【五節】大いなる対価
【五節】
私は知っている。
この世界は創造と破壊を繰り返すことを。
命とは生まれ、やがて死を向かえる。
魂は天上に還り、神の手によって新たな器を用意される。
そしてまた一つの命として、地上に返り咲く。
それは神においても例外はない。
ありとあらゆるものは、滅びと再生を繰り返す。
世界はそのように創られている。
私もその境界に囚われ続けている。
酷く焦げ臭い、あらゆるものが焼けた臭いだ。
火の粉が散り、命が燃え尽きたように消える。
周りを見渡すと、都のようなものが火の海になっている。
人は焼けて死に絶え、街は炎を燃え上がらせる。
酷い有り様だ、この世の終わりを迎えたような惨劇を見ている。
だが、どこからだろうか、歌が聴こえてくる。火の海が広がるなか、歌声も広くなっていく。
こんなに酷い光景なのに、歌はそれを欠き消すように鮮明にそれは美しく響いた。
とても心地よい声だ、もうこのまま燃え尽きて死んでしまっても構わない。
そう思ってしまう程に安らかな声色だった。
「ーてるかい?さぁ、そろそろ起きるんだ、お前さんは何のためここまで来たんだい?早く起きな」
聞き覚えのある声がそばで響く、目を開けると天井が見えた。
横に何かいる、何かは見当がついている。
だが、こんなにも突然横にいることに恐怖を感じる。
「あなた魔女ね。すると、ここはあなたのお屋敷なのね」
黒く焼け焦げた布を纏い、大きなとんがり帽子を被った女がこちらを見つめている。
その装いはみすぼらしく見えたが、驚くほど美麗な容姿だった。
まるで、黒い真珠のように、引き込まれるような美しさを感じた。
「そうさね、あたしが魔女だ。よろしくね、人魚のお姫様」
魔女は軽やかに会話を進めた。
姫は呆気にとられていた、こんなにも社交的な人物が魔女などと、誰が想像できるだろうか。
「ひとまずは、お前さんの勇気を見せてもらったわけだが、存外やるものだね。良い感じだよ実に良い」
魔女は嬉しそうに話した。
「体内の毒は既に解毒してある。しばらくすれば、体は元通りに動くだろうさ」
「あなたは優しいのね、魔女って、もっと恐ろしいものかと思っていたわ」
「どうだかねぇ、少なくともお前さんは私に恐怖を感じてはいないようだからね」
長い枝のようなものを口に咥え、淡い紫煙をくゆらせながら、魔女は話す。
「しかし、こう休んでいる暇もなかろう、姉妹を助けるのだろう?まずは地上に向かわなきゃならないね」
「でも、それは無理よ。私には人間のように地上を動くことはできないの」
「だったら人間の足が必要だね、私がクスリを作ってやろう。代わりにお前さんの大切なものを頂くが、それで構わないかね」
魔女は足の生えるクスリを作る代わりに、私の大切なものを差し出せと言った。
「お前さんの得意なことは何かあるかい?教えてごらん」
姫は歌が得意だった。姉妹の中でも特に美しい声色を持っていた。王様も素晴らしいものだから大切にしなさいと言ってくれる程だった。
「ええ、なんでも差し出しましょう。それで姉様達が探せるのなら平気よ、私は歌が得意なの、試しに聴いてみてくださるかしら」
魔女はうなずき、姫は歌いだす。
その瞬間、屋敷の中が煌めきだした。
薄暗い部屋は突如として、宮殿さながらの輝きを放つではないか。
「お前さん、なるほどねぇ、そうか、私もここまでは視えていなかったよ」
魔女は何かを悟った。
表情はあまり変わらないが、驚いているように見えた。
「その声、産まれながらに持っているものだろう、そいつは面白い、まさかその声を聞くことになるとはね」
一人で喋り続ける魔女、姫には何のことかさっぱりだったが、自分の歌声が良かったのだと思った。
「気が変わったよ、大切ものを寄越せと言ったが撤回しよう。今回は特別にクスリを作ってやる」
魔女は部屋にある、釜でクスリを作り始めた。
「私から何も奪わないのは何故なの」
姫は魔女に問いかけるが、彼女は美しい歌声だったからと答えるだけだった。
「その声は大事にすると良い。だが、用心しなきゃいけない。お前さんが酷く心傷ついた時、全てを破滅させるだろう」
姫には理解できなかった。
魔女の言っていることが何を意味しているのか、まるで読めない。
魔女からはそれ以上、何も教えてくれることはなかった。
「言われなくても大切にするわ、姉様達を連れ帰って、まだみんなの前で歌を披露するのよ」
姫は真摯に、今考えていることを口にした。
「その意気だ、さぁ、クスリは完成したよ。これを海の上で飲みなさい。すぐに足が生えてくるだろう」
「最初は違和感しかないが、じきに慣れるだろうさ。ただし、副作用があるから簡単ではない」
魔女はクスリを受け取ろうとする姫に告げる。
「本来、人魚に足なぞないからね、歩く度に足は痛み、お前さんを苦しめる」
