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私以外の人と幸せになってください  作者: みりん
ルクサンディ編
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四話 17歳〜18歳

 私は農土府へ配属された。本当は父親も関わっている外交に携わりたかったのだけど、第一希望は通らなかった。あそこは人気があるから仕方がない。

 もしかしたら今度の働き次第で異動があるかもしれないので、私は与えられた仕事に一心不乱に励んだ。といっても私の仕事自体は下っ端らしく、全領土から上げられる情報をわかりやすいように書類にまとめて報告するという、いささか単調なものである。

 しかしながら、私の職場は平穏ではなかった。例えばこうだ。


「お前ふざけてんのか? こんな紙の束を出されて誰が読むっつーんだ」


 束と言ってもせいぜい4、5枚だ。私はぶっきらぼうに言った。


「長官ですが」

「馬鹿やろう、俺は忙しいんだ。クソみたいに細けえデータばっかり載せやがって、どれが本題なのかちっともわかんねえ。60秒で主張がわかるようにしろ」

「説得力を増すためにデータを載せているんじゃないですか!」

「あーあー、頭でっかちな奴だな。それで読む気なくさせてたら意味ねーだろ。やり直し」


 私はこれでも秀才で通ってきた身であるので、こんなふうに頭ごなしに否定されたことはかつてない。論理的でない主張に対しては根拠を示して反論すればいいし、そのためにはデータが何より重要だと思っていたから、それが詳しければ詳しいほど良いのだと信じて疑わなかった。

 それがこの上司、ルムヤルに言わせると「馬鹿やろう」ということになる。そんな下品な言葉を言われたことがなかったので、初めて言われたときは絶句してしまった。今は慣れているが。

 農土府に来た人間はなべてこの洗礼を受ける。そして、いつかルムヤルを見返してやろうと闘志を燃やしているのだった。



 仕事に忙殺されている私の楽しみは、宮廷で働き始めたことで間近にロイドを見ることができるようになったことだ。ロイドが侍従や騎士たちを伴い廊下を歩いてくるのを見ると、私たち官吏は隅に寄り頭を下げて通り過ぎるのを待つ。

 私は子どもの頃からの習慣でロイドの幸せを内心で祈る。だけど、ちらりと盗み見たロイドは、どこか精彩を欠いているように見えた。


「殿下、少しお疲れに見えない?」


 ロイドの姿が見えなくなって、先輩が私に小声で耳打ちしてくる。私は「先輩にもそう見えましたか?」と返した。


「最近は殿下のご政務の割合が増えていて大変だって同期が言っていたわ」

「そうなんですか。陛下もご高齢ですものね」


 単純に負担が増して疲れが溜まっているのかもしれないが、もしかしてまた不眠の症状が出ていたりするのだろうか。昔から不眠気味の人だったから。もしそうなら香水を渡してあげたいのだけど。

 名前を伏せてもらってヴィクター殿下経由で渡してもらう? でも、どうして私が香水などをロイドに渡すのか、殿下は疑問に思うに違いない。匿名で渡す方法はないかしら。

 考えてみたものの、良い案は浮かばなかった。誰が作ったものかわからないものを護衛が王太子殿下に近づけるはずがない。

 自分でお金を稼ぐことができるようになった私の唯一の趣味は香水を作ることだった。お金の使い道がないので思う存分高い精油を買っている。お店のお姉さんとはすっかり顔馴染みだ。リラックスしたいとき、集中したいとき、仕事が上手くいかなくて元気を出したいとき等、気分によって使う香水を変えている。


 懐かしい顔は他にもあった。マリク宰相――立派なあご髭が特徴の老年に差し掛かった男性で、私がラヴィニアであった頃にも何度か会ったことがある。その当時は髭がなかったので、今世で初めて彼を見かけた時には目を丸くしたのは記憶に新しい。

 ラヴィニアにとっては親切なおじさまという印象だったが、宮廷で働き始めると宰相は非常に厳格な実務家であることがすぐにわかった。あのトップにしてこの上司あり、と納得したものだ。



 入府一年目の私は専ら、書類仕事の傍ら土壌と作物のデータ採集に明け暮れていた。

 メイザン国は南東に乾燥地帯が広がっており、夏はあまり雨が降らない。その代わり冬にまとまった雨が降るので、冬に小麦を作り、夏は日照時間が必要なオリーブや果物を育てている。

 北は森林が広がっていて、この国で主流である3ローテーション制の作付けを行うには農地が足りない。そのため僅かな農地の他は豚を放牧している。雑食の豚はどんぐりや木のみを食べてくれるから森林帯には向いているのだ。

 西は肥沃な農耕地帯で、それほど手をかけなくても多様な作物がよく育つ。この西方の土を調べたいとずっと思っていた私は、入府から3か月経ちようやく念願のそれを手に入れることができた。


「どうやってその土を調べるんだ?」


 先輩が私に尋ねる。全国を回って農地の面積や収穫量を調べているこの先輩に、土を持って帰ってもらったのだ。


「水の通し方を調べてから、肥料を施したここの土と作物の育ち方を比較してみようと思います」

「へえ、頑張れよ」

「先輩にも手伝ってもらいますからね」

「ええ〜もう十分手伝ったじゃんかー」


 先輩は聞いてきたわりには興味がなさそうに相槌を打ったが、私はにっこりと笑って巻き込む宣言をした。口では嫌そうだが頼られることが嫌いじゃない人であるのは、私にこうしてちゃんと頼んだ土を持ってきてくれたことにも表れている。

