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De Historia Clade 人魚姫   作者: 田鼈屋守
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【七節】開闢の暁光

【七節】

 崇高な祭壇、陽光を照らし、彩色耀く硝子の窓。


 古びた椅子に腰を掛け、神に祈りを捧げる。


 私は主の御告(おつ)げを(たまわ)った。


 断じて、偽りの召し使いの声を聴いてはならない。


 燦然たる街は業火に焼かれ、憤怒の炎によって民草は灰となろう。


 お前達の旗が堕落と失墜に満ち、己を見失った時、それは訪れよう。


 いかな神の御使いでも、その定めを阻むことあたわず。


 故、決して汝らの声は届くことはない。




 宮殿は王様の帰りを待つ婆様と三女の姫が残され、先の見えない状況の中で、途方に暮れていた。

「あの時の姿、怒りに満ち溢れた恐ろしい有り様、王の身が心配じゃ」

 婆様は王の変貌に畏れを抱いた。


 かつての優しき姿は何処へ消えたのか、それほどに王の背は遠く稀有なものだった。

「妹もどこかへと消えてしまったのね、私だけ残されてしまった。今の私には祈ることしかできないわ」

 三女の姫は脱け殻のようだった、大切なものが抜け出たように、虚無感に苛まれた。


「まだ希望はある、決して諦めてはならない」

 婆様は三女の姫を宥め、広い居間で休ませた。

「神よ、今の私には何ができましょうか」

 いかんともしがたい状況に、婆様は待つことしか出来ない。


 婆様は祈りを捧げた。

 神の慈悲を、帰らぬ王と姫達にご加護を。


 居間で休む三女の姫は考えた。

 絶望に打ちひしがれながらも、最後の希望である灯火は潰えることはなかった。


 成すべき事があるはず、彼女の答は末っ子の姫様が口にしたことに同じ。

「私も海の上へ向かわなくては、何も出来ないなんて嘘よ。みんなを助けなくちゃ」

 自身に言い聞かせ、空漠たる心を奮い立たせた。

 宮殿内をこっそりと抜け出す決意をした三女の姫、彼女もまた末っ子の姫様の勇気に背を押されたのだ。


 誰かに頼るだけではいけない。

 自ら切り開いてこそ、切り開ける道も見つかるのだと、今の彼女は痛切に感じたのだ。



 聞いたことのない音がする。

 幾重にも音階が広がり、音色は旋律を奏で、紡ぎ合う。

 目線の先には、天上が見えた。

 体には布が掛けられ、少し狭い部屋から強烈な光が射し込む。

「ここは、どこなの」

 末っ子の姫は目を覚ます。

 横になった身体は鈍く、思うように動かせなかった。

 目線をあちらこちらに向けてみる。

 部屋には机と灯の消えたランプ、光が射し込む窓、それだけだ。

 体に掛かる布を押し退け、尾ひれも見ようとした。

 すると、驚いたことに尾ひれは無く、二本の棒のような足が見えた。

「あのクスリ、本当に効いたのね」

 少し驚きながらも、身の上に起こった事を理解した。

 魔女のクスリによって、姫の尾ひれは人間の足に変わっていたのだ。


 足の方に力を入れようとしたときだった。

 針に刺されたように強い痛みを感じる。

「ひどく痛むわ。これがクスリの見返りなのね」

 痛みは我慢できない程ではなかった。

 少しずつ足を動かして、徐々に慣れていくのを感じる。

「不思議な感覚、これが人間の足なのね」


 ついに姫は人間の娘の姿となった。

 しかし、自分がなぜここにいるのか分からなかった。

 砂浜で倒れ込んだ矢先、気が付くと見知らぬ部屋にいる。

「誰か住んでるのかしら」

 沢山の疑問でいっぱいだったが、ひとまずは誰かに呼びかけてみる。

「どなたかいるの?声が聞こえたら答えてほしいわ」


 すると、音が近付いてくる。

 次第に大きくなり、部屋の扉が開いた。

「おや、目が覚めたようだね」

 間近で見る人間は初めてだった。

 黒い布と白い布を合わせた服装、人間の男が現れた。

 間近で見る人間は初めてだった。

 尾ひれ以外は、見目姿は人魚とも変わらない。

 ひれの代わりに足が生えている。

「君は砂浜に打ち上げられていたんだ、ひどい熱もあったし、ここまで連れて来て、看病したのだがね」

 男は淡々と、これまでの経緯を語り出す。

 姫を拾い上げた後、ここまで連れて来て看病をしてくれたこと。

 男の口調は鼻唄を聴かせるように安らかなものだった。

「私を助けてくれたのね、感謝します」

 姫は敬意と感謝の意を込めて言葉を返す。

「君は海にでも溺れたのかい?初めて見たときは驚いたよ。砂浜に少女が倒れてるんだから」

 男はその時の出来事を道化のように語る。


 すると姫はこんな話を言い聞かせた。

「ええ、海で泳いでいたら波に流されてしまって。気がつけばここに居たの」

