗を手に入れたと?初耳であるが、いつそんな貴重なものを手に入れたのかね?」
「つい先日の事にございます。王子が私わたくしめにこの話を持ち出してきたのです」
国王はそんな話を王子から一言も聞かされていなかった。
あまり信用されていないのかと思い、少し気を落としたように話を進めた。
「そうであったか、何しろ珍しいものだからな、あの子が隠したがるのも分かる。しかし、そのお披露目はいつ執り行うのだ?」
「今宵の晩にございます。王子自ら祝祭を開いて、民へと見せてやりたいと、楽しげに話されておりました」
「そうか、あまりそういう話は息子からしてこないから、困ったものだ。今晩は留守の間の確認があるのでな祝祭に出席できないだろう。代わりにお前が様子を見てやってくれないか」
「仰せのままに。責任をもって王子の様子を見守らせていただきます」
「よろしく頼むぞ、くれぐれも賊などには注意せよ」
臣下は律儀に頭を下げて国王の言葉に了解をした。
国王は安心した表情で、王座を後にして自室へと戻っていった。
「王子もお疲れでしょうに、若いとは良いものですな」
ふと呟いて、臣下も王座を後にする。
「相変わらず父上の話が長いのかな、待ちくたびれたよ」
容姿端麗の青年が臣下に話をしかけてきた。
「国王の身は一つです。忙しいのですよ。あなた様もいずれは後を継ぐのですから、覚悟されよ王子」
「これから祝祭の準備をしなくちゃならないんだ、お前は早く抜けてきてくれてもよかったろうに」
不満そうに臣下へ言葉をかける。
やれやれと首を揺らして臣下は王子へと付いて行った。
「人魚の鱗ともうされましたかな?いつそんな大層なものを見つけたのですか?」
「少し前に海辺で拾ったのさ、とても綺麗なんだ。これは民に見せたら、あっと驚くだろうさ」
王子は興奮冷めやらぬ様子で話を続ける。
「祝祭なんて名目にしたからにはお酒と料理も沢山用意して、盛大にしよう!その辺は頼んだよ」
「かしこまりました。時間もそんなにありませんし、急ぎ準備の方を進めましょう」
二人はそれぞれの支度をするために広間を後にした。
城下町、富が栄え人という人が交差し、日常という営みがそこでは循環する。
そんな街路の傍ら、占い師が民に御告げを伝えていた。
「今宵、物語は動くのだろうね。それぞれの歯車は合わさり、一つの繋がりをみせる」
水晶を眺めながら、女は語る。
「きっと、新しい出会いがあるだろうさね。なに、心配なさんな、当たるかどうかはお前さん次第さ」
占いを受けていたのは男だった。
彼は占い師の言葉が嘘か真かは分からないが、半信半疑で聞いている様子に
「俺に女房でもできるって話しかい?それは本当なら嬉しいもんだね」
男は少し茶化しながらも、占い師の話を聞いた。
「女房なんてもんじゃないね、それ以上と言っておこう。これから動き出す運命は、それは大きな変容を見せてくれるだろうさ」
男にはその言葉の意図とするものがよく分からなかったが、機嫌良く礼を言って去った。
「今晩は王子が祝祭を開いてくれるそうなんでな、いっちょ出向いて女でも誘ってみるさ」
「そうすると良い、きっと面白いことになるさ」
占い師も笑顔で返す。
「まぁ、あんたの話ではないんだがね。それにしても人が多い。お姫様も今晩は祝祭に顔を出すだろうし、楽しみだ」
占い師を装うその女は、不適な笑みを浮かべる。
「まだ、あたしの出番ではないが何が起きるかはこの眼でみるより、直接見ていた方が良いだろう」
人気の無い通りで占い師は、影のように消えていった。
夕日に照らし出される街並みに、影は色濃くなってくる。
中心街は普段も賑わいを見せていたが、今宵はいつも以上の盛況ぶりだ。
広場ではじっくりと熟成された葡萄酒が大樽で沢山用意され、大きな炉の上では新鮮な魚や肉をまるごと豪快に焼き上げられていた。
今宵行われる祝祭の準備は盛大にかつ、着実に進んでいた。
臣下は召し使い達をこき使い、慌てふためくように動き回りながら小言を口にする。
「王子も人使いの荒い御方だ、まもなく予定の刻限だというのに、本人はおいでにならないとは...」
臣下は少し呆れた様子で、王子の到着を待っている。
民衆は我慢が出来ないものだから、すでに葡萄酒をオーク製のジョッキに注いで、乾杯を始める始末だった。
国王の粋な計らいだと言わんぱかりに、次々と酒や食い物を片手に騒ぎ始めていた。
しばらくすると、美しい白馬二頭が牽引する馬車が民衆の合間を切り開いて現れる。
