二十一話 18歳 15
「ちょっとリンスさん、ユンネル筆頭補佐官と、王太子殿下の結婚相手がどうのって話していたそうじゃない。殿下は結婚相手をお探しなの?」
廊下を歩いていると、見たことのある女性官僚に呼び止められて私は足を止めた。
これで3度目の問い合わせだ。よく聞いてくれたと彼女に満面の笑みを向ける。
「はい。自薦他薦問いません。お名前、住所、年齢、職業、アピールポイントを明記の上、エルーシャ・リンスまで身上書をお持ちください」
「殿下はどんな方がタイプなの?」
目を爛々と輝かせて彼女が尋ねる。今回は自薦のほうかしら。
私はロイドから半ば無理やり聞き出した情報を伝えた。
「思いやりがあり、誠実で、一緒にいると安心でき、向上心があり、新しい価値観を生み出す挑戦の心と克己心と目上に迎合しない気概を持ち……」
「ちょっと待ってまだ続くの!?」
最初はふんふんと頷いていた顔がみるみるうちに曇っていった。私は重々しく顎を引く。
「恐ろしいことに続きます」
「面接でも受けているような気持ちになったわよ……」
「私も殿下に結婚相手に求める要素としてはどうかと申し上げたのですが、一つも譲れないとおっしゃいまして」
自分が完璧人間だからって相手に求めるハードルが高すぎるのだ。
やる気に満ちていた同僚は、一気に興味が減退した様子でぼやく。
「……やっぱり殿下はご結婚する意思はないのじゃない? 体よく断ろうとしてるんじゃないの?」
「否定しきれないのが辛いところなんですが、でも殿下がお見合いを受ける気になられたことだけでも進歩ではないですか!?」
「ま、まあそうね……」
私の圧に、彼女は若干引きつつ同意してくれた。同意させたとも言う。
仕事の合間にそんな出来事を挟みつつ、復帰からひと月ほど経ったあくる日私は宰相に呼び出された。ルムヤルといえど宰相閣下の召喚命令を撥ねのけることはできないようで、子どものように拗ねた顔で私を見送った。
帰国後に会うのは初めてだ。覚悟を決めて宰相の執務室へ向かう。いかんせん心当たりが多すぎる。
マリク宰相は書類仕事の最中であったが、私が出向くと手を止めた。
「来たか。そなたの活躍ぶりは聞いている」
「有り難きお言葉です」
「最近はユンネルと親しくしているようだな」
筆頭補佐官とは釣書を持って行くついでに少し雑談するだけの間柄だ。親しいなどと言うのはおこがましいが、若手官僚が直接話す機会に恵まれていることが既に異例ではある。
結婚相手探しが宰相の耳に入っていなかったはずはないが、今になって反対されるのだろうか。相手の身分や政治的背景等を全く考慮していないから、当然貴族からは反発の声が上がっているだろうし。
もしかして、ロイドから宰相に止めるよう下達があったとか? ありえるわ。
けれど私の予想に反して、宰相は咎める様子なく穏やかに問いかける。
「ロイド様は身上書を見て何とおっしゃっているのだ?」
「……女性の違いがわからないと」
宰相は声を上げて笑った。
料理が得意とか裁縫が得意などと書いてあっても全く関心を寄せず、唯一目を留めたのは実家の商売を拡大するための事業計画という長いレポートのみ。自己アピールにレポートを載せようと思う女性もすごいが、ロイドは仕事相手でも探すつもりか。
もしかしたら女性の勇気と胆力を買ったのかもしれないが、その割に会いたいとも言ってこない。これはセッティングまですべきだろうか? と悩み始めたところである。
あご髭を撫でながら宰相は変わらぬ口調で切り出した。
「ルクサンディでも大いに活躍したようだな」
急に変わった話題に私は背筋を伸ばした。これが本題だったのか。
「王太子殿下には大変なご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」
「謝罪を求めているわけではないのだよ。説明をなさい。私はロイド様ほど甘くはない」
宰相は凪いだ口調で命じる。
「そなたはレオを一目見ただけでエミリオ王子と断じたそうだな。私も彼と会ったが、確信に至る要素は見受けられなかった。なにゆえ彼を王子だと思った?」
「彼の目が、エミリオ王子に瓜二つだったものですから」
「どうして王子の目の色を知っている?」
「フィオナ……元侍女が私の目を見て、エミリオ王子の瞳と同じ色だと……」
「それだけで断言したのかね? もし本当にそうならそなたの判断力を疑わなければならぬな」
宰相にわざとらしく嘆息され、私は臓腑がきゅっと縮んだような気がした。
宰相は更に質問を重ねる。
「それでは、ルクサンディ王家に伝わるとされていた部屋を知っていた理由は?」
「……偶然発見したのです」
