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私以外の人と幸せになってください  作者: みりん
ルクサンディ編
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七話 18歳 2

 私は追憶に囚われそうになりながら、ルクサンディ共和国の首都ルクラを歩いていた。

 木が中心のメイザンの街並みとは異なる、赤茶色の煉瓦の家々が並ぶ通りを歩いていると、自分がラヴィニアに戻ったような錯覚に陥る。ただしラヴィニアのときには馬車に乗って移動していたので、実際に歩いたことはないのだが。

 首都一番の大通りを我々使節団は進んでいた。道沿いでは市民が王太子殿下に手を振っていて、私の前方で馬車に乗ったロイドが民衆に手を上げて歓声に応えている。

 休戦以降は交易や旅行での人の往来が年々増加している。長年敵対国だったのだから遺恨を持つ者もあろうが、概ね歓迎の雰囲気が漂っているという印象だ。

 田舎者丸出しに辺りをきょろきょろと見回す私の横を、マリク宰相の侍従兼護衛の男が無表情で歩く。上司の宰相は来ていない。無表情の下では、なぜ小娘の監視を己が、と思っているのだろう。


「変な動きをしたら叩き切るからな」

「はいはい、わかっていますよ」


 いつもなら殊勝な態度で頷いてみせるのだが、街並みに夢中になっていた私は何度目か知れない脅し文句を軽く流してしまった。男――グラントは少し眉を顰めて不快感を示したが何も言わなかった。私は浮かれ気分を反省して大人しく前を向く。物見遊山に来ているのではない。

 そのとき私の視界を何かが掠めた。浮かれ騒ぐ市民の中には似つかわしくないフードを被った者が、身を翻して喧噪から離れていくのが見える。

 その灰色の後ろ姿が妙に記憶に残った。



 ラヴィニアとして生まれ育った宮殿を、感慨と憂愁とが複雑に入り混じる思いで見上げる。正面入り口にあった3代前の王の騎馬像は跡形もなくなっていたが、宮殿自体はそれほど変わっているようには見えない。戦渦で壊されなくてよかった。

 王家の住居だった宮殿は、今は政治の場として活用されている。一行は共和国政府の者に導かれて宮殿内を進む。

 翼廊を歩きながら、私の胸はいよいよ懐古の情で満たされた。父に連れられて初めて赤子の弟に会った部屋、私が弟と遊んでいたら壁に傷を作ってしまい侍女に窘められた部屋、ロイドの婚約者に内定して嬉しさのあまり走り出しそうになるのを堪えた廊下。色々な思い出が残る場所を通りすぎていく。

 案内された客室で旅装から正装に着替えると、官吏以上の者が謁見の間に通された。謁見の間は我々20人を収めてもなお余裕がある。私たちは整列し、首相の登場を待った。

 しばらくして現れたのは40代半ばの美丈夫であった。共和国となり2代目の首相、フェリシエ・ファノン。当然ながら私に見覚えはない。

 ファノンはゆったりと笑って私たちを歓迎した。


「よくお越しくださいました、王太子殿下。お会いするのは私が貴国にご挨拶に伺って以来ですね」

「ファノン首相、ご無沙汰しております。市民の皆さんに歓迎していただき、我々一同喜んでおります」

「殿下のルクサンディへのご訪問は実に休戦協定以来8年ぶり、歓待にも力が入るというものです。さて、長旅でお疲れでしょうから本日はお休みください。固い話は後日にいたしましょう。5日後の夜に晩餐会を兼ねた交流会を開く予定ですので、皆様にご参加いただければと思います」

「ありがとうございます。皆もぜひ参加したいと言うことでしょう。それでは明日以降よろしくお願いします」


 儀礼的な表面を浚うだけのやりとりを終えると、それぞれ客室に案内された。

 正装から普段着に着替え隣室のグラントに声をかける。


「グラントさん、外に出たいんですけど」

「少し待ってろ」


 私は大人しく待った。勝手な行動を取るつもりはない。

 グラントも着替えて部屋を出てきた。グラントは私の監視をするが、基本的に私のやることに口を挟まない。そうするように宰相に言われているようだ。

 私たちは王宮を出て、夕暮れ時の喧噪響く街並みを無言で歩いた。目当ては食事処だが、どこに何の店があったかなど知らない。鍛冶屋、武器屋、道具屋、酒屋、魚屋、肉屋、軒下に連なる看板を見つつしばらく歩くと、ようやく料理と酒の絵が描かれたものを見つけた。中からは騒々しい声が漏れ聞こえている。