語るまでもなく王子の乗る馬車だ。
「いやはや、やっとご到着されたか!こうしちゃおれん」
手の空いた使用人を幾人か集めて臣下は王子の馬車へと駆けつけた。
馬車の外は開き、シルクの茜色に煌めくローブを纏った王子が馬車から降りる。
民衆らは膝をつき王子に敬意の姿勢を向ける。
「今宵はお集まりいただき感謝する、表をあげよ。此度用意した最高のご馳走は皆への感謝の気持ちだ。存分に楽しんでほしい」
王子は会釈を済ませ、民衆はそれを賛美した。
夕景に街は美しい色合いをみせる。
ローレンスと姫は麦を積んだ馬車ですぐ近くまで来ていた。
「あれがこの周辺で一番大きな街だよ。王子もそろそろご到着されているだろう。どうかな?夕日にがとても綺麗に見えるだろう?」
ローレンスは彼女が退屈しないように話をし続ける。
「ええ、とても綺麗だわ。それに大きな街ね。祭りもさぞ豪勢なのかしら」
「それもそうさ、なんせ王子がいらっしゃるんだ。国一番の祝祭だよ。きっと驚くと思うね」
ローレンスの優しい喋りや草原を吹き抜ける風がいっそう心地よく感じる。
姫は、あらゆることが楽しくて仕方なかった。
これほど美しい世界が別に存在していたことが夢のようだった。
しばらくすると、街の門まで到着した。
衛兵はローレンスの事をよく知っているのですんなりと通してくれた。
「はやく入るといい、今日は祝祭だからな。いつもの麦や野菜だって沢山売れるだろうさ。そのお嬢さんは新入りさんかい?街は色々なものがあるから退屈はしないだろうさ」
とても気前の良い衛兵は、姫に笑顔を向けて見送ってくれた。
自分のところにいる衛兵も同じようにとても親切で優しい者達だったと懐かしさを感じていた。
「いつも彼には何かと面倒をもてもらっているんだ。本当に良い奴さ」
ローレンスは手をふる衛兵を後ろ目に話す。
「街の人はみんな良い人が多いのね。きっと王様が紳士だからでしょうね」
街の豊かさは国が理想的な統治を行っている証拠だと姫は考えていた。
自身が居た国も同様に豊かなものだったからだ。
「そうだね、この国は後世まで衰える事はないと言われているそうだ。ほんとに良い国だよ」
ローレンスは少し自慢気に語る。
街の中心街までは少し距離があった。
馬車小屋で馬と荷物を預けて、歩いて向かうことになった。
「エラ、さっきは優しい人ばかりと言っていたが、みんながそうじゃないんだ。盗人や怪しい人間もいるからそれだけは気をつけてほしい」
これから歩く街が決して良い所ばかりではないことを肝に命じるようローレンスは注意をした。
「わかったわ、あなたに付いていればいいのね。大丈夫よ、勝手に一人でどこかに行ったりはしないわ」
姫自身も言われたことは十分にわかっているつもりだった。
確かに善良な人間だけが街にいるわけではない。
悪人もいてこその街というものがあるのだと、本で得た知識を思い浮かべていた。
「中心街まではもう少し歩く。疲れたらいつでも言ってくれ。どこかで休憩しよう」
ローレンスは麦束を背負っているが随分と余裕な表情だった。
いままでも同じようにこうして街に訪れていたのだろう。
石畳の道は歩くのに苦痛だった。
薬の効果で痛みはあるものの、最初の頃に比べるとだいぶ和らいでいた。
きっと、痛みは戻ってくるのだろうが今はそれでいい。
姫は歩くことにも慣れてきたので石畳程度で怯むこともなかった。
何よりも祝祭に姉妹達の手がかりがあると思うのだから当然である。
街並みは美しく、徐々に陰りが強まる。
夕日も次第に薄れていた。
まもなく夜に入るのだろう。
松明の光が散り散りに煌めいている。
薄暗くなればなるほどにその心惹かれる光は美しくなってゆく。
「もうすぐ中心街だ。祝祭でみんなお酒がまわってるみたいだけどね」
ローレンスと中心街までの大通りを歩く。
両脇には様々な市場が広がり、屋台まで出ていた。
すでに街の人達は酔い潰れる者もちらほらと見える。
子供達は陽気に駆けずり回り、和気あいあいとしたのどかさも感じられた。
「本当に賑やかね、とても楽しそう」
姫も本当は子供達に混ざって街を駆け巡りたい気持があったが、言いつけ通りに我慢していた。
これほどに見るもの全てが新鮮な姫にとって、生殺し以外のなにものでもないのだ。
「見えてきたぞ、あれが街の広間だよ」
ローレンスが指差す先に、さっきまでとは比べられないほどの人だかりが見えた。
今宵行われる祝祭の出し物を拝むためだろう。
わずかな人の縫い目の先に一人、美しい男性が見えた。
