表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私以外の人と幸せになってください  作者: みりん
ルクサンディ編
6/31

五話 18歳 1

 私は殿下の執務室へと向かっていた。

 殿下にはいつでも来ていいと言われていたけど、それを鵜呑みにできるほど厚顔ではない。だからこうやって私から会いに行くのは初めてだ。

 執務室の前にはよく見知った護衛騎士が立っていた。学生時代から殿下の側にいる人で、向こうも私のことを知っている。


「殿下とお話ししたいのですが」

「お待ちを」


 騎士は扉をノックすると、中に声をかけた。


「ヴィクター殿下、エルーシャ・リンス嬢がいらっしゃっています」

「通せ」


 殿下の応えを受けて騎士が扉を開ける。

 私は部屋に入り軽く礼をとると、挨拶の口上もなしに握りしめていた新聞を突き出した。


「殿下、これはどういうことですか?」


 私が持っているものの正体を既に知っていたようで、殿下は驚きを見せなかったが、代わりに眉を忌々しげに寄せた。


「以前ヴィクター殿下は話してくださいませんでしたが、これが王太子殿下がルクサンディへ行かれる理由ですよね? 事実なのですか?」


 大衆新聞は、『処刑されたはずのエミリオ王子が生きていた!?』とセンセーショナルな見出しを一面に飾っていた。『!?』をつけて責任逃れしようとしているところが憎らしい。けれど、メイザン王家が動くとなると信憑性が皆無というわけではないのだろう。

 ヴィクター殿下は両手を上げてわざとらしくため息を吐いた。


「まったく、誰が新聞社にリークしたのかな。我が国の高官に金で情報を売るような低俗な者がいるとは思いたくないが」

「メイザン国の人間とは限りません。この情報を民衆に伝播させたい人物がいるのでしょう」


 殿下は私の言葉を聞いて、気を引き締めるように姿勢を正した。警戒させてしまっただろうか。私は自分の失言に内心ほぞを噛んだ。


「それで、万一それが事実だとしてエルーシャはどうしてここに? 俺があれだけ言っても来てくれなかったのに」

「私も使節団に入れてください」


 私は回りくどいことは一切なしに単刀直入に願い出た。


「お願いです。ルクサンディへ行きたいんです」

「それはできない。俺はこの件に関して任命権を持っていない」

「使い走りとしてでも荷物持ちでも構いません! 何とかなりませんか?」

「どうしてそこまでルクサンディに行きたいんだ?」

「だって、王太子殿下が行かれるのは、エミリオ王子の接触があると見てのことでしょう? エミリオ殿下と一番交流があったのは王太子殿下ですもの。共和国政府側もそう思っているはず。もし王子が先に共和国政府に見つかったら、きっと殺されてしまうわ……」


 そんなのは耐えられない。

 エミリオも、みんな死んでしまったと思っていたから諦めていたのだ。生きているかもしれないと知った今、ただじっと待つことなどできない。弟を2度も失いたくない。

 私の声は恐れに震えていた。私の尋常でない血相の変え様に、殿下が心配と怪訝の混じる表情で尋ねてくる。


「随分とエミリオ王子に肩を入れているみたいだけど。不思議だな、エルーシャはルクサンディ国と接点なんてなかったはずだ」

「それは……エミリオ王子が……」


 エミリオは私の弟だから。なんて、そんなことを言ったら頭を打ったかと心配されるのは目に見えている。理由を言えたら苦労しないのよ! と、私は八つ当たりをしたくなった。

 ヴィクター殿下は目を細めて観察するように私を見ている。

 いつもは甘すぎる笑みを浮かべているくせに、甘くして欲しいときにはそうあってくれない。


「エミリオ王子が?」

「……もういいです、殿下なんて嫌い!」


 私は子どものような捨て台詞を吐いて部屋を飛び出した。




 殿下から諾を得ることはできなかったが、私は諦めなかった。

 私が帰宅したときには父はもう帰ってきていたので、父の書斎へ向かう。宰相の下の下で働く父ならばあるいは。


「父様、少しお話があるのですが、今いいですか?」

「エリー、いいとも。入っておいで」


 父は眼鏡を外すと、目尻に皺を寄せて私を見た。私は父の座るソファーの前に膝をつく。


「父様は今度のルクサンディへの使節団に入っているの?」

「どうした藪から棒に、私は入っていないよ。ルクサンディには行ったことがないから残念だけどね」

「あのね、私、ルクサンディ国に行きたいの。どうにかして使節団に入れてもらえないかしら」


 私が言うと、父は表情を改めて私を見た。


「エリーが我儘を言うなんて珍しい。叶えてやりたいところだが、私にもできることとできないことがある。わかるね?」

「でも、どうしても行きたいの。行かないと駄目なの」

「理由を言ってごらん」

「……理由は言えない。でも行かなければ一生後悔するわ」

「エルーシャ、いい加減にしなさい。理由も言わずに行きたいと駄々を捏ねるだけでは子どもと同じだ。少し頭を冷やして来なさい」


 私は初めて優しい父に怒られて、じわりと目が潤んだ。でもこんなことで泣きたくはない。口を真一文字に締めて唇を噛む。瞬きすると涙が落ちてしまいそうだから、目を見開いて父を睨んだ。お願い、父様。お願い。

 愛娘の懇願の目を跳ね除け、父は厳しい佇まいを崩さなかった。私は項垂れて、「無理を言ってすみませんでした」と父に謝り部屋を出た。


 いつもは私に甘い人たちが尽く甘くない。

 私だって自分が無茶な要求をしているのはわかっている。

 それでも私は諦めるつもりはなかった。




 使節団の任命権を握るのは誰か?