「それと、効果は長くは続かない。地上が七回、陽光を見せたとき、足は消えるだろう」
「それまでに消えた姫達を見つけることだ」
魔女の説明を話し終えた。姫はクスリを受け取ると、不思議な泡に包まれて屋敷の上へと昇っていった。
「ありがとう、あなたがこんな親切だとは思わなかったわ!疑っていたことをお詫びするわ」
姫は遠ざかる魔女に叫んだ。
魔女は姫の声に応えるように手を振った。
「この先、お前さんは多くの体験をするだろう。それはあまりに非情で残酷な運命だろう。だが、その選択のどちらを選ぶのか愉しみだ」
魔女は姫に聞こえない声で呟く。
「さて、そろそろお怒りになった王様もおいでになる頃。迎え支度をしなくちゃね」
森の周囲に波が広がる。
魔女はいつも以上に強力な結界を張り巡らせた。
「こんなもんかねぇ、ロウソクの火程度には時間を稼げるだろう、神の槍が相手だと、さすがに分が悪いか」
使い魔の怪魚が続々と森から溢れだす。
「今の王様に声は届かないだろう、どうやって説得したものか、さて」
一閃、眩いほどの稲妻が使い魔達を消滅させる。
動く間もなく消えてゆく怪魚の群れは海に溶けていく。
稲妻は幾つにも放たれ、森に向かって飛来する。
結界が辛うじて遮っていた。
まだ、王様の姿すら見えない距離で閃光は曲線を描く。
「こりゃ酷い。まったく足止めにもならないね」
魔女は冷静だった。
さも知っていたかのように、使い魔が殲滅されるのを屋敷の中から眺めていた。
やがて、いくつかの影がぼんやりと見えてきた。
王様を筆頭に兵士たちが進行して来る姿を捉えた。
もう、森の近くまで迫る勢い、誰も王を止めることは敵わず。
使い魔は全て薙ぎ払われ、やがて結界の前まで着いてしまった。
「魔女よ、娘を返してもらおう」
結界の前で、声が轟く。
「少し話をしないか、もう姫様はここにはいないよ、その物騒な槍を仕舞ってくれるか、それは私にも脅威だ」
魔女は王の声に答え、宥めるように話す。
「どういう事だ、貴様が娘に手を触れたなら、今すぐに森ごと焼き払ってやる」
王様の怒りは魔女の言葉ではどうにもならかった。
やがて、大きな稲妻が森に降り注いだ。
結界も徐々に綻びが生まれ、崩壊を始める。
「待っておくれと言うに、私を殺したら姫は戻れなくなるぞ、その槍を納めてはくれないのか」
魔女は憤慨の王に声をかけ続ける。
すると、稲妻が消えていった。王は槍を振りかざすことを止めたのだ。
「説明しろ、娘はどこに行った」
「海の上へ向かったよ、人間になれるクスリを持たせた、あの娘ならきっと姉妹を見つけて来れるだろうと思ってね」
魔女の言葉に王は驚いた。海の上へ向かっただけならまだしも、よもや人間になれるクスリまで、持たせたと言うではないか。
「貴様、よくも娘を危険な目に遭わせるようなことを」
王は三度、槍を振りかざそうとした。
その時だった、背中から痛みを感じる。
何かに突き刺される強い痛み。
兵士たちが揃って倒れ込んでいた。
状況が理解できなかった。
「もう少し早く冷静になるべきだったね、王よ、あなたはもう助からない」
背中には怪魚が付いていた。
鼻先が剣のように尖り、槍のように王の背中を貫いていた。
他の兵士たちは心臓を一撃で射貫かれ、一人として生きてるものはいなかった。
「この使い魔は砂の中に忍ばせておいたのさ、少し落ち着けば気配で気付くもの、残念だ」
動くことが出来ない、毒が体を蝕み始めていた。
ゆっくりと魔女が森から姿を現した。
「ごきげんよう、王様。久しぶりに会えたね」
王は魔女を強く睨み付ける。
「貴様、よもやこれが狙いだったか。最初から私の命と槍を奪うために」
苦しみに悶えながら、王は魔女の思惑を理解した。
「そうさ、あんたの心臓とポセイドンの槍、これほど欲しいものが他にあるかね?そのたくましい身体も、一度手合わせ願いたかったものだけれど、もうそれも叶わない」
魔女は王に近付き、身体に触れながら耳元で囁く。
「魔女め、最初に会ったとき、やはり殺しておくべきだった。ぐっ」
魔女の手が王の心臓をえぐるため身体に突き当たれた。
「これは運命だ、あの姫も神代の写し身、期は熟したのさ、あなたと私も滅び去る定め、目も当てられない惨劇を見るより、ここで消えた方が幸せだ」
魔女は王の心臓を手に掴んだ、後は引き抜いてやれば死を迎えるだけだ。
「娘を、こんな形で地上へ向かわせるなど、あまりに悲劇だ、私が死んでも魂は娘を必ず守ってみせる、貴様の思惑通りにはいかぬぞ、それを忘れるな」
魔女は王様に突き刺した手を引き抜いた。
王は力なく崩れ落ち、起き上がることはなかった。
「あなたの役目は済んだ、王よ、私にはまだやることがある」
心臓と槍を持って魔女は屋敷へ戻る。
何もない深海の底、儚く、灰色の砂の上に王様達は息絶えた。