三話 19歳 3
オルコックと話してから半月ほど経った頃、私の職場をクラウディアが訪ねてきた。――オルコックとともに。
王宮に何か用事でもあるのかしらと呑気に考えていた私は、2人揃って姿を現したのを見て目を丸くした。
来客用の小部屋に案内して椅子を勧めると、オルコックは慣れた所作でクラウディアの椅子を引いた。クラウディアが優雅に腰を下ろした隣にオルコックも座る。
「どうしたの、2人で来るなんて。ディアのためにお茶菓子は準備したけれど、オルコックの分はないわよ」
3人分の紅茶と2人分の菓子を出しながら言うと、クラウディアは学生時代から変わらない淑やかかつ浮世離れした笑みで答えた。
「私たちは一つでいいわよ。半分に分けるわ」
「いやね、冗談よ。ほら、私の分をあげるから感謝なさい」
「……素直に感謝する気が失せるんだが、ありがとう」
オルコックが顔を引き攣らせて礼を言う。
「あら、エリーは彼への当たりが強いから本気かと思ったわ」
「さすがにお客さんを差し置いて食べたりしないわよ。それはそうと、半分に分けるだなんてあなたたちそんなに仲良かったっけ?」
私の記憶では食べ物をシェアするほどの仲ではなかったと思うが。
私の疑問にオルコックは、えっと、とかその、などと口籠もっている。隣を横目でちらりと見ては茶器を持ったり置いたりとやけに落ち着かない。なんなの、はっきり言いなさいよ。
クラウディアに思ったわけではなかったが、私の心の声に応えるように彼女はあっさりと宣言した。
「付き合っているの」
私は間抜けに口を開けたまま、たっぷり5秒は沈黙してから尋ねた。
「誰と誰が?」
「わかるだろ! 俺と、クラウディアだ」
わかるわよ。わかるけど理解したくないのよ。
私は叫んだ。
「いつの間にそんな仲になってたのよっ」
「お前が仕事に追われてる間にだよ」
「あなただってそんな暇なかったはずでしょう。仕事中毒仲間じゃなかったの?」
「勝手に仲間認定するな。言っとくけど、お前の仕事量尋常じゃないと思うぞ? 俺がまだ一年目だからかもしれないけど、繁忙期以外は大体夕方帰れるし、先輩だってお前ほど仕事を抱えてない」
「……知ってるわよ」
自分の状況が平均ではないということは。でも官僚なんて大小差はあれど皆同じようなものだろうと信じていたのに。
私は悄然と肩を落とした。
「2人ともまだまだ先だと思ってたわ……」
クラウディアも変わらず情熱的に恋人を探して回っていると思っていた。
私が恋愛に縁遠い生活をしているうちに友人たちが恋人同士になっていたなんて、切なすぎる。
「うう、置いていかれたみたいで寂しい……でもすごく嬉しい……おめでとう……」
「あ、ありがとう。来年結婚するんだ」
「婚約してるのね! あなたたちが結婚なんて、これ以上幸せなことはないわ……」
泣きそうな私にオルコックが神妙な面持ちになっている。隣のクラウディアはずっと楽しげだ。
「エリーには直接話したいから言わないでもらっていたのに、あなたってばずっと忙しそうなんだもの。もう、職場に押しかけてしまったわ」
「びっくりよ。ディアがまさかオルコックとなんて」
「私もこんな人全然好みじゃなかったし、対象外だったはずなのだけど、知らないうちに好きになっていたのよねえ。不思議ね」
「ディアの好きなタイプって『気高くて聡明な人』だったじゃない。真逆よ?」
「おい、本人を前に失礼にも程があるだろ」
女同士の会話を黙って聞いていたオルコックがとうとう口を挟んだ。続けて不服そうにぶつぶつ呟く。
「俺だって何でこいつとって思ってるんだ。ふわふわしてるし夢見がちなくせに意外と毒舌だし……でも案外人のことをよく見てるし、頼りになるところもあるんだよなあ」
「なんてこと、さらっとのろけられたわ!」
私が大げさに嘆くとオルコックはかっと顔を赤らめた。あの言葉でまさか無自覚だったの? そんなことある?