 先輩が去ると、私は準備していた容器で黒土の保水率や透過率を調べてデータを取る。それから黒土単体、王都の土に黒土を混ぜたもの、王都の土に肥料を混ぜたもの、王都の土単体に苗を何種類か植えた。この簡易実験の結果が出るのは更に3ヶ月ほど後になった。


 私は長官が執務室に来ていると聞いて、ルムヤルの元へ立案書を持っていった。何をしているのか知らないが、色んな所を飛び回っているらしいルムヤルは一週間に一度ぐらいしか執政府にやって来ない。そのため長官の訪れを聞きつけると、決裁が必要な書類を持った官吏たちが代わる代わる訪れる。私もその一人となった。

 半年も経てば、さすがに長官に読んでもらえるものとそうでないものの違いはわかる。私はルムヤルに紙一枚だけ提出した。やりたいこととその結果の予測と費用の概算が書いてある。

 ルムヤルはすぐに読み終え、少し考えると、「やってみろ」と言った。


「失敗したら俺が責任をとってやるから全力でやれ。ただし上手くいかなかったときはすぐに俺に報告しろ。自分で穴を掘り続けた挙句動けなくなってから報告するのだけはやめろ。いいな?」

「はい!」


 私はようやくルムヤルに認められたような気がして、元気よく返事をした。


 こうして本格的な実験を行い、その調査結果は『黒土の特徴並びに活用法と、費用対効果について』という報告書にまとめられた。砂質の王都の土に黒土を混ぜると堆肥を加えたときとほぼ同等の効果が得られることや地域ごとの土を運ぶための大まかな費用等が書いてある。

 最終的には王太子殿下にも報告が行ったらしい。ロイドが私の仕事の成果を見てくれたのだと思うと、今世でも少しだけロイドと繋がれたような気がして嬉しくなった。



 この一年は私にとって怒涛の勢いで過ぎていったが、ロマンスの欠片が全くなかったわけではない。声をかけられたことやデートのようなものをしたことは何度かあった。

 しかし何といっても私は忙しい。相手も官吏で同様に忙しければ自然と連絡は途絶えたし、愛想を尽かされたこともあった。なぜか蒼白な顔をして謝ってきた下級貴族の男性もいたっけ。ちょっといいなと思っていた人だったから、断られたときはそれなりにショックを受けた。すぐに仕事に追われて忘れたけれど。

 仕事が落ち着くと、私は結婚できるのかしらと少々不安になることがある。結婚適齢期に差し掛かっているが、このままだとあっという間に過ぎ去ってしまいそうだ。

 ラヴィニアのときは結婚間近で死んでしまったので、今世では是が非でも好いた人と添い遂げてやるという固い決意を抱いている。クラウディアに頼んでパーティに参加させてもらおうか。そういう類に参加するには、一も二もなく伝手が必要だ。

 クラウディアは舞踏会や晩餐会や色んなパーティに参加して、目ぼしい相手がいないか物色しているらしい。本人曰く、「私は運命の人を探しているの。爵位だけを見ている他のご令嬢と一緒にしないで。気高くて美しくて聡明な殿方を待っているのよ。うふふ」とのことだったが。それは物色していると言うのだと思う。


 仕事を終えて城の廊下を歩きながら将来について思案していると、ヴィクター殿下を見かけた。

 殿下もお忙しいようでなかなか話す機会がなかったが、今日は私に気づいた殿下が近づいてきたので少し余裕ができたのだろうか。


「エルーシャ、久しぶりだな」

「ご機嫌麗しゅう、殿下」

「エルーシャの活躍ぶりは聞いている。あれほどの資料をまとめるのは手間が要っただろう」

「先輩方にも手伝っていただきましたから、それほどではありません。殿下もご政務がお忙しそうですね」

「ああ、今は少し落ち着いたんだが、父上がルクサンディに行くのが本決定しそうだからまた忙しくなるな」

「ルクサンディ共和国へですか? どういったご理由で?」

「それは言えぬ」


 殿下はにこやかな笑みを崩さずに言い切った。下級官吏に過ぎない私には言えないらしい。

 ルクサンディとメイザンは8年前に休戦協定を結んでおり、情勢は安定している。私は殺され損じゃないのと思いもしたが、犯人が捕まったおかげで好戦派が一網打尽にされたので、まあ良しとしよう。

 それにしても、単に親善大使としてならヴィクター殿下でもよさそうなものだが、どうしてロイドが行くのだろうか。

 詳しく聞きたかったが、落ち着いたと言ってもやはり相当忙しそうで、殿下は少し話すと足早に去って行ってしまった。



 私が知らなかっただけで、王太子殿下がルクサンディ共和国へ訪問すること自体は結構な人数に知れ渡っていた。通常ならば行啓は半年以上前からスケジュールが決められ、それに合わせて色々な調整がされる。今回の訪問は一月ほど前に急遽決まったことらしく、方々で関係者が調整に追われていた。

 私は知り合いの官吏にそれとなく話を振ってみたが、詳細は誰も答えてくれなかった。教えられないのか、もしかしたらそもそも知らされていないのかもしれない。どうしたって情報は得られず、私は理由を探るのを諦めた。

 しかし、いくらかも経たないうちに思わぬ場所でその答えを知ることになる。

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[一言] 時節的にお盆かな(違
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