「偶然、4万分の1を引き当てたと? これもまた無理のある回答だ」
私は唇を噛んだ。ロイドへの手紙には秘密の小部屋の開き方を書いた。8冊の本を順番に奥へ押し込むと、本棚の一角が押し込めるようになると。
たまたまで発見できるような確率ではない。わかっているのだ。しかし、最初から知っていたなどと言えるはずもない。
宰相は静かに私を見つめている。その顔には、不思議と言葉ほど糾弾するような厳しさは見当たらない。
口を噤んだまま話そうとしない私に、宰相が静かに言った。
「本当のことを言えばよろしい。……あなたはラヴィニア王女でいらっしゃいますね?」
「……なにを、」
笑い飛ばそうとしたのに、自分の声が震えているのに気づいて言葉を止める。声が震えるのは唇が震えているからだ。
私は乾いた唇を舐めて、下手くそな笑みを作ろうとした。
「宰相閣下も、そのような冗談をおっしゃるのですね」
「……どうして既視感を覚えるのかとずっと疑問でした。あなたが王女の思い出を語るからかと思った。しかしあなたのロイド様を見つめる目は、ラヴィニア王女と同じものだ」
「……」
「私も荒唐無稽なこと、と何度も否定したのですよ。しかしそうでなければ説明のつかないことがあまりに多すぎる。ラヴィニア王女殿下は間違いなく亡くなられた。なれば、あなたはラヴィニア様の記憶を受け継ぐ者ではありませぬか?」
私はあくまで否定しようとしたのに、言葉を紡ぐ前に頬を水滴が伝うのを感じた。下手な笑顔はくしゃりと歪み、唇をぎゅっと結ぶ。
次々と涙が溢れ落ち、私は手で口を覆う。嗚咽が溢れそうだった。
その姿は宰相に確信を持たせるには十分だったらしい。
「やはり、そうなのですね」
「……確かに、私にはラヴィニアの頃の記憶があります。ですが今はエルーシャ・リンスとして生きている身。これまでの出しゃばった真似をお許しください。レオを助けるという願いを宰相閣下や王太子殿下に叶えていただいた今、もはや私は殿下の治政をお支えする一臣下でしかございません」
「ロイド様に申し上げるおつもりはありませぬか?」
とんでもない言葉に私は勢いよく首を横に振った。
「殿下にはどうか心安くお暮らしいただきたいのです。私が真実を申し上げたところで混乱を招くのみでございましょう」
「そうでしょうか」
「どうぞ閣下も私をこれまで通り一部下として扱ってください。私が王女の記憶を持っているなどという戯言は、私の妄想とご放念くださいますよう、お願い申し上げます」
「……あなたがそうおっしゃるなら、そういたしましょう」
宰相は暫し愁いを帯びた眼差しで私を見ていたが、切り替えて私に辞令を告げた。
「エルーシャ・リンス、そなたに外交府と農土府の兼務を命ずる。ならびにルクサンディでの命令違反により、明日より5日間の謹慎とする」
「承知いたしました」
私は部下の礼をとった。
宰相の元を辞し、涙の跡を手で擦ってなくそうとする。
正体を見破られてみっともなく狼狽したが、秘密を独りで抱えなくてよくなったことに、どこかほっとする気持ちもあった。
未だ衝撃は残っているが、今は目の前のことに集中しなければ。
私は宰相に指示された通り外交府に向かっていた。質問できる雰囲気ではなかったので謹んで拝命したが、兼務とはどういうことだろうと首を捻る。
兼務なんてしている人はいるのだろうか。人によっては兼務状態になっているなんて人がいるのかもしれないが、府を跨いだ辞令を受けたという話は寡聞にして聞いたことがない。
外交府に近づくと、ルクサンディで見た顔が増え始めた。挨拶を交わしながら長官の部屋へと進む。
外交府長官は、人相が悪いルムヤルとは真逆の人の良さそうな顔で私を出迎えた。
「宰相閣下の命により参りました、エルーシャ・リンスです。よろしくお願いいたします」
「ああ、僕にそんなに畏まらなくてもいいよ。僕は責任をとるだけの名ばかり長官でね、実務面でのトップはバルフォアなんだ」
飾らなすぎる言葉に内心驚くが、実状を知らないので否定も肯定もできず曖昧に頷く。
「バルフォアのことは兎の皮を被った狸だと思っているんだけど、僕はあんな古狸じゃないから安心して。バルフォアに聞いたがリンス君は諸外国の文化に詳しいらしいじゃないか。バルフォアが引き抜いてこいって言うもんだから僕も頑張ってみたんだけど、ルムヤルが邪魔をするんだ。困るよね。ルムヤルに直談判するだけの勇気もないから宰相閣下に頼んで兼務にしてもらったというわけ」
口を挟む間もなく喋り続けた長官は、圧倒されている私ににこっと笑った。
「半分ずつ、じゃなくて二人分だけど、君ならやれるよね?」
「……鋭意努力いたします」
私は察した。ここは古狸の集まりだ。




