二話 19歳 2
「それは勉強にはなりましたけれど、さすがに酷いと思いませんか? 半年間休み返上で働いた後で言わなくてもいいではありませんか!」
ご立腹な私を前に、太りじしの筆頭補佐官は何も言わずにこにこと菓子を口に運んでいる。
月一回のお茶会兼報告会で、私は恐れ多くも王太子殿下の筆頭補佐官を相手どり愚痴を吐き出していた。
「やることが多すぎてずーっと何かに追われている感覚があって、しまいには夢の中でも仕事をしていましたもの。私ごときがこんなことを言っては、ユンネル様や長官には笑われてしまいそうですけれど」
「いやいや、エルーシャさんはなかなかに危機迫った顔をしていたよ。ロイド様もご心配されていらっしゃったぐらいだ。ほら、こちらもどうぞ。新作のメレンゲ菓子らしい」
「わあ、いただきます。……なんだか不思議な食感ですね」
福福顔に促されて、私は桃色の丸い焼き菓子を頬張った。サクッとしているけど、中はふわりと弾力がある。くどくない甘さが口の中に広がった。
帰国後から始まった『ロイド様の結婚相手探し進捗報告会』はいつしかお茶会へと発展し、私が仕事に忙殺されていた頃も欠かさず開かれた。毒のない筆頭補佐官とロイドのことを語る時間は、私にとって貴重な癒しの時間となっていたのだ。
咀嚼し終えると私は再度握り拳を作った。
「長官の横暴には我慢の限界です。絶対に働く環境を改善して目に物を見せてやります。そこでユンネル様にお聞きしたいことがあるのですが、官吏を辞めた人の情報は内務府で把握しているのですか?」
「理由にもよるが、ある程度は記録してあるはずだよ」
「人数を聞いたら教えてくれるでしょうか?」
「うーむ、エルーシャさんから聞いても教えてくれないかもしれないね。私が口添えしようか?」
「もしかしたらお願いするかもしれません。そのときはよろしくお願いいたします」
私は有り難く頭を下げた。
おおらかに受け止めてくれるユンネルについ長官の所業について熱弁してしまったが、本来の用事は別にある。私は釣書を取り出した。
「今回はご紹介できる女性が一人しかいなくて……みんなすっかり諦めてしまったみたいです」
ロイドのお見合い相手を募集し始めた初期の頃は毎月十数人の応募があったのだが、今となっては私から声をかけてみてもどうせ無駄だと断られるばかり。無念である。
悄気る私にユンネルは苦笑を浮かべた。
「ロイド様も鉄壁でいらっしゃるからなあ。気になった女性にお声をかけるぐらいしてくだされば違うと思うのだが。こちらも残念ながらけんもほろろに断られてしまったよ。釣書はご覧いただいたが、いつも通り『好みではない』と」
「お好みの範囲が尋常じゃなく狭くあらせられますからねえ」
「……お前たち、私がここにいるのを忘れているわけではないだろうな?」
低い呻き声に私とユンネルは揃って声の主に向き、とんでものうございますと慇懃に言った。同じテーブルを囲むロイドは不満そうに目を眇め、長い脚を組んでいる。
本来なら不敬罪で叩き斬られてもおかしくない発言をしている。ロイドがこの件で私を罰したりしないとわかっているからできることだが、これでも当初は配慮していたのだ。
私がユンネルとお茶会を始めてしばらくして、なぜかロイドが姿を見せた。とうとうこの無茶な行動を止められるのかと思ったが、口を挟みながらもただやりとりを見守るだけだったので拍子抜けしたことを覚えている。
最初の頃は王太子殿下が同席するとあってさすがに言葉を選んでいたが、だんだんと歯に衣着せぬ物言いになっていき、今に至る。
だってロイドが非協力的すぎるのだもの。止めないのだからやる気なのかと思いきや、全然興味を示さない。
そもそもロイドの好みを伝えた瞬間、皆一様に引いた顔をするのだ。そこで半数近くが脱落する。殿下は結婚相手を求めていないと悟るのである。どうにかして釣書作成に漕ぎ着けても待っているのは塩対応。そんな噂が広まれば、夢を抱いていた女性たちもやる気をなくす。
私はポットを手に取りユンネルの茶器に淹れてから自分の分も注いだ。ロイドはひとごとのように釣書を弄んでいるから淹れてあげない。
礼を言うユンネルに笑みを返し、私はロイドに何度目かの進言をする。
「ロイド様、このままではいつまで経ってもご結婚相手の方と巡り会えません。もっと歩み寄る姿勢をお見せいただきませんと」
ロイドは形の良い眉尻を心外そうに上げた。
「エルーシャにお膳立てしてもらわずとも私だって好いた者のひとりやふたり……」
「いらっしゃるのですか!?」
私は思わず身を乗り出した。聞いていないわ、そんなこと。もっと早く言ってくれないと。
ロイドは数秒の間私を見つめ、それから宙に視線を彷徨わせた。
「……いない」
「……いないのですか」
肩を落とした私からロイドが気まずそうに顔を逸らす。期待した分落胆が激しい。
「そういうあなたこそ、人のことばかり気にしていて大丈夫なのか? 仕事に追われている様子だが」
「私とてお付き合いしている方がひとりやふたり……」
「……複数いたらまずいだろう」
私にも恋人の影すらないことを察したロイドが開き直って宣言する。
「それなら私も必要ない」
「私とロイド様では責任の重さが違いますでしょう」