 首はおろか、本当の打ち首になる覚悟をして、私はその人の前に飛び出して叩頭した。


「宰相閣下、お話ししたいことがございます!」

「娘、閣下の邪魔をするとは何事だ!」


 侍従が私を切り捨てなかったのは、ひとえに私が官吏の制服を着ていたからだろう。

 その人――マリク宰相は感情の篭らない穏やかな口調で私に発言を促した。


「その服は農土府の者か。名前を名乗りなさい」

「エルーシャ・リンスと申します」

「サリオスの娘か。黒土に関するレポートもそなたのものだったかな」

「さようでございます」

「して、私に何用だ」

「私をルクサンディ共和国への使節団に加えていただきたく存じます」

「そうすることで何か私に利はあるのかね?」


 宰相は理由を聞かず、実利だけを聞いてきた。この人を説得するには明白なメリットを提示しなければならない。

 言うか、言わないか。ここに至っても私は迷っていた。言ったところで賭けに負けるばかりでなく、不審人物として宮廷を追い出されることになるかもしれない。だが、言わなければ賭けすらできない。

 床についている両手が震えている。私はごくりと唾を呑み込んだ。

 私が持っている切り札は一つしかない。


「私にはエミリオ王子が本物であるかどうかがわかります」


 その荒唐無稽な発言を聞いても、宰相はしばらくの間黙っていた。顔を下げたままだからどんな表情なのか窺い知ることはできない。

 少しして宰相がようやく口を開いた。


「そなたの言が真実であると、私にどうやって知ることができる?」

「宰相閣下、恐れながら、私はエミリオ王子とラヴィニア王女の周辺であった出来事にとても詳しいと自負しています。宰相閣下がルクサンディ国を最後に訪れたとき、閣下はエミリオ王子にこうおっしゃいました。『凛々しい目をしておいでだ。この先騒乱が訪れるかもしれないが、どうぞご無事で』と」


 私が生きていた頃すでにルクサンディには革命の動きがあったのだろう。メイザン国がそれを察知していたことは宰相の言葉に表れている。

 ラヴィニアの父もそれを感じ取っていただろう。

 父を家族として敬愛していたが、彼が国王としては無能であったことを、私は勉強すればするほど思い知らされた。父は実行力のない人間であり、それは激動の時代の王としては致命的だった。矛盾を孕んだ税制を改革することも、権力の偏りを是正することもできなかったのである。


 貴族は戦時に徴兵の義務を負っていた代わりに免税の特権を得ていた。また年金の支払いには平民の税収が充てられた。

 だが戦争が少なくなるにつれて貴族の存在意義が薄れていくと、不平等な租税制度に異議を唱える声が高まり、それは時間をかけて無視できない大きさにまで膨れ上がることになる。

 王は貴族へ租税を課そうとしたが、戦費を貴族から借り入れる際に見返りとして官職を与え続けてきたため、特権階級に占められた政府はそれを拒否した。長年を経て借り入れ額は返済不能なまでに膨れ上がっており、国王ですら貴族を無視することは不可能であった。

 父の代にはもはや君主制は名ばかりのものになっていたのだろう。父は潮流に乗ることも流れを変えることもできなかった。君主制から民主制への緩やかな移行は叶わず、血を以て王制は排除された。


 私は何も知らなかった。ただ与えられるものを享受し、何の不自由もなく着飾って暮らしていた。


 一時回想に沈んだ私は、無意識のうちに歯を食いしばっていた。

 今の私は、無知であるかもしれないが無知と知らず生きていたラヴィニアではない。

 私は言葉を続けた。


「閣下はラヴィニア王女にはこのようにおっしゃいました。『あなたが我が国と貴国との架け橋となってくださいますよう、願っております』と。ラヴィニア王女は微笑んで、『私にできることを精一杯務めます』と答えました」

「懐かしいことだ……聡明な目をした王子と優しい心根を持った王女であられた。私はロイド様とラヴィニア王女が睦まじく話されている様子を見るのが特に好きでね、ロイド様はラヴィニア王女の前では鋭利な目を柔らかくしておいでだった」


 宰相の声は遙かを眺めるように茫洋として聞こえたが、すぐに元の平坦な声色に戻った。


「……私としたことが、旧懐に耽ってしまった。エルーシャ・リンスよ、立ちなさい」

「はい」


 私は頭を下げたまま両手を額に組んで立ち上がった。


「そなたがどこでそれを聞きつけたかはわからぬが、確かに過去の出来事に詳しいようだ。宜しい、そなたを使節団に加えよう」

「っ、有難う存じます」


 一瞬顔を上げかけて、それまでより深く頭を下げる。


「ただし、私の部下の監視下に置かせてもらうからそのつもりでいなさい。異論はあるか?」

「ございません」

「後ほど、そなたの考えるエミリオ王子を見極める方法を教えるように」

「かしこまりました」


 私は執念で使節団の席をもぎ取った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