なんだかむず痒くてやっぱり切なくて……でもふにゃふにゃと口角が緩んでしまう。
クラウディアはふふふ、と笑みを浮かべている。学生時代から変わらないと思っていたはずの笑顔が、急に記憶の何倍も輝いてみえた。
「お式は一年後の春の終わりに挙げる予定なのだけど、出席してくれるかしら?」
「もちろんよ! どんな仕事が入っても放り出して行くわ」
私は心を込めて言祝ぐ。
「2人とも、本当におめでとう」
クラウディアとオルコックは、声を揃えて「ありがとう」と言うと、顔を見合わせ微笑んだ。
それはとても幸せそうな笑みだった。
本を抱えて書庫へつながる廊下を歩いていると、見知った洗濯婦と出くわした。
ルクサンディへ共に行ったときに知り合った彼女とは、帰国してからも度々会っていた。
「エルーシャ、久しぶり。前に見たときよりも顔色が良さそうだね」
「お久しぶり。あの頃はずっと泊まり込んでたからね……。パミラは今日のお仕事は終わり?」
「あたしは今日は上がりだよ」
「ハンドオイルの残りはまだある?」
私の問いに、彼女は陽気に頷いた。
「まだ大丈夫だよ。でも、同僚たちに羨ましがられちゃってさあ。一度貸したらどこで買ったんだってうるさいったら」
「それなら今度は大きめの瓶に入れてくるわね」
「ああ、気を遣わなくていいよ。分けたらあたしの分が少なくなっちゃうだろ? あいつらには今まで通り羨ましがらせておくさ」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑るパミラに笑い、それから声を潜めて尋ねる。
「例の香水も、まだ残ってる?」
「そっちはあと半分ぐらいかな。いつもできるわけじゃないからそんなに減ってないよ。……良い香りだよね、あれ。すーっと爽やかで落ち着くし、嫌なことを忘れされてくれるっていうか」
「ありがとう」
まさに求めている感想に私は破顔した。
パミラとは私がある頼み事をしたことをきっかけに知り合い、今もそれは続いている。
頼み事とは、ロイドのハンカチに香水の移り香をつけてもらうことだ。昔ロイドが不眠に苦しんでいるときに贈った香水と同じ調合のもの。ロイドが少しでも安らげるようにと知恵を絞った結果の苦肉の策である。
自分で渡すのは無理だと諦めて、目をつけたのが洗濯婦の彼女だった。最初は当然思いっきり怪しまれたが、母が下女であることが大いに助けとなった。パミラは母と話したことがあったのだ。同じものを彼女自身に使ってもらい、害のないものだとわかってもらうのに思ったよりすんなり事が運んだ。
異国の地であったことも大きい。あえて年若いパミラを選んだのは、慣れない場所で知り合った数少ない同郷人には警戒心が薄れやすいと思ったからだ。
プラスして賄賂……もといお礼として手荒れに効くオイルも渡している。
あらかじめ香水をつけておいたハンカチをロイドのハンカチに重ねるだけだが、実行する際はくれぐれもバレないように、人の目がないときだけでいいと言ってあった。もし見咎められたら私の名前を出すようにとも。
はたして皮膚につけないで効果があるのか知れない。移り香だって大したものではない。ロイドは多分気づいていないだろう。完全な自己満足であることはわかっている。
自己満足にしては危ない橋を渡っているし、渡らせているけれど。
そんなわけで、パミラから「ちょっとお願いがあるんだけど」と切り出されたとき、私は二つ返事で承諾した。
「あのさ、お金払うからあたしにも香水を作ってくれない?」
「もちろん、すぐに作るわね。いつもお世話になってるからお金なんていらないわよ」
「もうハンドオイルを貰ってるのにそれは図々しすぎるよ。ちゃんと払わせてちょうだい」
「わかったわ。どんな香りが好み? 使用する目的は決まってる?」
私が尋ねると、パミラはきょろきょろと用心深く辺りを見回してから私の耳元に顔を近づけた。
「……実はね、最近旦那とご無沙汰なんだ。だからこう、夜の気分が盛り上がるようなやつがいいな」
「まあ、そ、そうなのね。わかったわ」
思わぬ用途に面食らい、私はしどろもどろに答えた。
「ええと、男性を誘う香水ね、うん、そういう効果のある花の香りはあるわよ。今度作ってみるわ。ちょっと初めて作るものだから、どこまで効果があるかはわからないけれど」
つっかえながら早口で言い終わり、意味もなくへへ、と笑う。
私の反応にきょとんと目をしばたいていた彼女は、堪えきれないとばかりに吹き出して豪快に笑った。
「なんだ、あんた案外うぶなんだね。そんなんじゃあたしの職場に来たらひっくり返っちゃうよ」
「い、いったいどんな話をしてるのよ」
「聞きたい?」
思わず聞いてしまった私に、それほど年の離れていないパミラはいたずらそうに目を輝かせた。とっておきの内緒話をするように耳元でささやく。
「旦那をその気にさせるには……や……をするといいとか」
「ひ、ひえ」
「……の格好をして……を演出するとか、他にも……」
「も、もう大丈夫! ありがとう!」
私が遮ると、もういいのかい? と物足りなさそうに首を傾げられた。
……洗濯場は恐ろしい場所だ。