それがこの国の次期国王であり、象徴たりうる存在であることは明白だった。
王子は民衆と語らい、見目麗しき笑顔を振り撒いていた。
「エラご覧なさい。王子もご到着のようだ」
ローレンスが王子がいる方へ指をさしながらそう伝えてきたが姫にはすでに知っていたので、隣でこくりとした。
「ローレンス、わたし聞きたいことがあるんだけど?今朝言っていた人魚の鱗って本当なの?」
「ああ、王子が他の国の偉い人達を招いた舞踏会があるんだがね。いつも船の上で踊るんだよ。その時に海で手に入れたそうだよ。本物かどうか知らないんだがね。人魚なんておとぎ話のようなものだからね」
ローレンスは少し茶化すように語ったが、その眼前におとぎ話のような存在がいることをわかるはずもなかった。
人間の世界にとっては人魚の存在なんて伝説に近いものなのだと、その口ぶりからはうかがえた。
「そうなのね。でも人魚なんていたらとっても素敵じゃないかしら?わたしは人魚がこの世界にいると思うわ」
少しばかり食い気味で姫はローレンスに話を返した。
なんせ人間と人魚が出会う奇跡はすでに始まっているのだから。
「確かにこの世界は、まだ人が知らないものが沢山ある。むしろありすぎるくらいだからね。人魚がいないなんて決めるのは早計だろうね」
ローレンスは少し神妙な顔もちだったが、彼女の話に賛同するよう笑顔で返した。
話の盛り上がりがよくなってきたところで、角笛の音が鳴り響いた。
薄暗い夕景の街に轟く音は、周囲を静寂へと導いてゆく。
飲んだくれた民衆も、遊びはしゃぐ子供達もぴたりと静まりかえってしまった。
「どうやら、王子がお言葉を話されるようだよ」
耳元でローレンスがそう告げると、王子が会釈をした。
「みな今宵はよく集まってくれた。心からの感謝を。そして今宵の宴にはある見せ物を用意した。世にも珍しき宝の一つとなろうものだ。今宵の宴はそれを、みなに見てもらいたく開いたものだ」
気品ある姿、胸を張り誇らしく語りだす王子の姿は実に聡明なものに見えた。
姫もこの王子の姿には少し心惹かれる気持ちが湧いていた。
臣下が絹で余れた滑らかな布にくるまれたものを両の手で王子のもとへ持ってくる。
王子がやがて布をほどくと、宝石の装飾が施されたきれいな小箱が見えた。
鮮やかに輝く宝石の美しさときたら、他にないものがある。
姫は宝石を目にすることもはじめてだったので、それはたいそうに目を凝らして見つめていた。
輝く緑や赤に青など、海の国では見ない色の光に目を奪われたのだ。
「それではお見せしよう。人魚の鱗だ」
そう民衆へ伝えると王子は小箱を開き、中から神々しいまでに輝く鱗の首飾りがあった。
民衆は息を飲むようにまじまじと眼前のものへと目を凝らす。
まるで呼吸するように首飾りの輝きは七色に色を変えて輝く。
「これは驚いた...あんな美しいものがこの世界にあるのだろうか。どんな宝石よりも美しいな」
ローレンスも呆気にとられながらもその輝きへ向けて言葉を漏らす。
「エラ、どう思う?宝石以外にあんな美しく煌めくものがこの世にあるなん驚きだよ」
姫は驚いていた。人魚の鱗と言われるそれに対しての驚きだったが、決してローレンスやほかの
民衆が抱くものではない。
それが本物であることが姫にとって心に杭を打たれるほどに強い衝撃を与えていたからだ。
「そうね、あれはきっと本物よ。えぇ、間違いないわ」
「これは凄いことだ、驚くばかりだよ」
しばらくすると民衆は我に帰るように王子へ称賛の拍手をした。
民衆の盛り上がりを見計らうよに王子は続けざまにこう伝えた。
「これは間違いなく人魚の鱗。つまりこの世界には人間以外に人魚が存在するということだ。かつては伝承されていた逸話のごとく振る舞われたものは、今宵この時をもって真実となったのだ!」
民衆に呼応するように、より強い口調で王子は語る。
誰もが王子を称えた。より激しく、高らかに人々はその威光のような輝きに応えるように盛況さを増した。
だが、その場にいる全ての人間が神秘を目にする中で、ただ一人は違った。
王子の眼前に一人、佇む少女。
ローレンスが気づいたときには彼女は横にいなかった。
その姿は可憐であり、人魚の鱗にも匹敵する美しさ。
「その人魚の鱗、どこで手に入れたのですか?私はそれが知りたいわ」
民衆は突然の事にたじろぎ、王子は驚くばかりだったが、すぐにその容姿の美しさに見惚れていた。
「聞いてるのかしら?その美しい人魚の鱗はどこで手に入れたのかしら」