 都合の良い嘘の話だ。

 宮殿で沢山の本を読んでいた姫は、他の姉妹より

 博識だった。

 言葉遣いも達者、姫に仮初めの人間として立ち振舞う事は造作もなかった。

「最近は波が荒いからね、海を泳ごうなんて考えもしないよ。君は不思議な少女だ」

 男は茶化すように姫の話に合わせる。

「ここは迷える子羊に慈悲を与える教会さ、君のような娘を見捨てることは神に誓ってしないよ」

「教会、神様にお祈りを捧げるところね」

 姫はどうやら、教会の人間に助けられたようだ。

「そうさ、私はローレンスだ。この教会の牧師をしている、君は名前はあるかね?」

 姫は人間としての名前はない。

「ごめんなさい、私は名前が無いの」

「名前が無いのか、それは可哀想なことだ。私で良ければ君の名前を考えてもよろしいかな?」

 ローレンス牧師は姫に名前を付けること提案した。

「ええ、是非お願いするわ」

 牧師は少し考え、閃いたような顔をして口を開く。

「そうだな、君はエラ。美しい女性の名前だ」

「エラ、素敵だわ。よろしく、ローレンス」

 手をかざし牧師と握手を交わす。

 姫はエラという名前をえらく気に入った。

「良かったよ、早速だがエラ、君の朝食を用意したんだが食べるかな?」

「お腹が減っていたの。頂くわ」

 牧師は微笑み、朝食を取りに部屋を後にする。

「私の名前はエラ、ついに人間の世界に来たのね」

 姫は今まで生きてきた中で、何よりも高揚していた。

 人間と睦まじく交流できたこと、人間としての名前を貰えたこと、思うことは様々だったが、嬉しかったのだ。

 寝床から体を起こして、窓の先を眺めてみることにした。

 足にはやはり痛みが出る。

 だが痛みの事よりも、数多な未知の体験が彼女の感覚を痛みから遠ざけていた。

 足を動かし、立ってみた。

 少しぎこちないが、歩いてみる。

「ちょっと重いけど動かせるわ、これが人間足ね」

 眼前に起こる奇蹟のような連続が、姫を一層に高揚させた。


 目も眩む光が彼女に放たれる。

 少しずつ目が慣れて、やがて広がる視界に姫は目を輝かせた。

「これほど美しい景色は見たこともないわ、これが地上なのね」

 緑の草原が生い茂り、深緑の木々は光に照らされ色を増す。

 果てしない地上の美しさに心魅入られる。

 窓の脇に小さな生き物が飛んで来た。

「可愛らしい子ね、あなたは鳥かしら?本で見たことがあるわ」

 なんて愛らしいのか、小鳥の囀ずりは、なんとも心地よい響きをする。

 しばらく景観を眺めていると、ドアを叩く音がした。

「お待たせ、少ないかもしれないが許して欲しい。おや、小鳥とお喋りでもしていたのかい?人懐っこいんだな」

 ローレンスは朝食を持って部屋に戻ってきた。

「小麦パンとキャベツのスープだ、味はともかく食べなきゃ元気もつかんだろう」

 彼の言う通りだ、ここまで来る間に食事のことはすっかり忘れていた。

 気が付けば腹の虫が鳴いていた。

「そうね、お腹ぺこぺこだったの、頂きます」

 格別に美味しい訳でもないが、空いた腹を満たすには丁度良かった。

 瞬く間に食べ終えた。

「良い食べっぷりだ。女の子にしては、少しばかり思い切りが良いがね」

「ごめんなさい、はしたなかったかしら?けれど、美味しかったわ。ごちそうさま」

「いやなに、驚いたけども気にすることはないよ。だいぶ落ち着いたみたいだし、質問しても良いかい?」

「お気遣い感謝するわ。質問って何かしら?」

「エラ、君はどこの出身だい?」

 姫の素性は海の底、人間での経歴を持っていない姫には答えられない。

「覚えていないの、自分がどこの生まれか思い出せないの」

 記憶がない、その他に返す言葉はなかった。

「そうか、覚えていないのか。困った話だな」

 首を捻り、考えを巡らせるローレンス。

「よく聞いて欲しい、教会で仕事を手伝ってみないか?今日は祝祭日なんだ、忙しくて手が欲しいんだがね」

 ローレンスは祝祭の準備を手伝って欲しいと言う。

「そうね、少しならお手伝いさせていただくわ」

 助けてもらった恩情もあるので、断るにも気が引ける。

「それは良かった。猫の手も借りたいくらいだったんだ。本当に助かるよ」

 一息つくようにローレンスの表情は和らいだ。

「祝祭って、どんなお祝い事があるのかしら?」

「なにやら、王子が世にも珍しいものをお披露目したいそうでね、確か人魚の鱗だとか聞いたよ」


 無作為に放たれた牧師からの言葉。

 その言葉は鋭く、深く、小さな彼女の心を穿つ。

 思いもよらない話に姫は言葉を失った。



 地上へと迸る陽光はゆっくりと、着実に、鼓動の早さで進む。


 あと六度、それが姫に残された猶予だ。



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