「まあまあ、元々ロイド様は乗り気でないのに私たちにお付き合いくださったのだ。半年間辛抱していただいただけ僥倖と思おう」
ユンネルが宥めるようにメレンゲ菓子を差し出す。私とロイドは追加の言葉を飲み込んで、その甘い菓子を手に取った。
私はオルコックに会うために内務府を訪れていた。王立高院時代にできた数少ない友人の一人だ。
最初私に突っかかってきたオルコックは、態度が軟化して以降考えを改め、真面目に勉学に励むようになった。
私から一年遅れて仕官し、今は内務府に所属している。すでに若手の有望株と評判らしい。
廊下を歩いていると、すれ違う官僚たちから見慣れない官服に訝しげな視線を向けられる。私の官服はちょっと特殊で、農土府の緑色の縁取りと外交府の青色の刺繍を併せ持っているのだ。
それから少しして皆一様に何かを思い出した顔になる。そういえば、ヴィクター殿下のお気に入りで、尚且つ王太子殿下筆頭補佐官の覚えめでたいという女の官吏がいたはずだと。
個人的に関わる人がほぼいない場所で噂先行になるのは仕方ない。様々な思いを孕んだ視線を浴びつつ、目的の部屋にたどり着く。
「農土府のリンスです。オルコックはいますか?」
「どうした?」
私に気づいたオルコックを手招きして廊下に呼ぶと、声を潜めて尋ねる。
「結婚や妊娠をきっかけに退職した女性官僚の数を知りたいんだけど、教えてくれない?」
「また新しいことに首を突っ込もうとしてるのか? さすがに働きすぎだろ」
「その状況を改善するために聞いてるのよ」
「どうだか。今度調べておくけど、教えてもいいかは上司に確認するぞ」
「わかった。もし無理ならユンネル様に一筆もらうわ」
「……とんでもない後ろ盾だな」
オルコックが引き気味に言った。誤解してもらいたくないが、今までこの強烈な後ろ盾を使わせていただいたことは一度もない。
コネは最大限使うに限るが、要所で使わないと意味がない。
「むやみにユンネル様のお手を煩わせたくないから、できればあなたの話術で許可を得てほしいけどね」
「善処はするけど、何に使うかわからなければ難しいかもな」
「それならオルコックには私の計画を話しておくわ。結婚や出産を機に退職した女性官僚はそれなりの数いると想定して、今後私のような兼務の官僚が増えていくとしたら彼女たちに仕事の半分を任せられないかと思っているの」
「仕事の半分?」
オルコックの頭上に疑問符が浮かんでいるので説明する。
これは私が勝手に想像していることだが、兼務を命じる一番の目的は人脈を構築させることだろうと思っている。
仕事を進める上で重要なのは一にも二にも人脈だと、この頃の私は実感していた。意見のすり合わせが必要な部署に気心の知れた人間がいるだけで、決定までのスピードが段違いに早い。
第一弾として私が選ばれたのは、ルクサンディでの経験で外交府の人間とある程度面識ができていて、実験体として都合がよかっただけだろう。多少こけても大失敗はしないだろうということで。
このような人事は今後増えていくと踏んで、これから迎える過渡期のために、そして何より自分のために「半分を担える人材」を確保しておく必要があると思っている。
そして最初の話に戻る。
「家庭に入るために仕事を辞めたけれど、子どもに手がかからなくなって仕事を再開したいと思っている人はそれなりにいると思うの。でも私が調べた限りでは宮廷官吏に再雇用制度はなかった。だから彼女たちは最初から選択肢にも入れてない。能力も経験もあるのにもったいないわ」
「子どもがいるのにこんな大変な仕事にまた就きたいと思うか?」
「女だてらに官僚になるくらいだもの。間違いなく仕事大好き人間だから大丈夫よ」
「お前が言うと説得力があるな」
「うるさいわね。それで、子どもに手がかからなくなったといっても朝から晩までは働けない人もいるでしょう。だから半分を担える人、ということ。もちろん、朝から夕方まで働きたいって人にも再雇用の道があるべきだと思っているけれど」
難しい顔で聞いていたオルコックは、疑問半分納得半分という様子で頷いた。
「なるほどな。それなら上司も許可を出してくれるかも」
「頼んだわよ。……このままだと結婚適齢期が仕事で終わっちゃうわ。私のために全力で頑張ってちょうだい」
「お前のためかよ」
オルコックが呆れ顔になる。
「当然よ。時間的な余裕は少しできてきたけど、まだ恋愛する精神的余裕なんてちっともないわ。私は仕事に人生の全てを捧げたくはないのよ! オルコック、あなたも忙しいはずよね? 仲間よね?」
「……そうだな」
まさか裏切ってはおるまいなと睨……見つめると、オルコックは喉に何か詰まったような調子で答えた。
「そういえば、今度クラウディアが王宮に来るって言ってたぞ」
「……どうしてオルコックがそんなこと知ってるのよ」
クラウディアは私の学生時代唯一の女友達である。最近は会えていないが、たまに手紙のやりとりはしている。
そんなわけで、オルコックから知らされるのは納得がいかない。私よりもクラウディアと頻繁にやりとりしてるってことじゃない。
私の恨めしげな目をオルコックは肩をすくめてかわした。
「お前が忙しい間にも俺たちは会う機会があったってことだよ」
「……絶対に業務改善してやるんだから」
除け者にされた悲しみにくれながら、私は改めて決意を固くした。