 情報を得るには人の集まる場所に限る。私たちは大衆食堂に入った。

 私が座った向かいの席にグラントが座る。店員が注文を取りに来たので、私は一応尋ねた。


「グラントさん、お酒飲みますか?」

「冗談を言うな。仕事中だ」

「そうですか。私は頼みます」


 私が普通に言うとグラントは目を剥いた。私はじゃがいも料理とワインを、グラントは鶏肉の料理を頼む。

 酒が先に来た。一人酒を飲む私を目の前の男が恨みがましげに見てくるが、仕事中は飲まないと言ったのはグラントだから。

 そのうちに料理も運ばれてくる。大味だが美味しい。合間にちびちびと酒を流し込みながら、周りの話に聞き耳を立てる。話題は隣国の王太子の話で持ち切りだ。


「お前は王太子様を見たか?」

「少ししか見えなかったけど精悍なお顔立ちだったなあ。30半ばだっけか、まだ若々しくていらっしゃる」

「どうしてこんな中途半端な時期に来たんだろうな」

「そりゃああれだ、首相の娘さんと顔合わせのためだろう」

「殿下は独身でいらしたか? 年は少しいっているが、お似合いの2人だな」


 私は動揺をグラスに隠した。ロイドの後妻にルクサンディの人間が収まるとなると、嬉しいような切ないような複雑な気持ちが芽生えそうになる。交流会で拝見することはできるだろうか。素敵な女性だといい。

 メイザンの高官はロイドに再婚を勧めていると聞くが、ロイドにその気がないらしく高官たちはやきもきしているようだ。ロイドがファノン首相の娘を気に入ったなら迎えたいと思う者もそうでない者もいるだろうが、下官の私にはそこまでの情報は得られない。私はロイドが幸せならそれでいい。

 結局それ以上の目ぼしい情報は得られず、私たちは王宮に帰った。



 翌日から、私は外交官の下付きとして奔走することになった。膨大な資料の中から必要なものを探し出し、高官が一目見てわかるようにまとめる作業は、人手がどれだけあっても足りない。この1年でルムヤルに鍛えられた私は、畑違いながらも戦力として駆り出された。

 高官の脇に屈んで資料を渡す。外交官のトップであり此度の使節団でロイドに次いで権限を持つバルフォアは、資料を見たかそうでないかわからないぐらいの一瞥をして、ルクサンディの外交官へ雑談を続けた。


「最近、ずっと座っていると腰が痛くなってしまってね。貴国には良い湯治場が多いと聞いたが本当ですか?」

「ええ、火山が多い分温泉も多いのですよ。行ったことはありませんか?」

「忙しくてなかなか時間がとれなくてね。どこかお勧めの場所はありますかな?」

「それなら貴国との国境付近にあるフロイスラインの温泉街はいかがでしょう? 私も最近行きましたが、近くに七色に変化する湖があり、風光明媚な場所ですよ」

「それは素晴らしい。良いことを聞きました。帰りに寄っていくことにしましょう。七色に変化するとは一体どういう仕組みなのでしょう?」


 バルフォアはフロイスラインのことを知っているだろうし、湖のことも分かっているに違いない。それをあえて相手に説明させることで語り口を軽くし、更には自尊心をくすぐっているのだ。

 ルクサンディの外交官は、自分が情報を与えていることに気づかずに、天候や農作物の出来、灌漑や土木事業の進陟具合等、気持ちよさそうに話している。

 外交とは奥が深い。情報戦と心理戦、こちらのカードは絶対に知られず、向こうのカードを読もうとする。相手だってプロなわけで、バルフォアの手腕がいかに優れているかは少し傍で見ているだけでわかった。

 バルフォアは虫も殺さぬような顔でにこにこしながら頷いていた。



 仕事を終えると私はグラントとともに食堂へ行く。今度はグラントも酒を頼んだ。


「仕事中は飲まないんじゃなかったんですか?」

「うるさい」


 私が茶化すとグラントが恥ずかしそうに口を尖らせる。この大柄の男は案外子どもっぽいところがあるらしい。私は酒がそれほど好きではないが、長時間居座るためには酒を飲むのが一番自然だから頼んでいるだけだ。私と違い、グラントは酒が好きなのだろう。ルクサンディのビールを嬉しそうに飲んでいる。

 昨日と同じように耳をそばだてて周りの会話を盗み聞く。相変わらず滞在中の王太子殿下についての噂は聞こえるものの、昨日に比べれば下火になっているように思う。首都は娯楽に満ちている。そして人は自分の生活が何よりも大事だ。自分に関係のないことに、長くは興味を持てない。

 宮殿での情報収集に注力したほうがいいだろうか。どうにかして宮殿で仕事をする人間と繋がりを持たなければ。私は目下の目標を交流会に定めた。


「グラントさん、帰りましょうか」

「あ、ああ」


 今日のところは引き上げよう。私が立ち上がると、グラントは若干名残惜しそうな視線を落としながら私に続いた。

 帰り道、人の影が闇に溶け込む時間帯だった。ふいに既視感を覚えた私は何気なく薄暗い脇道を見やる。遠くのほうに昨日も見た灰色のフードの後姿が見えた。

 私は自分の勘に従い地面を蹴った。


「あっおい! 待て!」


 グラントが慌てて私の後を追う。

 フードの人物は後ろから近づく人の気配を察してか、私が追いつく前に駆け出した。


「待って!」


 待てと言われて待ってくれたら最初から逃げたりはしない。彼、あるいは彼女は足を止めず、若い牡鹿が森を跳ねるように右へ左へと軽快に路地裏を駆けていく。

 土地勘のない私に追いつけるはずもなく、私はすぐにフード姿を見失った。


「何があったんだ」


 足を止めた私に追いついたグラントが尋ねる。私は上がった息を荒く吐いて首を振った。

 自分でも何が気になるのかわからないが、あの人に会わなければならないという確信だけがあった。

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