【三節】運命の慟哭
【三節】
ある者はこう答える。
遥か深海の先に海洋の森があると。
どんな生物も近寄ることのない自然とは乖離した世界。
禍々しい光を放つ異形の生物が漂い、恐ろしい怪魚が周囲を蠢いている。
そこには魔女が住んでいる。
いつからか存在しているのかもわからない。
その魔女は未来を透視し、誰も知り得ぬ知恵を持ち、叶わぬ願いさえ魔女の力をもってすれば成就すると。
だが、対価として大切なものを奪われ、救われることのない運命を辿ると。
七色に輝く真珠が、幾数にも繋げられた首飾り。
それは神々しく光輝き、生命の息吹を感じさせるほど、それは大変美しい装飾品だった。
間違いなく次女の大切にしていた首飾り、誰が見ても一目で分かるものだった。
「そんな、姉さんはどこなの?この首飾りは姉さんの大切な宝物なのよ」
茫然とするしかなかった、これまで一番気を張って我慢し続けた末っ子の姫様でさえ、この状況を受け止めるのは難しかった。
「いやよ、なんで誰も帰ってこないの、こんなことがあるの?あまりに不幸だわ」
三女は両の手を顔に当て、泣き崩れていた。
彼女には限界だった。
もう自身の心では受け止めきれないほどの絶望感が彼女を襲った。
「海の上へ向かい、姫様を探していた最中に、浮かんでいるこれを見つけたのです」
伝令は虚ろな表情で報告を続ける。
「姫様は見つかりませんでした。もしかしたら、人間に捕まったのかもしれません」
伝令は一つの可能性を示唆した。
「人間は善良な民だけではありません。我々を見つけては捕らえようなどと考える輩も、少なくない」
広間に王様と婆様が駆けつけてきた。
「こんなことが、神よ、なぜこのような仕打ちを」
首飾りを目の当たりにし、周囲に哀しみが広がる。
王様も涙を堪えられなかった。三女のそばに寄り添い、哀しみに打ちひしがれていた。
「よもや、人間に捕まったとなれば希望は薄い。もう戻ってこれることはないかもしれぬ」
しかし、婆様だけは涙を我慢していた。
みんなと同じ気持ちの中で唯一、平然を装っていた。
まだ望みは絶たれたわけではない。
くらげの尾のごとき細い光のような希望を、ここで持ち続けなければ、それこそ終わりを意味している。
婆様は今にも溢れ出そうな気持ちを押さえつけて、毅然として振る舞った。
「まだ、諦めてはいけませぬ。気持ちをしっかり持つのです。戻ってこないと決まったわけではないのです」
皆に鼓舞を打つように、強い意気込みで声を上げた。
その言葉に気を取り戻したのか、末っ子の姫様は口を開いた。
「私が見に行くわ、私がお姉さま達を見つけてくる」
勇気の体現だった。
気の立ち直りを見せた姫様は声を出した。
「そんなことを誰が許すと思うのだ!絶対に行かせることは出来ない」
王様は涙でぐしゃぐしゃになった顔で答えた。
「もう、誰も海の上へは出るな!海の上へ向かうのは禁止とする」
涙ながらも、気高い王の気迫をもって宣言した。
「いやよ!私が行きます。海の上に向かうことくらいに恐ろしさなんてないわ」
反発する姫様に王様の言葉は届かなかった。
今の彼女に怯えはなく、消えた姉様達を探すことで頭がいっぱいだった。
「誰も行かないなら、今すぐにでも向かうわ」
今にも飛んでいきそうな程に姫様は気持ちが高ぶって仕方がなかった。
「ならぬ!部屋に戻りなさい。伝令、部屋まで連れて見張りなさい。しばらくは出ないようにするのだ」
王様は娘のためも考え、非情に振る舞った。
伝令に抱えられ、姫は部屋に戻されてしまった。
「部屋から出しなさい!探しにいかないといけないのよ」
部屋から叫び、壁を叩く。
伝令も気持ちは理解していたが、それを受け入れることはなかった。
部屋で届かぬ叫びを放ち続ける姫、そんな時だった。
「お前さん姉妹を救いたいのかい?海の上へ向かい、消えた姉妹を見つけ出したいかい?」
頭の中で響くように声が聞こえた。
「誰なの?私はお姉様達を探したいの、力を貸してちょうだい」
正体もわからない声に、無意識の内に言葉を返す。
今はどんな手を使ってでも海の上へ向かわなければならない。
そんな意気込みが気づくと助けを求めていた。
「私が力を貸せと?何もない人魚の姫ごときに貸す力などあるのかね」
声はより鮮明になり、不気味なものを感じた。
「お前さんは大切なモノを捧げてでも助けたいのかい?それだけの勇気を見せられるのかい?」
声は次第に近く感じた。もうすぐそばにまで近づいているようだった。
「私の大切なものなんて、いくらでも差し出すわ!お願いだから部屋から出して」
姫様は頑として姿もない何かの問いに答えた。
「いいだろう、まずはお前さんの勇気を見せてもらおうかね」
何が起きたのか分からなかった。
部屋だったはずの場所が灰色に広がる海底になっていた。
周りにはなにもなく、遠く見える先にと身の毛もよだつ何かを認識できた。
「まずは挨拶からだね、末っ子のお姫様よ。とりあえず私の屋敷までおいでなさい」
声は、いっそうにはっきりと伝わってくる。
間違いなく、先に見えるあの中からだった。
「海洋の森だなんて、綺麗な名前を頂いてるがそんな甘いものではないよ?私の造り出した屋敷だ、用事しないと魂も残らずにここで消え去るから気をしっかりね」
姫はようやく状況を理解できた。
かつて婆様の昔話にあった魔女の話である。
ここは深海、そしてあれが海洋の森なのだと。